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三日間もビタミン剤なしで、綺麗な肌でいられる自信はない。東京に帰りたい、と、わたしはすでに思いはじめていた。 「今日は朝市に行こう。六斎市っていうの」 と、美佳子さんがつるっとした顔で張り切って笑う。美佳子さんは、春が来たらお兄ちゃんのお嫁さんになる人だ。だからって、わたしと彼女が仲良くする必要なんかない。なのに「故郷を案内する」という彼女の誘いを断り切れず、有給休暇を取ってしまった。確かに会社には行きたくなかった。なんせわたしは、同僚との恋に破れたばかりなのだ。 雨が酷く降りしきる寒い日だった。まるでわたしの心の中だな、と、阿呆らしいことを考えた。美佳子さんに借りた薄水色の傘の柄を肩にのっけて、雨のせいでいつもよりお店の数が少ないという市場の中を歩いた。 だいたい、わたしは美佳子さんのことがあまり好きではない。どうしてお兄ちゃんが彼女を選んだのか、いまだによく分からないんだ。美人でもなくお洒落でもなく、ただいつも笑っているだけの女。こんな女ばかり、どうして幸せになるのだ? 神様は不公平だ。 路上にお店を開いているのは、どうしてか年寄りばかりだった。美佳子さんはここら辺に顔がきくらしく、一つ一つのお店に声をかけ、わたしを紹介した。「妹よ」不機嫌な顔のまま小さく頭を下げるわたしに、お店のおばあちゃんたちは葡萄だの漬け物だの無花果の煮たのだの、いろんなものをくれた。それでもわたしは笑うことができず、ただ傘をさして歩いた。冷たい雨の中、おばあちゃんたちはにこにこと笑っていて、肌もつやつやだった。もちろん、ビタミン剤なんか飲んでいないだろう。おばあちゃんたちにまで嫉妬しそうな心を抱え、わたしは黙々と歩いた。足元には水たまりが広がり始めている。 「村上は鮭の町なんだ。有名なのが、鮭の酒浸し。塩引きしたまるごと一匹の鮭を、頭を下にして陰干しするの」 あれだよ、美佳子さんは魚を売る店の前に吊された、まるまる一匹の鮭を指さした。お店のおばあちゃんが、「なんだい食べたいのかい」と、切り身をわたしに差し出した。中身をくり抜かれ吊された鮭は、潮の匂いがした。それが土を打つ雨の匂いと混じって、わたしの鼻をくすぐった。一切れ受け取って、囓ってみる。口の中に広がる海の味。 「……美味しい」 ぼそり、そうつぶやいたのを、おばあちゃんは聞き逃さなかった。 「鮭の味は、かもなすものだで」 「かもなす?」 わたしが思わず聞き返すと、 「醸し出す、ってことだよ」 と美佳子さんが口を挟んだ。 「神為すっていう言葉がなまって、かもなす、になったんだよ」 「美味しい鮭は、わしがつくるんじゃないの。神様がつくるものだでね」 すべては神様の為すことだから、駄目なときは駄目だと諦める。そして上手くいったときは、感謝するんだよ。と、美佳子さんは当たり前のことみたいに笑った。 わたしは、どうしてだか熱くなっていく目頭を、気づかない振りして傘の中に隠れた。本当は分かっているんだよ。でももう少しだけ、不機嫌なわたしでいるのを許してください。この旅が終わったらきっと、おめでとうって言うから。お兄ちゃんと美佳子さんにも、新しい恋をはじめた元・恋人にも。 お義姉さんになる彼女は、わたしの気持ちを知ってか知らずか、やっぱり笑いながらわたしを見ていた。おばあちゃんも笑っていた。二人のように笑うために必要なのは、ビタミン剤なんかじゃないんだ。 ありがとう、そうつぶやいてみたら、ほんの少しだけ笑えた。 |
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