平和祈念像(長崎県長崎市)
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神の愛と仏の慈悲とは・・・。 - 平和祈念像(長崎県長崎市)の口コミ
滋賀ツウ たかちゃんさん 女性/30代
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雨の中の平和祈念像。
by たかちゃんさん(2018年6月5日撮影)
いいね 25 -
平和祈念像。
by たかちゃんさん(2018年6月5日撮影)
いいね 25
長崎平和公園の象徴である平和祈念像。彫刻家の北村西望が五年の月日を費やして作成し、昭和30(1955)年に長崎市に納められました。
垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを立てた足は救った命を表しており、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っているものとされています。10m近い高さがあるため、上に挙げた右手には避雷針が取り付けられています。
この平和祈念像のモデルには当時人気のあった力道山の他格闘技の指導者等の諸説はあるもの都市伝説の域を超えはおらず、作者の北村西望も特定の人物には似ることのないように作ったと表現しています。
今となっては顔という表現が相応しいのかも知れませんが、建立当時は被爆者に対する法律による救済措置は取られておらず、像そのものの建立費用は募金によって賄われているものの、台座建立に必要とした2,000万円は長崎市が負担しており、その建立費用の使い方に疑問を抱く被爆者も少なからずいたという記録も残っています。
建立時のことはともかく、この平和祈念像の建立が現在の平和公園に対する少なくない批判の原因になっているように思えてなりません。平和を祈念するモニュメントが乱立している長崎の平和公園。広島の平和記念公園が聖地とされ、特定の宗教やモニュメントを締め出していることと比較すると、その被爆に対する捉え方の違いに戸惑いすら覚えます。爆心地の表示こそ広島はないものの、長崎の立派に見える原爆投下中心碑も、実は取り壊して現在の被爆50周年記念事業碑である『母子像』を建立しようとしていたことには、被爆した事実をどう捉えているのか疑問に思わざるを得ません。
長崎市民からも被爆からの復興が長崎の『被爆に対する態度』といった意見も出ているのが現実です。被爆遺構を残そうとする広島に対し、それをなくそうとする長崎の両極端の立ち位置に、被爆の事実の伝え方の難しさを改めて感じました。
- 行った時期:2018年6月5日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:2〜3時間
- 投稿日:2018年6月7日
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初めて行きました
平和祈念像の大きさに圧巻!公園はすごくキレイで観光の途中でも係の方がお手入れされてました。駐車場は地下にあるので安心!
詳細情報をみる
- 行った時期:2024年1月3日
- 混雑具合:非常に混んでいた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2024年2月13日
-
全ての人が知っておくべき現実
人の命が虫ケラの如く扱われ、尊い命と文化と思い出を奪われたことを全ての日本人に知って欲しいと思います。同じ思いをしない為にどう行動するかは人それぞれやり方があると思うので、思想的に右か左かなんて関係ないと思います。但し、日本人の悪いところですが、本当の敵を見誤ることがしばしばなので気を付けなければなりません。
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- 行った時期:2019年12月12日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年1月30日
-
爆心地を含めて、公園全体が強いメッセージを出しているようでした。
階段を上がると平和の泉がありました。「どうしても水が欲しくて・・」と書いてある「ある少女の手記」の石碑があります。罪のない人がどれだけ苦しんだことだろうと思わわずにはいられません。当時の惨状が目に浮かびますが、今はそこには澄んだ水があります。また、噴水越しに平和祈念像の方を見たら虹が見られました。これも慰霊と平和への願いの演出かもしれないと思いました。さらに前に進むと、平和祈念像がありました。右手は原爆への警鐘、左手は平和への願いが込められているといいます。公園全体を歩いて、私たちは何かを忘れてはいないだろうか・・と問いかけているように感じました。
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- 行った時期:2022年12月26日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:お子様、配偶者
- 子どもの年齢:7〜12歳
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2023年3月3日
-
15歳、中学3年生の修学旅行以来、51年ぶりにの平和祈念像との再会
昭和45年、大阪市内にある中学校の三年生の時、修学旅行先が九州でした。夜に大阪を電車で出発し、人掛けの席が向い合せになった席で、夜はその席に板をひいて、4人がその板の上で寝るという、今では信じ難い電車で朝に長崎駅に到着しました。前川清さんの「長崎は今日も雨だった」の歌が長崎駅に流れていました。そして平和祈念像に行ったのを記憶しています。51年ぶりに、長崎に行き、平和祈念像を目の前にした時は、自分の人生が走馬灯のように思い出され、感慨深い時間でした。時の流れの速さをかみしめながら、浦上天主堂に向かいました。
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- 行った時期:2022年11月22日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2023年2月13日
-
長崎の平和祈念像
長崎の平和祈念像です。
写真では見たことは何度もありましたが、実際に見ると圧倒されますね。
広々とした敷地があり、その場所に鎮座されています。
心で平和への祈りをささげました。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年7月22日
- 投稿日:2022年7月29日