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こぼらさんの三重県の旅行記

紅葉のふるさと芭蕉の森・常住寺(伊賀市)

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四季を通じて樹木が美しいと言われる、三重県伊賀市の「ふるさと芭蕉の森」。この公園は、映画「忍びの国」にも登場した「比自山砦」跡の丘陵地に造営されました。天正伊賀の乱では、伊賀忍者たちが織田軍を相手に激戦を繰り広げた場所です。砦があっただけに、上野の城下町を一望できますし、四季を彩る樹木や草花を楽しむことが出来ます。園内には10基の芭蕉句碑もあり、紅葉の中の句碑めぐりと、秋の森の中に鎮座する常住寺を訪問してきました。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2017年11月17日(金)

ふるさと芭蕉の森

伊賀市

「ふるさと芭蕉の森」を   >

「ふるさと芭蕉の森」は、天正伊賀の乱の激戦地の一つだった「比自山砦」跡の丘陵地に造営されました。いわば、小さな山全体が公園となっているようなもの。紅葉シーズンは、散策路がもみじのトンネルのようになります。

「ふるさと芭蕉の森」への登り口にある駐車場。近くに駅もバス停もないので、この公園へは車でないと来られませんね。この駐車場に車を停めて坂を上り、公園へ入っていきます。

公園の案内パネルの横に杖がいっぱいあります。坂道が急なので、シニアやシルバーのために用意されているのですね。「坂道がきついから、足腰に自信のない方はお使い下さい。」といった説明もなく、ただ置いてあるだけ。訪問者の健脚を尊重する気配りなのでしょうか・・。

実際に上り始めたら、結構急な坂道。やっぱり杖を借りてきたらよかったなと思う。でも、いまさら後戻りして出直すのも悔しい。きれいな紅葉を眺めていると、きつさも忘れます。

坂道が緩やかになると、公園内に到着です。いきなり東屋があり、休憩を勧められたような気になります。ためらわず小休止。

東屋からは、上野城と城下町が一望できます。このエリアから先で、芭蕉句碑を楽しめるようになっています。句碑を探しながら進んでみましょう。

「雲とへだつ 友かや雁の 生きわかれ」 寛文12年(1672)春の作。最初に出会う句碑です。ずいぶん背の低い句碑です。先日の雨で飛び散った泥が句碑に付着しています。

「野ざらしを 心に風の しむ身かな」 貞亨元年(1684)秋の作。2番目の句碑です。まさに今の時季に詠まれた句ですね。『野ざらし紀行』の旅の出立吟。

芭蕉翁の代表作の一つ「古池や 蛙とびこむ 水の音」の句碑の周辺で、ふと見上げると、紅葉のトンネルのようになっていました。

芭蕉句碑(ふるさと芭蕉の森公園)

伊賀市

「芭蕉句碑(ふるさと芭蕉の森公園)」を   >

芭蕉の森で3番目に出会う句碑です。同じ句を刻んだ句碑が、上野市街地の蓑虫庵にもあります。貞享3年(1686)春の作。芭蕉翁の代表作であるこの句は、作風「蕉風」を具現し、閑寂幽玄の風情を見事なまでに描いています。

4番目の句碑です。「旅人と 我名よばれん 初しぐれ」 貞亨4年(1687)冬の作。

句碑から目を上げて、あたりを見渡すと、何とも幻想的な雰囲気となっていました。緑や紅葉に囲まれた静謐な世界でした。

さらに進む(上る)と、散策路の舗装は消え、山道になります。5番目の句碑です。「行春や 鳥啼魚の 目は泪」 元禄2年(1689)春の作。この句碑は、舗装された散策路から少し離れた急な斜面にあります。杖が必須だと思います。やはり、入口で借りてきたら良かった。

もはや自然遊歩道と雰囲気は変わらず、カメラしか持ってこなかったのを後悔しました。でも、唐突に水飲み場があったりして、散策路にいる事が確認できます。この辺は「展望広場」と呼ばれていて、広場をループ状に遊歩道が囲んでいます。まずは脇道に行ってみます。

アップダウンの山道を100mほど進むと、句碑がありました。6番目ですね。「俤や 姨ひとり泣く 月の友」 貞享5年(1688)秋の作。(句意):「姨捨山の月を眺めていると、月夜に捨てられてひとり泣き暮したという老婆の幻影が浮かんでくる。今宵はその面影を月見の友とすることだ。 」山の中に入って少々心細くなっていたので、妙に納得してしまいました。

6番目の句碑を過ぎたら、また急な上り坂になりました。頑張って上りましたが、一番高いところまで行っても句碑はなく、がっかりして下り始めたらすぐに7番目の句碑がありました。

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」 元禄2年(1689)夏の作。「おくのほそ道」の有名な句です。山寺(山形県・立石寺)で詠まれた句です。そういえば、山道での急な坂の様子は山寺の参道に似ていますね。

8番目の句碑です。展望広場をぐるりと一回りして、先ほど右へ迂回した場所の近くにあります。「此秋は 何で年よる 雲に鳥」 元禄7年(1694)秋の作。

8番目の句碑の場所から、谷に下りる遊歩道があります。谷の向こうは、かつて比自山砦があった場所です。下りる途中、右手に休息所と句碑がありました。

9番目の句碑です。小さいです。「行秋や 手をひろげたる 栗のいが」 元禄7年(1694)秋、芭蕉翁が最後の伊賀逗留で詠んだ句です。この逗留の後、大阪で客死しました。【(句意)晩秋の山道には栗の毬が大きく割れたまま梢に残っている。去り行く秋を惜しみ、手のひらをいっぱいに広げて秋を押し戻そうとでもするように。 】芭蕉翁には、割れた栗のいがが自身を伊賀に押しとどめようとしているように見えたのかもしれません。

谷(菖蒲池と呼ばれる湿地になっています)を渡るために、さらに下ります。カエデが低いので、頭を下げて通ります。

谷を渡ったら紅葉は消え、周りは緑の竹林に変わります。最後の句碑を目指して、今までで最も急な坂を上ります。

上りきったら、何とも荒涼とした雰囲気の広場に行き着きました。かつて伊賀忍者たちが立て籠もり、織田軍に抵抗した最終防衛線(土塁)があった場所です。

10番目の句碑が広場のすみっこに、ひっそりと立っていました。かの、誰もがご存じな句でした。「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」 元禄七年(1694)冬の作。辞世の句だと思っていましたが、そうではなかったようです。まだまだ、あれもしたい、これもしたいと考えながら病の床で詠んだとされます。

常住寺

伊賀市

「常住寺」を   >

芭蕉の森と句碑めぐりを終えて戻る途中、紅葉の木々の中にお寺さんを見つけました。天台宗・平野山常住寺です。朱塗りの閻魔堂(県有形文化財)が美しいです。聞けば、常住寺の住職さんとご家族が、芭蕉の森の掃除や管理をしておられるとのことです。いわば芭蕉の森は、常住寺の境内庭園みたいな存在だったのですね。

朱色の閻魔堂と紅葉のカエデとの見事な融合。

鐘楼の向こうに、芭蕉の森の散策路があります。左の方へ下りていくと、駐車場があります。深まる紅葉と芭蕉句碑めぐりは楽しかったです。

紅葉のふるさと芭蕉の森・常住寺(伊賀市)

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