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こぼらさんの滋賀県の旅行記

冬の琵琶湖と大津・義仲寺(芭蕉句碑)

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先日、仕事で通りかかった湖岸道路(滋賀県守山市界隈)から見た、夕暮れの琵琶湖と琵琶湖大橋の眺めが素晴らしく、また来ようと思っていました。この小旅行で出直し、じっくり琵琶湖を眺め、琵琶湖博物館も見る事ができました。さらに琵琶湖大橋を渡り、大津の義仲寺にも行きました。義仲寺には源氏の武将:木曽義仲と、近江と義仲びいきで知られた俳聖松尾芭蕉の墓があります。自らの墓所として望むほどに、芭蕉翁は近江・琵琶湖・大津、そして義仲が大好きだったのです。それらの魅力を探ってみました。

グルメツウ こぼらさん 男性 / 50代

1日目2017年12月8日(金)

琵琶湖

守山市

「琵琶湖」を   >

前回来た時は、まさに太陽が比叡の山際に沈まんとしている時でした。風が強く寒かったですが、対岸に見えた比良山系と麓の夜景がとても美しく、強く印象に残りました。程なくして再訪できる機会に恵まれました。今回は、まだ明るいうちに到着できたので、おだやかな陽の光に照らされた琵琶湖や山々を見ることができました。泊まったホテルは、琵琶湖大橋東詰のすぐ近くにあります(写真右)。

琵琶湖大橋

守山市

「琵琶湖大橋」を   >

日が傾くにつれ、冷たい雨まじりの強風が吹き始め、いったん視界が悪くなりました。冬の時雨ですね。ホテルにチェックインする時は風が強すぎて、開けた玄関の扉が自動的に閉まらない状態でした。橋の上を通行する車は結構怖かったのではないかと思います。日暮れ時にいったん晴れ渡り、部屋から琵琶湖大橋が良く見えました。橋の向こうにそびえる比良の山々には雪がうっすらと積もっていました。

2日目2017年12月9日(土)

ヤンマーサンセットマリーナ

守山市

「ヤンマーサンセットマリーナ」を   >

宿泊したホテルからマリーナが良く見えました。さすがに冬なので、朝からボートを湖面に繰り出す人はおられなかったようです。博物館からの帰り道すがら、すぐ横を通った時に気が付きましたが、ヤンマーマリーナ内には高級レストランがあり、これを目当てにマリーナに来られるお客さんが多いようです。ランチのお品書きが、湖岸道路沿いのマリーナ出入口に立てられていました。琵琶湖の眺望を楽しみながらのランチは素晴らしいことでしょう。

琵琶湖博物館

草津市

「琵琶湖博物館」を   >

琵琶湖の歴史を学ぶことができます。人間の歴史だけでなく、琵琶湖そのものの歴史や琵琶湖水系に生きる動植物にも重点が置かれています。古琵琶湖(数百年前)時代、湖岸で暮らしていたゾウ(シガゾウ・ミエゾウ)の化石標本は、この博物館の見せ場の一つです。

琵琶湖のルーツ(古琵琶湖)は、今の三重県伊賀市あたりだったそうです。数百万年かけて形や規模を変えながら北上し、50万年くらい前に今の場所や形に落ち着いたのだそうです。古琵琶湖地層から発掘されたミエゾウの化石(複製)が陳列されていて、何となく琵琶湖に親近感を覚えました。ミエゾウと琵琶湖のルーツ地点は、私が住んでいる三重だったからです。

琵琶湖博物館

草津市

「琵琶湖博物館」を   >

琵琶湖博物館の2番目の見せ場は、近世における湖上物流を支えていた丸子船です。米俵なら200俵乗せられるという貨物運搬用の小型船です。展示されていたのは模型ではなく、実際に琵琶湖に浮かべて研究使用された事もある、本物の復元船です。

材質こそ木材ですが、近くで見ると現代のクルーザーのように精悍なデザインです。昔の絵を見ると遠近感やスケール感が乏しいので、もっと小さい船だと思っていました。どうしてどうして案外大きいですよ。ヤンマーマリーナに停泊しているプレジャーボートより大きい。

昔、湖岸でどのように使われていたのかを描いた復元図がリアルで、これまた味があります。映画の1カットを見るようです。

Q:これは何の写真でしょう?

A:水面に浮かんだカイツブリがフンをした瞬間です。水鳥のフンは沈むのですね。初めて知りました。身近にいる小動物でも、こうした展示の工夫で、知らなかった生態が観察できます。

琵琶湖博物館の外観。外からの見かけからは想像もつかないくらいに広い展示スペースを備えていました。

博物館の外には、湖岸の散策路や見晴らしの良い公園があります。自分が立っている場所のすぐ近くに水際があり、打ち寄せる波もありません。こういう感覚は、海岸では味わえませんね。

琵琶湖大橋

守山市

「琵琶湖大橋」を   >

琵琶湖博物館を楽しんだ後、琵琶湖大橋を渡って大津市へ。小型車からの眺めはお世辞にもほめられたものではない。車高がある四駆や観光バスだったら良いでしょうね。琵琶湖大橋は、遠くから琵琶湖の景色とともに眺めて楽しむものですね。

さっきまで居た琵琶湖博物館(守山市)が遠くに見えています。でも、欄干越しでしか見られないので、ちょっと不満。

義仲寺

大津市

「義仲寺」を   >

源頼朝との戦いに敗れた木曽義仲の墓と、側室の巴御前の供養塚があるお寺です。俳聖:松尾芭蕉の墓と代表作を刻んだ句碑、そして無名庵も境内にあります。 最晩年の芭蕉翁は、生まれ故郷の伊賀に逗留した後、既に体調を崩していたにも関わらず、大阪へ赴き客死しています。遺言により、この義仲寺に葬られました。墓所として指定したのは、俳聖として活躍していた江戸でもなければ、生まれ故郷の伊賀でもなかったのです。それ程までに芭蕉翁のお気に入りだった義仲寺がどういう所なのか知りたくなり、訪問しました。

山門をくぐり、拝観料を納めると、真っ先に芭蕉句碑が出迎えてくれます。句碑の後ろには芭蕉翁の俳風【蕉風体】のシンボルである芭蕉が植えてあります。冬なのに、よほど手入れが良いのでしょう、芭蕉もツツジも青々としています。 【行く春を おうみの人と おしみける】 春季の近江に滞在し、琵琶湖と近江の美しさを近江の人たちと一緒に堪能し、行く春を惜しんでいます。句には琵琶湖の名称は出てきませんが、「おうみ」だけで美しい琵琶湖と近江の国全体を表現しています。 この句だけでも、芭蕉翁が琵琶湖と近江がお気に入りだった事がうかがえます。

少し奥に進むと左手に、これまた芭蕉翁の代表作の句碑が。 【古池や 蛙飛びこむ 水の音】 江戸深川にあった芭蕉庵で詠まれたものと信じていましたが、句碑の後ろに無名庵(今は俳句道場)があるので、ここで詠まれたものだろうかと気になってしまいました。 お寺の方に尋ねたら、芭蕉庵で詠まれたものとのこと。不朽の名作を鑑賞するのに、江戸も近江も関係ないようです。

【古池や】の少し奥には、義仲寺と芭蕉翁、そして無名庵との関連を物語る有名な句があります。芭蕉翁の弟子:又玄(ゆうげん)の句です。 【木曽殿と 背中合わせの 寒さかな】 私は、「芭蕉翁が冬に亡くなり、木曽義仲の墓の裏側に葬られたのを見届けた又玄が写実的に詠んだもの」と解釈していました。でも、実際に行って見たら二つの墓は隣り合わせで、背中合わせではありませんでした。お寺の方に尋ねたら、芭蕉翁が存命中(亡くなる3年前)に詠まれたものとのこと。 「芭蕉翁は、近江に来訪した際は無名庵を宿所としていた。寝床の場所が、敬愛する木曽義仲の墓の裏側だった(足を向けては寝ない)。この句が詠まれた時期は旧暦9月中旬で、太陽暦なら11月中下旬だから肌寒くなっていた。伊勢より来訪した又玄が、そういう情景を見て詠んだもの。」という意味の説明をして下さいました。知らぬとは恐ろしいものだと痛感。同時に、お墓のすぐ近くで夜中ひとりで寝ていられたとは、いかに芭蕉翁が木曽義仲を敬愛していたかがわかりました。

さらに進むと、巴御前の供養塚があります。木曽義仲が戦死した後、敵である頼朝の家臣:和田義盛の妻になり、義盛亡き後は尼僧となった悲運のお方です。尼僧として、この地に草庵を結び、木曽義仲の菩提を弔っていたと伝わります。この際「われは名も無き女性」としか名乗らなかった事が「無名庵」の語源となりました。尼僧は、その後ここを去り、信州木曽で亡くなっているので墓ではなく供養塚となっています。

巴御前の供養塚の隣には木曽義仲の墓が。17世紀当時の無名庵の大きさや建て位置はわかりませんが、芭蕉翁が近江に来訪した際は、この墓の真裏にあたる部屋で寝泊まりしていたのでしょう。熱烈な義仲ファンでないと、そんなことはできないですよね。 どうしてそこまで義仲を敬愛していたのか、お寺の方に尋ねました。「義仲さんは無類の戦上手であり豪傑でもあったけれど、情が厚く涙もろい弱点があった。これは為政者としては失格であり、冷徹な頼朝さんによって逆賊扱いされ、討ち取られてしまった。芭蕉さんは、そんな人間くさい義仲さんが大好きだったようです。」と丁寧に説明して下さいました。

こちらが芭蕉の墓です。表示は「芭蕉翁」のみで、墓という文字はありません。丁重に扱われすぎて、石の柵に囲まれています。これでは牢に入れられているように見えて、芭蕉翁が気の毒に思えました。

木曽義仲の墓と芭蕉翁の墓とは、正確に言えば隣り合わせではありません。間に石碑が一つ立っています。石碑は、ちょっと見た限り100年前後しか経過しておらず、芭蕉翁没後かなり時代が下って建立されたものだと思います。失礼ながら、芭蕉翁にとっては野暮な存在かもしれません。落ちた紅葉が敷物のようになっていて、墓所に彩りをもたらしていました。

芭蕉翁の墓の奥に、墓所にふさわしいあの名句が粛然と立っています。 【旅に病んで心は枯れ野をかけ廻る】 辞世の句として有名ですが、死の直前(10月)に詠まれたものではありません。大阪逗留の初め頃(9月)に詠まれています。病で伏しているものの、癒えた後には旅を再開するのだという思いで詠んだとされています。実際は病は癒えず、結果的に辞世の句になってしまったと言うことです。もし、回復できたら義仲寺に向かうつもりだったのかもしれませんね。

芭蕉翁が祀られている翁堂。境内の一番奥の場所にあります。

翁堂の中の様子。孔子廟のような感じで、芭蕉翁が神格化されています。「俳聖」ですから、ご尤もです。思わず合掌して拝みます。左右の壁上には、高弟ら三十六俳人の肖像画が掲げられています。

翁堂の天井には、伊藤若冲が描いた天井画15枚12種類があります。2008年まで本物が天井を飾っていたそうですが、痛みが激しいためレプリカに交換されたそうです。

資料館ならぬ「資料観」にも入ってみました。芭蕉翁が使っていたと伝わる杖が展示されていました。思っていたよりも細いです。こうした愛用品が、死没地の大阪ではなく、この義仲寺に残されているのを見ると、芭蕉翁はいかに近江と義仲寺(無名庵)が気に入っていたかがわかります。

「資料観」の芭蕉翁肖像画。高弟の杉風(さんぷう)が、芭蕉翁没後に描いたものとされます。生前の芭蕉翁を知る門弟たちの間で、最も御本人に似ている絵だと評されたそうです。杉風は江戸の人で、芭蕉翁を経済的に支援していたそうです。 日本全国の大勢の門人やファンに支えられ、膳所や大津に逗留しつつ琵琶湖の眺めを楽しんでいた芭蕉翁の姿が思い浮かびました。

冬の琵琶湖と大津・義仲寺(芭蕉句碑)

1日目の旅ルート

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