こぼらさんの岐阜県の旅行記
岩村城跡と城下町&水車の小里川ダム
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岐阜県恵那市にある岩村城跡。岩村城といえば、戦国時代に女城主がいた事と、「岐阜のマチュピチュ」と呼ばれる趣がある石垣がある事の二つしか知りませんでした。戦国時代には活躍したものの、江戸時代には廃城になっていたと勘違いしていました。 行って初めて知ったのですが、明治初期まで美濃岩村藩3万石の城として機能していたのです。山城なので、石垣までは取り壊されずに大半が残されたのです。苔むして美しい石垣となり、日本三大山城や日本百名城の一つとして注目されつつあります。 立派な商家が何軒も立ち並ぶ城下町も見てきました。帰り道に小里川ダムにも寄り、日本一大きな木製水車も見てきました。
三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代
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- 1日目2018年3月22日(木)
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マチュピチュという言葉のイメージが強すぎて、古代の城跡だと思っていました。初めて来て、解説パネルを読んで明治初期まで存在していた城郭跡だと知りました。 かつて女城主として活躍したのは「おつやの方」という人物ですが、織田信長の叔母さんだったのですね。 美濃を支配していた信長が、信濃・武田の脅威にさらされていた岩村の城主を取り込むために、嫁がせていたのです。城主が病没した後に、女城主として活躍しました。織田の一員としての立場を捨て、岩村を守るために武田と和したので、今でも地元の人たちから敬愛されています。でも、これを恨んだ信長によって処刑されてしまったという悲しい結末があります。
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見所が14ヶ所もある、立派な史跡公園です。この辺りの標高は710mを超えています。城下町からここへ来るには、1キロ程の坂道を歩いて上らなければなりません。ただし、本丸近くの出丸には車で行くこともできます。出丸には広い駐車場とトイレ、休憩所があります。ただし、途中の道はかなり細いので大型車は乗り入れ不可です。
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苔むした石垣が複雑に重なっています。マチュピチュと呼ばれるのも理解できます。 わずかでも櫓や土塀が残っていたら城郭のイメージが強くなり、マチュピチュではなくなってしまうでしょうね。 地元の方に教えてもらったのですが、岩村の人たちは維新後に出された廃城令を律儀に守り、建物を徹底的に壊したのだそうです。昭和になって城ブームが到来すると、少しでも建物が残っていたらと残念がっていた時期もありました。でも、美しい石垣が評価される時代になって、ほっとしているのだそうです。
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岩村城跡で最も知られた見所「六段壁」。もともとは土塀しかなかった斜面に、崩落防止のため石垣を次々と追加していったのだそうです。
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本当に6段ありました。マチュピチュ遺跡にも、こういう場所がありますよね。写真でしか見たことがありませんが。
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私たちは出丸駐車場に車を駐めて、本丸から城下町の方へ下りる逆流コースにしました。写真は、追手門と八幡神社の間にある、なだらかな道です。下の方には、もっと険しくなる所もあります。
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岩村城の出丸から城下町へ車で移動するには、城山を大きく迂回して行きます。山間にある城下町なので、大したことはないだろうと高をくくっていたのですが、立派な街でした。昔ながらの城下町の様子が、今でも良く残されています。
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地酒「女城主」の岩村醸造。岩村城の廊下に使われていた部材が、ここの廊下に流用され残っているそうです。
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こちらも現役バリバリの水野薬局。昔は旅籠で、明治には板垣退助が宿泊した事もあったという。
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この城下町は、今も現役として活躍中の商家が多いのが特徴。見かけは古風でも、ゆるい活気が感じられます。
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岩村城下町では、毎年3月1日から4月3日まで、約70カ所でお雛様を飾って展示します。展示される雛人形は、江戸期から代々伝わる由緒あるものが多いそうです。写真は木村邸の「みせ」に飾られていたお雛様。
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木村邸の「なかみせ」に飾られていたお雛様。現在は東京にお住まいの、木村家ゆかりの方が寄贈したものだそうです。歴史を感じさせるお雛様です。
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木村邸。無料で見学できます。解説もしていただきました。 江戸時代は、岩村藩領内きっての御用達問屋(今で言う総合商社)であり、大富豪であったらしい。藩の求めに応じ、多額の貸し付けや藩内の産業育成もしていたという。藩主も一目置いていて、度々訪問していたとのこと。
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ふすまや障子を開けると、中庭から表通りが見通せるようになっています。藩主が来訪した時は、途中の部屋を廊下として使い、奥座敷までストレートに進めるようにしていた。途中の部屋には警護の武士たちが控えていて、自動ドアよろしく、ふすまの開け閉めをしていたのでしょう。
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木村邸の歴史は岩村藩の歴史でもあります。木村家が、岩村藩にどれだけ貢献し支えてきたかは中に入ってみるとわかります。 中庭には大きくて立派な土蔵と酒造蔵があります。1863年に、城山の材木を拝領して建てられたそうです。藩に貸したお金の返済として、材木を貰い受けたと考えるのが妥当でしょう。 1863年といえば明治維新目前の幕末時代。全国の諸藩は借金で首が回らなくなり、なりふり構わず商業を奨励し税収増をはかっていた時期です。そんな頃に多額の投資をして酒造業を始めているのです。木村家にとっては選択権はなかったと思います。
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勝川家邸宅の土蔵。木村邸と同様に中庭にあります。明治初期、岩村城が取り壊された際に出てきた木材が払い下げられ、この土蔵に流用されたそうです。 勝川家は山林と農地を多く所有する商家として幕末に台頭し、藩財政に貢献したそうです。岩村藩は、城下の殖産興業に熱心だったのですね。
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無料で中を見学できます。「紺屋」と表示されていたので、染物工場だったのでしょう。1780年頃に建てられたそうです。立派な建物ですが、木村邸や勝川邸とは違って、町家という趣がします。
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岩村城下町の町家見学は、どこも午後4時30分までのようです。私たちは、土佐屋に門限ぎりぎりの28分に入ってしまい、係員に「もうすぐ閉めますよ。」と注意されてしまいました。この写真を撮影するだけで精一杯でした。
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日本一の木製水車がある道の駅として知られています。野菜売り場には、意外に県外産が少なからず並んでいて驚きました。 食堂は午後5時で閉まりますが、この販売所は6時まで営業しています。
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小里川ダム管理事務所前から見た「道の駅おばあちゃん市・山岡」と水車。
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日本一の木製水車。直径24メートルで、最初見た時は観覧車かと思いました。風が強かったので、風下にいると水車から水の飛沫が降ってきて大変でした。 ここに日本一大きな水車が造られたのは、この地域では古くから陶石用の砕石を製造するのに水車が利用されていた事と、 小里川ダムによって水没した地域には多くの水車があった事に因んだそうです。 この地域の治水と産業の歴史を表現したモニュメントです。
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写真手前のアーチ橋は、小里川ダム・発電所の完成によって廃止された水力発電所に使用されていた、石造「興運橋」が移設保存されたものです。 橋がまたいでいる巨石も移設されたものでしょうか。興運橋がどういった場所に架かっていたのかわかりますね。
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恵那と瑞浪には多くのダムがあります。その中で、平成16年に竣工した小里川ダムは最も新しいダムです。 ダム湖を見渡せる公園付近には梅や桜がたくさん植えられています。桜の開花には早すぎましたが、梅は八分咲きになっていました。
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小里川ダムの堤体上は、小型車が交差できる道路になっています。地域の住民にとっては、対岸に簡単に移動できる経路となっているようです。 午前11時から午後4時まではダムの中も無料で見学できるそうです。新しいダムですし、内部まで見せてくれるダムは珍しいので、楽しそうです。あらためて見に来ることにしました。
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ダム見学だけなら、ダム近くの駐車場を利用するだけで済みます。でも、どうせなら「道の駅おばあちゃん市・山岡」に駐車して買い物をし、ダム湖や大水車を見ながら、この吊り橋を渡って見学に行くといいでしょう。
岩村城跡と城下町&水車の小里川ダム
1日目の旅ルート
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