こぼらさんの愛知県の旅行記

東三河ぶらり旅A
- 1日目2018年6月2日(土)
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現地では「幸せの鐘」という表示になっています。カップルが二人で鐘を鳴らせば幸せになれるというスポットです。 背後に太平洋の海原が見え、海風が吹きわたる清々しい場所です。
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伊良湖岬は、寄りやすい観光地です。恋路ヶ浜の傍らに無料駐車場がありますし、いくつも飲食店があります。駐車場には、伊良湖岬の散策マップが掲示されています。恋路ヶ浜・伊良湖岬灯台・万葉の歌碑・いのりの磯道など、心地よい潮騒を聞きながら散策できるビュースポットがたくさんあります。
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駐車場から伊良湖灯台に向けて歩くと、すぐに心地よい潮騒が聞こえてきます。潮騒に耳を傾けながら振り返ると、恋路ケ浜が展望できました。奥の岬の上には伊良湖ビューホテルがあります。このホテルに宿泊すれば、朝日も夕日も絶景が見られそうですね。
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灯台へは、こんな南国っぽい散策路を通って行けます。「いのりの磯道」と呼ばれています。沖に見えるのは神島(三重県鳥羽市)です。現地で直に見ると、写真よりも、もっと近くに感じます。
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渥美半島の最先端・伊良湖岬にある灯台です。青い海・青い空を見つめて海岸に立っているような姿を見ると、白いロングドレスを着た女神様みたいな神々しさが感じられます。絵になりますよね。それもそのはず、「日本の灯台50選」のひとつなのだそうです。
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決して大きくはない灯台です。灯台に触れてみたいと思いましたが、アプローチ手前はチェーンバリアが阻んでいて、近寄る事すらできません。少し離れた場所から、その美しい姿を眺めるのが一番良いと思います。
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灯台の近くの高台には万葉の歌碑があります。そこへ上がるための石段がありますが、ご覧の通り、かなり急坂であるうえ雑草が伸びてきています。ちょっと躊躇いましたが、歌碑を見たいので上がりました。
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天武天皇の御代、伊良湖に流されたと伝わる麻続王(おみのおう)に因んだ歌が万葉集に収められており、それを刻んだ碑です。 この歌碑には、伊良湖に流され不自由な生活を送る麻続王を悲しんだ里人が「打ち麻を 麻績王 海人なれや 伊良虞の島の 珠藻刈ります」と歌ったのに対し、麻績王が答歌として「うつせみの 命を惜しみ浪にぬれ 伊良虞の島の玉藻刈り食む」と詠んだ和歌が刻まれており、パネルで解説されています。 伊良湖は、観光で来るには風光明媚で素晴らしい場所ですが、生活物資の補給を絶たれた貴人が、一人で自給自足の生活を送るには大変に厳しいものがあったでしょうね。
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麻続王がどういう皇族だったのか、いくつか説があるようです。奇抜ですが納得がいくのが、大友皇子だという説。公式的には、皇位継承をめぐり国を二分して戦われた壬申の乱で、叔父の天武天皇に負けて自害された事になっています。でも、天智天皇の皇太子だったお方ですので、戦に負けても命までは取られず流されたとしても不思議ではありません。時期も、壬申の乱が672年だったのに対し、麻続王が伊良湖に流されてきたのが675年であり、これも矛盾しません。さらに、乱当時の大友皇子は近江朝を継いでいましたから、おみのおう」とは「近江の王」を意味しているような気がします。
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伊良湖岬灯台から急階段を上がり、万葉の歌碑を見て駐車場に戻る途中で、こんなに眺望が良い場所がありました。見えているのは、太平洋そのものです。ここでも、海辺で潮騒が心地よく響いているのが聞こえてきます。
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岸壁に見立てた茶色い建物に、海と波に見立てた青いガラス壁が押し寄せている景色がモチーフになっていますね。良いデザインだと思います。フェリー乗り場と一体になった道の駅は珍しいですね。中のフードコートでは、大あさりの料理がPRされていました。
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写真の右側がフェリーチケットカウンターで、左側がフードコート。他の道の駅では、まずお目にかかれないレイアウトです。 ここを訪問したのは土曜でしたが、6月初旬だったせいか、チケットカウンターの前はがらがら。でも、フードコートを大きく下がらせているので、観光シーズンには大勢が並ぶのでしょうね。 三重県の鳥羽・志摩・松坂方面と田原(伊良湖や渥美半島)との間を行き来するなら、このフェリー(鳥羽〜伊良湖)を使うべきです。
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正面入口から入ると2階フロアにつながる3階構造になっています。1階は、フェリー乗り場と「やしの実博物館」になっています。2階は、フードコート・売店・フェリーチケットカウンター・展望休憩コーナーで構成されています。3階は大規模団体客向けの予約制食堂となっていました。
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売店の様子。おもちゃや人形などみやげ物が主に並んでいますが、地元で採れた素材を加工した食品も多いですね。「伊良湖のり」や「ふわふわメロンパン」など。
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「ふわふわメロンパン」。マスクメロンの網模様みたいに塗られたペーストはメロン果肉と同じ色で、本物のメロンのような香りもします。パン生地は、シフォンケーキのように柔らかい感じです。 レジでは、このメロンパンを買い求めるお客を多く見かけました。
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やしの実博物館
田原市
無料で入館できる博物館です。入ると「ザ・ココナッツバンド」と題した、可愛い椰子の実人形たちが展示されていて、子供向けかと思ってしまいます。 実際は、博物館よりは学習館と表現した方が正しいような、伊良湖のいろいろな事を純粋に学べる施設でした。伊良湖の看板である椰子の実が漂流するエリア「ココナッツ・ベルト」が表示された世界地図、クジラの骨格標本、さらには先史時代の遺跡から発掘されたという人骨まで展示されていて、ためになるやら不気味やら。おそらくレプリカなのでしょうけど。
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椰子とか椰子の実といっても、色々な種類があり、実の形も結構違っている事も学べます。
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伊良湖に因む文人や学者の解説パネルコーナーもあります。田原藩出身の渡辺崋山、伊良湖を詠んだ松尾芭蕉と西行法師、「やしの実」の島崎藤村の名前が並んでいました。 写真の人形は松尾芭蕉と思われますが、ちょっと痛いですね。これでは100歳近いおじいちゃんです。記録上の芭蕉は、43歳の時に伊良湖に来遊して騎馬で走り回り、50歳で病死しています。伊良湖に来ていた時は、もっと若い出で立ちだったと思うのですが。
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日本の歌百選の一つで、島崎藤村作詞・大中寅二作曲「椰子の実」の歌詞と譜面が刻まれた碑です。「椰子の実」は文部省唱歌だと思い込んでいましたが、今でいうNHKの「みんなのうた」(当時は「国民歌謡」というラジオ番組)で放送されて広まった歌だったのですね。島崎藤村が詩を作ったのは1898年、大中寅二が作曲したのは1936年との事ですから、40年近いギャップがあります。島崎藤村は1943年までご存命でしたから、歌を聞いていたでしょうね。
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日出園地の西端にあり、伊良湖ビューホテルから歩いてすぐの場所です。伊良湖岬方面からでしたら、国道42号線で東へ向かい、伊良湖ビューホテル入り口を過ぎてすぐの場所に駐車場がありますので、そこに駐車して歩いて行きます。国道を渡り、日出園地や日出石門に通じる長い階段を下る途中にあります。日出石門と併せて見に行くと良いでしょう。
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椰子の実の記念碑を通り過ぎて、浜辺まで階段を下りきると目の前に登場します。恋路ヶ浜から見ると風穴がある岩礁が見えますが、ここではありません。日出の石門は浜辺と地続きになっています。でも、どちらも石門と呼ばれているようです。 写真では大きさを表現しにくいですね。手前から見ると遠近感覚の錯覚で、幅10m程度の岩にしか見えません。歩いて近付くと50m程度はありそうな巨岩である事がわかります。
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遠くからだと、風穴に近付くには、岩を踏み越えなくてはならないように見えます。でも、狭いですが砂地の平坦な通り道があって、歩いて中に入っていくことができます。
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石門(風穴)には、大人が屈まずに立って歩ける高さがあります。足元の砂は海水を含んで柔らかいので、足を取られないよう気を付けて下さい。
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石門の直下は、波が打ち寄せる砂浜になっています。波の音が石門に反響して、良い音色を楽しませてくれます。海の方には、風穴がある島が見えます。恋路ヶ浜から見えた風穴のある岩礁です。
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石門の直下から西の方を見ると、神島(三重県)が見えました。
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これはハマナデシコでしょうか?内陸では見かけない花です。 黒潮が近くを流れているため、伊良湖は年中気候が温暖です。このため、防潮林の植物は南国発祥のものが多く、南洋の海岸にいるような雰囲気がします。
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伊良湖から浜名湖まで約50kmにわたり、真っ直ぐな海岸線が続いています。「片浜十三里」と呼ばれています。
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日出の石門から東の方に、緑の防潮林と砂浜がまっすぐに続いています。砂浜に広がる砂や砂利は、遠く天竜川の河口より沿岸流に運ばれてここまで来ているのだそうです。
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鎌倉時代の初期、源頼朝によって東大寺が再建された際に必要となった瓦は、ここの窯で焼かれていました。ダム湖ならぬダム池である初立池のそばにあります。良質な粘土があったのでしょうね。 それにしても、東大寺再建に必要な瓦と粘土は膨大な量だったと思いますが、渥美半島の先端部分でまかない、奈良まで運ぶのは大変だったでしょうね。
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東大寺大仏殿の瓦が製作された後、窯は埋められてしまいました。今は、窯跡である事を示す表示があるだけです。3つの窯があったようで、跡は石で囲われています。 この辺りに窯があった事は昔から知られていましたが、遺跡が発掘されたのは近年の初立ダム建設の時だったそうです。夏場は草に埋もれてしまいそうです。
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この解説パネルは、「やしの実博物館」に掲示されていたものです。ここで焼かれた大量の瓦は、紀伊半島沿岸の海路と淀川水系の水運を使って奈良に運ばれたのですね。
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初立池公園
初立池の畔に整備された公園です。ここに行くには、手前の無料駐車場から300m程歩きます。行った時は「花しょうぶ」の幟が公園内あちこちに立っていて、花しょうぶの見頃でした。約7000本の花しょうぶが栽培されているそうです。
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初立池は、2010年に農林水産省によって「ため池100選」に選ばれました。ため池と呼んでしまうと、美しい公園や花しょうぶ園が整備されていますから、もったいないと皆が考えたのでしょうね。実用上でも、実り多い渥美半島先端部に農業用水を供給する大事な役割を果たしています。
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花が小さい品種らしく、近付かないとわかりませんでしたが紫陽花も咲き揃っていました。
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スイーツ&ジェラテリア バロック
まわりの自然が豊かな田原街道(国道259号線)を走っていると、乳牛の等身大置物が看板で、牛柄の自販機もあって目立つジェラート屋さんを発見。寄ってみました。
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これが乳牛の等身大置物。なかなかリアルな造りです。
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明るい店内の様子。外側にはテラス席もあります。ガラスに貼られた、てるてる坊主が可愛らしい。
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ダブル2つ(牧場ミルク・伊良湖岬、牧場ミルク・ラズベリーヨーグルト)を注文しました。一つ450円でした。牧場ミルクの味が濃厚で良かった。
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産直の果物・野菜市場「ふれあいマーケット」の充実ぶりが半端ないです。ところで「めっくん」とは、どういう意味なのでしょうか。調べてみたら、ここのマスコットキャラクターの名前が「めっくん」なのだそうです。
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入口に「田原めっくんはうす」の大看板がありますが、「田原」の文字の左に描かれているマークみたいなのが「めっくん」です。ハート形の顔のまわりに8本の腕があり、千手観音みたいな姿です。これらの腕は「芽」であり、花の芽・野菜の芽・むらおこしの芽・文化の芽・産業の芽などなど、田原を発展させるあらゆる芽なのだそうです。「芽っ君」=「めっくん」となりました。田原の人たちの熱い思い入れを感じるキャラクターですね。
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鮮度の良い、渥美半島の名産品であるメロンが、ごろごろと並んでいました。野菜売り場も、とても充実しています。トマト「桃太郎」の箱入り26個が800円なんて、とても安い。つい、メロンと桃太郎を買ってしまいました。 花や野菜も、これでもかという位に並んでいました。田原は実り多い所なのだなと思います。
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かつさと 田原めっくんはうす店
2018年3月に、道の駅「田原めっくんはうす」のリニューアルに伴い、「かつさと」田原めっくんはうす店が道の駅内にオープンしました。道の駅からは、内部通路で「かつさと」に入る事ができます。
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「かつ鍋定食」。メニュー写真では、とても美味しそうに見えたのですが・・・。
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スペイン石釜パン ぶどうの森 豊川店
豊川市
「ぶどうの森」「石窯」という名前と、店の外観に引き寄せられて入りました。「コロナの湯豊川店」や「コロナキャットボウル豊川店」の近くにあります。イートインコーナーがあるパン屋さんです。
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並んでいるパンのバリエーションが特段に多いという印象は受けませんでしたが、好きなパンを選んで、客席でコーヒーと一緒に楽しめるカフェと割り切れば、面白いパン屋さんです。
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スペイン石釜パン ぶどうの森 豊川店
豊川市
カフェと自称するだけのことはある、ちょっとお洒落な雰囲気の客席。こんな場所でくつろげてコーヒー1杯が108円とは、とてもリーズナブル。時間があれば、いくつもパンを選んで、コーヒーをお代わりしながら楽しみたい。
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スペイン石釜パン ぶどうの森 豊川店
豊川市
純生クリーム入りメロンパンとコーヒーをイートインスペースで頂きました。コーヒーは1杯108円で、メロンパンは162円でした。美味い・安い・くつろげるの三拍子が揃っています。一つだけ残念だったのは、イートインスペースの営業は土曜日でも午後5時までだったこと。私たちは4時半に入りましたので、長い時間居られませんでした。
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これまで近畿・東海にある国分寺跡と国分尼寺跡をいくつも見て回りましたが、復元された建物を備えた所は初めて見ました。それが三河国分尼寺跡です。 近年の発掘調査の結果、三河国分尼寺は全国でも最大級規模の国分尼寺であった事が判明したのだそうです。このため、中門を復元し資料館も整備したのでしょう。全国から歴史好きが来てくれる事を目論んだのですね。豊川市の英断に感謝したいです。 大きな礎石が並んでいるのを見るだけでは、立体イメージがなかなか湧きません。ここの中門を見れば、天平時代の国分寺や国分尼寺の門や回廊がどんな雰囲気だったのか具体的にイメージできますね。
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三河国分尼寺の裏側(北端)にあった尼房あたりから、中門方向を見ています。手前の礎石群は講堂の跡で、その奥に見える一段高い場所が金堂跡です。とてもきれいに整備された遺跡です。
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外回廊と内回廊で構成された回廊が、金堂を囲むように、中門から講堂まで続いていた事がよくわかります。回廊の礎石は、さすがにレプリカですが、内・中・外の三層構成で並べられています。
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こちらは、復元中門付近の回廊と礎石の様子。内・中・外の三層構成の礎石の上に、柱や建物がどのように建っていたのかが、とても理解しやすいように作られています。
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金堂側(内側)から見た中門。扉が内側に開いているところが、外側から見た場合との違いです。中庭には草一つ生えていません。とても管理が行き届いています。豊川市の意気込みが感じられます。 もともと三河国分尼寺跡の上には清光寺というお寺が建っていました。発掘調査によって三河国分尼寺が全国でも最大規模であったことが判明すると、清光寺を西へ移築させてでも、この史跡公園を整備したのです。豊川市は、国分尼寺史跡の整備で全国トップを目指したのでしょう。なかなかできないことであり、賞賛されるべきです。
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中門前の階段。高温で焼かれた「せん」という煉瓦や瓦を積み上げた構造(瓦積基壇)まで再現されています。この付近の様子は、色や形状など、近現代の煉瓦造りの洋風建築とあまり変わりません。でも、こちらは1300年近く前のデザインなのです。当時の技術やデザイン感覚が、いかに先進的であったか実感できます。
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三河国分尼寺跡から400mほど離れた場所にあります。国分尼寺跡とは違い、天平時代の様子をうかがわせる礎石群が全く見あたりません。唯一、平安時代に製作されたという銅鐘が後継寺院(現・国分寺)の鐘楼に残っているだけです。写真の右側に写っている鐘楼がそれです。写真中央付近の雑林になっている場所に、かつて金堂があったようです。
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天平時代の三河国分寺についての解説パネル。発掘調査によって判明した伽藍配置が掲示されています。寺域はかなり広かったようですが、配置が東に偏っています。また塔と金堂の配置が左右逆になっており、あまり国分寺らしくありません。三河国分寺は、塔の建立は早かったようですが、他の建物は称徳天皇時代以降に建てられたようです。塔建立後の数十年間で、計画が大幅に変わっていったのかもしれません。
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かつて塔があった場所や、講堂・回廊の跡の案内表示があります。三河国分寺の鎮守社であった八幡宮の案内もあります。天平の国分寺は平安時代に廃れてしまったようですが、八幡宮の本殿は室町時代に建立され現在に至っています。 表示板の、すぐ奥に西回廊跡があるはずですが、それらしい遺構は全く見あたりません。夏草が茂り始めていて、ただの空き地にしか見えなかったのが残念です。
東三河ぶらり旅A
1日目の旅ルート
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