こぼらさんの奈良県の旅行記

かぎろひ浪漫の大宇陀
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大和盆地の東方に位置する宇陀市大宇陀。古代には阿騎野(あきの)と呼ばれ、朝廷の薬猟・狩猟の地になっていました。皇子の狩猟に同行した柿本人麻呂が詠んだ和歌に因んで「かぎろひの地」とも言われます。元伊勢・阿紀神社もあります。 江戸時代には薬園が開かれ、薬品流通の一大拠点となっていきました。アステラス薬品・ロート製薬・津村順天堂など、誰もが知っている薬品メーカーの創業者は大宇陀の出身なのです。それだけに、薬の豪商たちが作った立派な町並みが残っています。こうした大宇陀の雰囲気を散策で楽しむにあたり、地元では「かぎろひ浪漫」と呼んで欲しいようです。 帰り道に、室生寺近くの龍穴神社にも寄りました。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代
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- 1日目2018年6月9日(土)
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アステラス薬品(旧藤沢薬品工業)の創設者・細川友吉の生家です。細川家は19世紀初頭より薬商を営んでいました。この旧邸宅は、薬の町・松山地区のシンボルの一つとなっていて、間口は8間半(約15.5メートル)と広いのが特徴です。 今は宇陀市が管理していて、大宇陀の歴史博物館として、藤沢薬品の歴史資料や、明治・大正・昭和の薬品や看板、チラシが展示されています。
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銅板葺き唐破風付きの「人参五臓丸・天寿丸」の看板が目を引きます。1835年のもので、日本最古の看板らしいです。これだけ手の込んだ(お金のかかった)造りで、江戸時代の看板としては、唯一無二ではないかと係員さんが説明していました。
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マニア垂涎の花王石鹸・ロート目薬・太田胃散などの古い看板がいっぱい展示されています。「猫いらず」(殺鼠剤)というのは商品名だったのですね。一般名称かと思っていました。 館内は畳の間となっていますが、このように古い看板が畳の上に並べられていて、見ていて飽きません。
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昭和初期のチラシ。目薬のチラシに戦艦の艦砲射撃シーンが使われるとは、時代の違いを感じます。遙か遠くの敵艦を観察しなくてはならない、水兵さんの目を守るのに有効と言いたかったのかなぁ。
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参天製薬の大学目薬は、現在でも販売されているんですね。犬のマークの清快丸は、どういう効用の薬だったのかわかりませんが、メーカーの盛大堂製薬は今もご健在だとか。
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藤澤樟脳(第一三共ヘルスケア)のパッケージは、今も薬局で見かけます。藤沢薬品創業時代からの商品とのこと。昔は鍾馗様がトレードマークになっていたんですね。 ところで、この鍾馗像は高さ2m以上あって、展示室になっている蔵の中で圧倒的なオーラを放っていました。
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この邸宅は薬商の大店だったので、最盛期には奉公人も含めて何十人もの大所帯でした。煮炊きものの量も多く、いくつもの鍋釜を同時に効率よく取り扱えるような炊事場になっていました。今でいうシステムキッチンですね。
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この町並みで最も古い建物とされるのが「山邊義徳家住宅」です。江戸時代中期のものらしい。規模は間口7間(約12.7メートル)。
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「山邊義徳家住宅」の向かいには「川尾家住宅」(写真左側)があります。江戸時代末期の建築とされます。元は豆腐屋だったようですが、現在は専用住宅になっています。菱形の虫籠窓を備えているのが特徴です。 町並みの電柱や電線が気になってしまいますが、目立たないような色にしてあったり、ランタン風の街灯が付けられていて、地元の人たちの工夫が感じられます。
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宇陀市松山地区まちなみギャラリー「石景庵」は、古民家を改造して、1階がカフェ、2階がギャラリーになっています。宇陀松山の古い町並みに良く溶け込んでいて、景観を全く損なっていません。でも景観に溶け込みすぎて、真ん前に来るまでは、ここでコーヒーやランチ(この日のメインディッシュは野菜スパゲティ)を楽しめる店とは気付きませんでした。 地産地消をモットーにしたメニューになっているようです。2階のギャラリーは、ミニコンサートや展示会の会場になるようです。
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こちらは創業慶応2年という奈良漬けの「いせ弥」さん。味噌樽を用いた看板が面白いですね。
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甘羅は「かむら」と読みます。飛鳥時代、壬申の乱に起ち上がった大海人皇子が吉野を脱出し、最初に立ち寄った場所が甘羅(大宇陀あたり)だった事に因む名前です。後に天武天皇となった皇子と后(持統天皇)は、たいそう阿騎野と甘羅を懐かしみ、離宮と狩り場を設け、阿紀神社を移築するなど、とても大事にしたそうです。 そんな歴史情緒を楽しみながらの食事は楽しいものです。
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道の駅・宇陀路大宇陀とは棟続きですが、レストラン部分は別の建物になっています。道の駅のフードコートとは異なり、静かで落ち着いた雰囲気です。 4月の花見シーズンにも大宇陀に来たのですが、れすとらん甘羅は満員で入口前には待ちのお客さんの行列ができていて、フードコートを利用するしかありませんでした。今回は、混み合いもなく入れました。
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奈良は三輪そうめんが有名ですので、「にゅうめん丼ぶりセット」をオーダーしました。丼を「丼ぶり」と書いてあったので、ちょっとびっくり。わずかな追い金でアフターコーヒーがオーダーできます。
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奈良時代、大宇陀本郷あたりは「阿騎野(あきの)」と呼ばれていました。元伊勢といわれる阿紀神社の名前は、阿騎野が語源になっているのでしょう。 崇神天皇の御代(564〜632)、近くの「照巣」(てれす・大宇陀本郷)で4年間、天照大神が祀られていたそうです。これが元伊勢です。その後、持統天皇が高天原(今の神社の前方にある丘陵地)に遷し、さらに平安時代に今の場所に遷座しました。 平安時代以降の建物ですが、元伊勢と呼ばれるだけあって、伊勢神宮に似ているなと思わせる雰囲気が随所にあります。
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写真の通り、そんなに古い建築物ではありません。でも式年遷宮というしきたりが、ここでも踏襲されているならば、それも道理です。 伊勢神宮とは大きさが違うとはいえ、本殿と拝殿の様子や雰囲気が良く似ています。
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本殿は唯一神明造り南向きで、鰹木が10本上がっています。本当に伊勢神宮と同じです。これだけ歴史と格式を有しているのに、郷社という扱いなんですから不思議です。
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神社の傍を流れる、手水場を兼ねた本郷川。伊勢神宮なら五十鈴川という事になるのでしょうか。手を清められる程に水が澄んでいるとは言えなかった。
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阿紀神社の前方にある丘陵地(山林?)の頂上付近には、かつて阿紀神社が鎮座していた場所があり「パワースポット高天原」と呼ばれています。 私たちは山道を登って行こうとしたのですが、行く手を大きめの獣(猿?鹿?)が横切ったのと、倒木がふさいでいたので、断念して引き返しました。
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「パワースポット高天原」への登山口にあった解説パネル。天照大神様を祀る場所は、最初は「照巣」(てれす・大宇陀本郷)だったのを、持統天皇が「高天原」に遷し、さらに平安時代に今の場所へ遷座した事になりますね。本当に元伊勢だったのは、照巣(大宇陀本郷)という事になります。
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万葉集に収録されている柿本人麻呂の代表作【東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ】(ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ)の歌碑がある公園です。この和歌を人麻呂は、この場所で詠んだとされています。万葉の世を思わせる雰囲気の東屋で、和歌を味わいながら一休みするのもいいでしょうね。
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炎=朝陽で真っ赤に染まった空=「かぎろひ」という情景が印象的です。こんな情緒を味わえるように、人麻呂が詠んだ場所と思われる丘陵地に公園を設けて「かぎろひの丘万葉公園」と名付けたようです。 人麻呂の歌の情緒を真に味わうには、ここへ日の出の頃合いに来るのがいいのかもしれませんね。
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行った時は、ちょうど伸びてきた雑草や芝を刈っている真っ最中でした。そのせいか、ゴルフコースと茶店の東屋みたいだなと思いました。
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人麻呂がここに来たのは、朝廷の狩り場だった阿騎野に行幸された軽皇子(文武天皇)に随行してのこと。近くには皇室の離宮もあり、狩猟の途中に皇族が休憩する場所として、こうした建物がここにあったとしても不思議ではないと思います。
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古代に阿騎野と呼ばれた大宇陀の本郷。近くに又兵衛桜もあるので、溜池とはいえ何かいわれがあるのかと考えて行ってみました。 行ってみると、灌漑用の貯水ダムが作られてできた人造湖でした。浮見堂もあって、それなりに景観に配慮した貯水池です。大宇陀の農業は、ここの水を使って成果を出しているのですね。大宇陀周辺は、古来より干ばつや洪水など治水で苦労してきたようです。今では想像もつきませんが。
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最初は昭和10年の築造で、思ったよりも古い。老朽化したので昭和49年に改修されています。そこからでも44年が経過しています。
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堤体の上を歩く事はできますが、フェンスが張り巡らされていてダム湖面に近付くことはできません。湖畔では、雑草取りのための臨時アルバイトでしょうか、山羊2匹が草をはんでいました。
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4月上旬には、大変に素晴らしい枝垂れ桜を見せてくれていた又兵衛桜ですが、すっかり葉っぱだけになっていました。でも、花が葉になっただけで、ほとばしる滝のような姿は変わりません。やっぱり今でも、遠くから見ても目立ちます。
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室生寺前の県道を500mほど南東方向へ道に沿って進んだ場所にあります。室生寺よりも古い歴史をもち、水の神「龍神」が祀られています。奈良時代から平安時代にかけて、朝廷から勅使が遣わされて雨乞いの神事が営まれていました。龍穴神社の神宮寺が室生寺であった時代もあるくらいにステータスが高かったようです。 古代の宇陀は、現在でこそ山林多く湿潤な場所というイメージがありますが、水が不足しがちだったのでしょう。 境内には、樹齢千年以上と思われる杉の大木が文字通り林立していて、とても厳かな雰囲気がします。
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参道を進むと拝殿に至ります。一般参拝者は拝殿から拝みます。龍穴(りゅうけつ)という詞の響きや、巨木が放つ力強さを感じ、神域として畏まってしまう雰囲気があります。
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拝殿の奥に本殿があります。本殿は鮮やかな朱塗りの春日造り一間社。1671年の建立で、奈良県の指定文化財です。 本殿領域の周囲は玉垣や柵で囲われていて、一般参拝者は立ち入ることはできません。本殿領域内には、関係者や氏子は立ち入りが認められているようで、石段の参道が設けられています。それでも本殿前までしか進めないようです。本殿は、さらに朱色の垣で囲われているからです。
かぎろひ浪漫の大宇陀
1日目の旅ルート
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