こぼらさんの三重県〜奈良県の旅行記

伊勢本街道 多気宿・北畠神社
- 1日目2018年10月14日(日)
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いかにも旧街道の峠道という雰囲気です。平成8年に「歴史の道百選」に指定され、峠道はカラーアスファルトで舗装されたようです。舗装直後は美しかったのでしょうが、今は少々色あせて黒ずんできているのが気になります。しかし、この状態の方が旧街道らしい感じがしますから不思議です。
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奥津宿と多気宿との間には飼坂峠という、街道一の難所と言われた峠道がありました。伊勢本街道は、伊勢国南部と奈良・京都とを結ぶ最短コースでしたので、この峠は難所であると同時に要衝でもあったのです。峠の東側(伊勢側)に城を築けば、西国からの侵入を防ぐ事が容易となります。これに着目したのが、伊勢国の国司であった北畠氏です。峠の近くの山に居城を構えて、二百数十年間にわたり伊勢国を治めていたのです。 かつての難所は、現在は国道368号線とトンネルに置き換わり、あっという間に通過できるようになっています。
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飼坂峠から街道を下っていくと、すぐに多気宿の西側・谷町に至ります。谷沿いに商家や旅籠が立ち並んでいたので谷町と呼ばれたようです。谷町周辺は、往時の宿場町の様子がよく残っています。さらに進むと多気宿の中心であった町屋となります。
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飼坂峠の麓を振り返ったところ。江戸時代の最盛期には、伊勢神宮をめざして、毎日ここを幾百人幾千人の旅人が通っていたと考えると感無量です。 往時の賑わいや喧噪が想像できます。また、難所の峠を越して多気宿の町並みが見えてきた際の、旅人たちが感じた安堵は察して余りあります。
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さらに進むと北畠神社や美杉ふるさと資料館のある通りに至ります。
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公家大名だった北畠氏ゆかりの神社です。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座しており、伊勢国司として南朝護持に尽くした北畠顕能公を主祭神とし、父・親房公と兄・顕家公が配祀となっています。写真は拝殿です。
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どういう由緒によるものか、拝殿の正面では天狗が参詣者を睥睨しています。魔除け天狗と呼ばれているようで、奉納絵馬の意匠になっていました。
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北畠氏は、顕能公の時代に伊勢国司に任ぜられ、南朝護持のために45年にわたって戦い続けました。京都の奪回も2回に及んだといいますから、兄の顕家公ともども勇猛な武将です。
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朱が鮮やかな本殿。決して古い建物ではありません。1928年(昭和3年)10月に新造されたものだそうです。 後醍醐天皇と南朝を支えた親房公・顕家公・顕能公の父子3名に対する評価は、時の為政者の都合によって変遷したようです。織田信長の謀略によって北畠氏が滅亡(1576年)した後、この地には100年近く何もない時代があったそうです。 江戸時代になり、ようやく末裔によって、顕能公を祭神とした北畠八幡宮が設けられたといいます。南朝の忠臣だった事が評価され、現在の立派な社殿が建立されたのは昭和になってからです。昭和3年の天皇即位の大礼の日(11月10日)に、別格官幣社に列せられたとのこと。
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北畠顕家公の像。顕家公は、幼い若宮を奉じて陸奥の地に下向し、後に大軍を率い強行西進して足利尊氏を破り、京の都を奪還した猛将として有名です。でも若干21歳で討ち死にしている事から、薄幸の若武者としてのイメージもあります。 北畠氏が歴史において大きく存在を示したのは、こうした南北朝争乱の世です。私は、書物では吉川英治の歴史小説「私本太平記」しか読んだことがありませんが、これを原作とした大河ドラマ「太平記」も思い出深いです。 顕家役を後藤久美子が演じ、父親である親房役を近藤正臣が好演していました。
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境内には部分的に紅葉が進んでいるところもありました。手水場は、その建屋が朱塗りなので、もみじとマッチしています。
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公家大名であった北畠氏にふさわしい、趣のある太鼓橋。
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国指定名勝・北畠氏館跡庭園。16世紀中頃に北畠氏が滅亡した後も、この庭園は埋もれずに残っていたそうです。池は、北畠氏滅亡の前、16世紀前半に造営されたものだそうです。入園には300円が必要ですが、空気が澄んでいて、とても心地よい庭園です。
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公家でありながら戦国大名でもあった北畠氏の庭園なだけに、雅さと荘厳さとを兼ね備えています。楓が赤く色づいた風景を想像すると、11月にも来なければと思ってしまいます。
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兼六園など、江戸時代に造営された庭園とは趣が違います。苔むした岩からは歴史を感じますし、池の石組みからは野趣というか力強さを感じます。
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庭園の築山に大木を配置しているのは珍しいと思います。地面を覆う苔を傷めないように、大木を剪定管理するのは大変ですから。樹齢400年以上だそうです。上手に管理しておられますね。
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ここに平成初期まであった旧美杉村立多気小学校の跡地に造成されたのが美し郷・霧山です。山門のようなゲートの場所には、昔は校門があったのでしょう。「津市森林セラピー基地 多気北畠拠点施設 津市ふるさと資料館」の表示が出ています。 開設当初は、様々なアトラクションが設けられていて利用料が必要なものもあったようです。現在は入園無料で、公園と資料館のみの施設となっているようです。でも、森林セラピー基地って、どんなだったのでしょうね。
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できたばかりの頃は、レクリエーション施設として焼き杉体験教室など催し物が頻繁に開催されていたようです。旧美杉村が、かつては北畠氏の本拠地として、また伊勢本街道の多気宿として賑わった往時の繁栄を後世に伝えようと考えて造った施設でしょう。現在は、日曜日でも訪れる人は少なく、とても静かです。
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美杉ふるさと資料館。寺院の宝物殿のような建物です。入館は無料です。 北畠神社の近くにあり、中世から戦国時代にかけて伊勢国を支配していた北畠氏の史料が多く展示されています。
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北畠氏の居城の復元模型。資料館の入口正面に陳列されています。居城は「多芸(たげ)御所」と呼ばれていたようです。いかにも公家大名の居城らしいですね。標高560mの山頂に築かれ、霧山城とも呼ばれていました。 北畠氏は南北朝時代に南朝に与し、伊勢国司となるや公家大名に発展し、居城が御所と呼ばれる程に繁栄しました。室町時代となっても足利将軍の支配は及ばず、戦国大名としても威勢をはり、北畠氏の栄華は戦国時代まで続きました。
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資料館の内部。平成初期に建てられたので、展示の仕方が少しばかり古風に感じられます。大型モニタやプロジェクションはありません。 でも、本物の文物が間近に見られるように展示されており、丹念に準備された資料館だと感じます。旧美杉村の歴史や地理を紹介しています。
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やはり美杉の誇りは北畠氏なのですね。北畠顕能公の像と、北畠氏の居城があった多気付近を示した古地図が圧巻です。「多気(霧山)城下絵図」と呼ばれ、中央上部に霧山城が描かれ、その下に城下の様子が描かれています。 残念なことに、この絵図は北畠氏が滅亡した後、江戸時代以降の作成または写しらしいです。
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旧伊勢本街道の多気・奥津宿あたりから、街道をさかのぼって奈良・御杖方面に移動しました。この春日神社は御杖村西部の土屋原にあり、街道沿いの高台に鎮座しています。実は、春日神社と名の付く神社は、旧伊勢本街道沿いに何カ所もあり、御杖村に2社、曽爾村にも1社あります。いずれも、鳥居の近くに大銀杏の木が立っています。 江戸時代、伊勢参宮の旅人は全ての春日神社に立ち寄っていたのでしょうか。 ここでは、鳥居横の大きなラッパイチョウが目立って、奥の社殿が目立ちません。訪問した時は、たまたま台風で破損した社殿の屋根にブルーシートが被せられていたため、社殿の場所がよくわかりました。
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鳥居と比べると、ラッパイチョウの木がいかに大きいかがわかります。
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9月に相次いだ台風によって、巨木の枝が折れて社殿上に落下し庇や窓が破損したようです。社殿前の石灯籠2基も倒壊していました。
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旧伊勢本街道沿いにある寺院です。曹洞宗の禅寺です。山門が素晴らしいです。 訪問前にネットで予備知識を集めておきました。弘法大師が、女人高野の候補地として建立し、後に本当に女人高野となった室生寺の別院となったというもの。 実際に訪問してみると、そういう難しい歴史的な背景は全く忘れてしまい、おとぎ話にでも登場しそうな雰囲気が気に入ってしまいました。安能寺全体から感じる柔らかさは、室生寺の伽藍から感じられる奥ゆかしい美しさと共通するものがあります。
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上部が鐘楼を兼ねた山門は、県の文化財に指定されているそうです。女人高野の候補地になっただけに、柔らかさや郷愁を感じる伽藍です。 18世紀初期に曹洞宗に改宗し禅寺になりました。山門は、その頃に建てられたものらしいです。
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伽藍と本堂はコンパクトにまとめられています。弘法大師は、ここを女人高野とするには手狭だと考え、室生寺に大伽藍を造営したようです。 弘法大師は、伊勢本街道を真言宗布教の主舞台と考えていたようで、街道沿いに数多くの寺院を建立し足跡を残しています。
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姫石の湯の幟。山間を縫うようにして走る国道368号線と、ほぼ旧伊勢本街道に沿うように走る国道369号線との合流点(三叉路)に姫石の湯はあります。
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帰り道に「みつえ温泉・姫石の湯」で一風呂。秋も深まり、山一つ隔てて西側にある「曽爾高原温泉・お亀の湯」は、すすき見物の観光客でとても混み合っていると考え、こちらにしました。案の定、混み合う事もなく、のんびり湯に浸かることができました。姫石の湯も、時間帯によってはとても混み合います。夕方は、2時間程食堂が休憩時間になっているので、その頃に温泉利用するのをお薦めします。 姫石の湯は、露天温泉からは周囲の景色は見られませんが、風呂そのものの造りが新しく綺麗な事も良いですね。 写真中央の三角屋根の建物には、広くてゴージャスな休憩室と食堂があります。その右側の仕切りの向こうに露天風呂や壺風呂があります。右端の建物の中に、サウナと屋内浴場があります。
伊勢本街道 多気宿・北畠神社
1日目の旅ルート
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