こぼらさんの三重県の旅行記

伊賀の霊山・霊山寺
- 1日目2018年11月15日(木)
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名阪国道(下り)にあります。隣に伊賀ドライブインがありますが、そこでは手前の山林に遮られて霊山は見えません。霊山が見えるように、この「道の駅いが」は建てられたのかもしれません。 写真は「道の駅いが」駐車場から撮影した霊山。この山の頂上が、今日の最終目標です。標高は766mで道の駅が海抜250mほどの場所にあるので、山頂には500mほど登るだけで済み、そんなに時間はかかりません。
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松尾芭蕉の業績を讃える俳聖殿(伊賀上野城公園内)をモチーフにしたデザインです。ただし、オリジナルに比べると思いっきり平ぺったい形です。この中にはレストランと農産物直売所が入っています。すぐ近くに伊賀ドライブインがあり、そこのレストランと競合している形になっています。
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霊山に登る前に、山の南麓にある白藤の滝に向かいました。昨年11月にも来ましたが、その時は直近の台風の影響で枯れ枝や倒木が滝壺まわりに陣取っていて、余り見栄えは良くありませんでした。今年は、趣はありましたが滝の水量が少ないという印象でした。例年だと、遠くからでも滝が流れ落ちる音が聞こえてきますが、今年は近付かないと聞こえませんでした。周囲の紅葉は、11月下旬以降が見頃のようでした。
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落差15mの滝です。写真よりも直に見る方が大きく感じます。今年は流量が少なめで、ひとまわり小さく見えました。 滝壺のまわりには、赤茶色の広葉樹(主に桜)の落ち葉がありました。11月中旬なのに、カエデの葉だけは鮮やかなグリーンでした。
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白藤滝の紅葉
伊賀市
去年は11月上旬に行きましたが、ほとんど紅葉は見られませんでした。今回は中旬でしたが、滝の上の方に少し紅葉が見られる程度でした。やはり、11月下旬以降がピークですかね。そういえば去年の口コミでも、そのように書いていました。
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滝の傍を通る道では、こんなに色づいてきているのですが。滝壺周辺は微妙に気温が高いのかもしれません。
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伝教大師・最澄の開基と伝わる黄檗(おうばく)宗の禅寺。最澄が活躍した時代ですから、由緒は9世紀前半までさかのぼる事となります。当時は霊山の山頂にあり、天台宗の七堂伽藍の大寺で、広く信仰を集めていたようですが、天正伊賀の乱により焼失してしまったそうです。17世紀に、霊山の中腹に黄檗宗の寺として再興され、今に至っています。天正伊賀の乱で焼失を免れた十一面観音菩薩像が本尊です。 伊賀の古刹名刹は、ほぼ全てが織田信長によって焼かれてしまいましたが、800m近い山の頂にあった寺まで焼いてしまうとは、その執念には恐れ入るばかりです。 本堂前には県天然記念物のオハツキイチョウの大木があり、黄金に色づく様子は有名です。
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霊山寺本堂とイチョウの大きさを見比べて下さい。本当に大きなオハツキイチョウです。樹齢300年以上、高さは32m以上・幹周り4.2mあるそうです。オハツキイチョウは「お葉付き銀杏」と書きます。葉にコブのように果実が付くことから名付けられています。1996年、三重県の天然記念物に指定されました。
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オハツキイチョウ全ての葉っぱに果実ができるわけではなく、大方の葉っぱは普通の形をしていましたし、普通のギンナンもたくさん落ちていました。葉っぱにできるギンナンは、普通のものよりも小さめで細長い感じでした。
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霊山寺本堂前の手水場の屋根は、敢えてそうしてあるのかもしれませんが、傷んできています。ただ、その傷んだ様子から何とも風情が感じられるのです。イチョウの黄色い落ち葉を被っていると、苔の緑と相まって、殊更に味が出ます。
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霊山寺は、霊山の登山口なので、門前には広い駐車場や大きな公衆トイレが設けられています。境内周辺や沿道には桜の木が約500本植えられているそうで、桜の花の名所としても地元では知られています。 秋には、本堂前にあるオハツキイチョウの巨木が黄色く色づくことで有名です。11月中旬はジャストのタイミングだったようで、イチョウの葉っぱを屋根にかぶせた鐘楼は金色に輝いているように見えました。
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幹周り4.2mの巨木が、石垣の際に立っています。地中深く根を下ろしているのでしょう、石垣を歪めていません。 そんな大イチョウの足元には、黄色い落ち葉と多くの石仏が並んでいて、なかなか絵になっていました。
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霊山寺から霊山に移動しました。写真は、霊山山頂付近のなだらかな車道の様子です。 山頂に行くには、霊山寺境内から山道を上る遊歩道ルートと、名阪国道・柘植IC付近から車で行くルートがあります。遊歩道ルートは、近年相次いで来襲した台風によって、途中が崩落して荒れている部分があると聞きました。 このため車で山頂を目指すことにしましたが、思っていたよりも急勾配で、最大で10°近くあったと思います。しかも普通車1台がぎりぎり通れるだけの道幅しかなく、道のすぐ脇には、渓谷の断崖が迫っていたり、蓋のない排水路が口を開けていて、少しでも油断しようものなら立ち往生が避けられない状況でした。また、200〜300メートル毎に対向車とすれ違える場所が設けられてはいましたが、こんなに急勾配の道をバックで上がり下りする事は困難で、対向車が来ないことを祈るしかありません。幸い対向車はありませんでしたが、かなりの緊張を強いられて神経が衰弱しました。
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霊山の頂上の様子です。頂上全体が、伊賀盆地を一望できる展望台であり、寺院の遺跡でもあります。 9世紀前半から17世紀後半までの800年余り、最澄が開基した旧霊山寺は、この山頂に鎮座していました。七堂伽藍の大寺だったそうですが、その遺跡なのです。現在は、山頂公園として整備されています。
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霊山山頂には、旧霊山寺があった事を示す遺跡があります。旧霊山寺は、織田信長の伊賀攻め(第2次天正伊賀の乱)で焼かれた後、こうした遺跡のような姿になったのです。旧霊山寺にあった石灯籠や五輪塔の一部が、今も遺されています。 左に写っている洞窟のような構築物は、現在の霊山寺の奥之院です。中は石室になっており、聖観世音菩薩像が祀られています。この聖観世音菩薩像は、17世紀に黄檗(おうばく)宗の新霊山寺として中興開基された際、但馬弥四郎藤原秀種(津に住んでいた仏師?)が1674年に製作したものです。石造の台座には、「永仁3年(1295年)5月10日」の銘が入っているらしいです。台座は旧霊山寺のものを使っているのですね。
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奥の院の石堂には、聖観世音菩薩が祀られています。思わず、無事に車で山頂まで来ることができた事へのお礼と、無事に帰り着くことができるよう祈りました。 石堂の前は、山頂周辺でにわか雨に遭遇した時などに備えた避難小屋のようになっていました。
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山頂に聳え立つ、電波通信中継施設。ここに来る際に通った手強い車道は、これを建設する時に必要となり、急いで作られた規格外道路だったのでしょう。建設中は、車が対向する事がないように、上がり下りを規制していたと思われます。
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山頂から西を望むと、手前に柘植の町並み、奥(左奥)には伊賀上野の市街地が見えます。出発する時に、霊山を見上げていた「道の駅いが」も視界に入っているのでしょうが、どれかわかりませんでした。 伊賀上野が山に囲まれた盆地であることが良く観察できます。
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頂上から南を望むと青山高原が広がっています。秋らしい風景でした。
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霊山山頂から青山高原(伊賀市側)風力発電施設が良く見えました。ずいぶん起伏の激しい尾根の上に風車を設置したものです。写真の左隅には、津市の市街地が見えています。
伊賀の霊山・霊山寺
1日目の旅ルート
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