こぼらさんの和歌山県の旅行記

根来寺周辺〜紀伊国分寺跡
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根来寺に参拝した後、ほど近い場所にある旧和歌山県議会議事堂や、ねごろ歴史資料館に寄りました。根来寺の歴史を学ぶなら、お寺よりも歴史資料館に行く方が、パネル展示でわかりやすく解説されているので効果的だと思いました。 その後、史跡紀伊国分寺跡歴史公園に寄りました。紀伊国分寺跡の見所は瓦積みの基壇飾りです。七重塔・金堂・講堂などの礎石が乗っている基壇の四方が、煉瓦を整然と積み上げ仕上げられているのです。しかも、天平時代から土中にあった煉瓦が観察でき、復元版の煉瓦と見比べる事もできるようになっています。 講堂跡には、江戸時代に建てられたという後継国分寺の本堂もあります。史跡公園として整備された時に、他の場所から移設されたものです。この公園内の建物はこれだけですから、瓦積み基壇飾りと併せて見るといいでしょう。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代
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- 1日目2018年11月23日(金)
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和歌山県会(県議会)の旧議事堂。明治31年に、和歌山城の近くに建てられました。現存する最古の木像和風の旧議事堂として、文化財価値が高いのだそうです。 明治44年には夏目漱石が「現代日本の開化」と題した講演をしたこともあるそうです。 昭和13年まで県会議事堂として使われた後、ここに落ち着くまで3回移築されているそうです。 今なぜ根来寺の近くにあるのだろうと思いましたが、2回目の移築では根来寺境内に建てられ、寺の大客殿として50年間活躍してきた事情がありました。 2012年から2016年の保存整備事業大改修によって、3回目の移築で現在の場所に落ち着き、建築当初の姿にこだわって復元されたそうです。
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議場内部の様子。何か催し物があるようで、職員さんがスタッキングチェアを並べているところでした。学校の体育館みたいな感じでした。
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この建物が現役の議場だった頃の様子を再現した模型が陳列してありました。正面中央の床の間・唐破風飾りは、国旗を飾るために設けられていたのですね。
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「旧和歌山県会議事堂」や「道郎の駅 ねごろ歴史の丘」と同じ敷地内にあります。言い換えると、観光スポットに併設された資料館です。無料で入館できます。 その割にと申し上げると失礼ですが、展示手法が現代的で素晴らしい資料館に仕上がっていると思います。根来寺の歴史が、とてもわかりやすく展示されています。
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根来寺を開創した興教大師(覚鑁上人)像の写真パネル。覚鑁上人像は、根来寺の光明殿に安置されていますが、普段は拝見できません。弘法大師以来の学僧と評され、若くして根来寺を開創したお方ですから、像も沈着冷静でインテリジェンスが感じられる顔立ちになっています。 鳥羽上皇が覚鑁上人に帰依し、荘園を寄進して御願寺を建立させるなど様々な支援協力をする程に傾倒した気持ちが理解できる気がします。 文字情報だけではピンと来ない事柄でも、こうした写真や肖像を用いた解説パネルを見ると、理解しやすくなる良さがあります。
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展示室中央は「シアターゾーン」と呼ばれ、プロジェクター投影の水平スクリーンには、史跡根来寺を解説する動画が流されていました。スクリーンサイズは縦3m×横5.4mで大きいのですが、プロジェクタが少し非力で、ぼんやりとしか映らないのが残念でした。
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道の駅 ねごろ歴史の丘
ねごろ歴史資料館の隣に「道の駅 ねごろ歴史の丘」ができていました。平成29年12月にオープンしたばかりで、外も中もピカピカでした。
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「道の駅 ねごろ歴史の丘」の中の様子。他の道の駅と同様に土産物が並んでいましたが、野菜類は置かれていませんでした。 最盛期には1万人もの僧兵がいた根来寺に因んで、ゆるキャラ「そうへいちゃん」が生み出されたようです。かわいいながらも精悍な顔つきですね。日によっては、着ぐるみの「そうへいちゃん」が来てくれるのでしょうか。
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「道の駅ねごろ歴史の丘」のフードコートで扱われている「紀州ラーメン」。注文して待つこと数分、呼び出されたら受け取りに行くものと思っていたら、客席まで持ってきてくれました。こんな道の駅は初めてです。 紀州ラーメンは、和歌山ラーメンとは微妙に違うようです。このスープは、ちょっと見は味噌かと思えますが、色が濃いめのすっきり豚骨醤油でした。丼の内側が、お椀のように朱色だったので、味噌スープに見えたのかもしれません。麺は、和歌山ラーメンよりも少し細めで、博多豚骨ラーメンのようでした。
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駅舎の隣には、トイレと情報提供コーナーを兼ねた建物があります。情報提供コーナーは個性的で、和歌山県内の全ての市町村がそれぞれに作成している、観光客向けパンフやチラシが全て揃っています。各市町村が、和歌山県のどのあたりに位置しているのかを示す絵も付いています。こういうスポットは初めて見ました。 普通の道の駅なら、地元紹介の資料をメインに、せいぜい近隣の市町村のものを置くだけです。ここでは、和歌山県全体の地理や観光スポットを知る事ができます。
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根来寺参拝と「ねごろ歴史の丘」を見て回り、お腹が空いたので寄りました。 和歌山県は近畿地方なので、大阪風のお好み焼きが主流なのかと思いきや、決してそうでもないようです。ねごろさんの近くにも広島焼きの店がありました。 ねごろさんには、食事として広島焼きを食べに来るお客さんが多いようです。土曜日の正午過ぎに入りましたが、家族連れのお客さんが数組おられました。
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自分たちがオーダーした広島焼きが、目の前の大きな鉄板で焼き上がっていく様子を見ながら待つのは楽しいですね。写真は、クレープ状生地の上に具材を積み上げて焼き、返したところです。広島焼き特有の姿です。
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地元では、けっこう知られている広島焼き屋さんのようです。写真は、スペシャル豚玉子入り・エビベーコンイカ天(1,080円)。祭の屋台なんかで買ってくるのは別として、お店で食べる広島焼きは20年ぶりでした。麺が入っている広島焼きは、食べ応えがあって楽しいですね。 ここの広島焼は、うどんの組み合わせが評判良いようですが、そば(ラーメン)との組み合わせも捨てがたいですね。そういう声に応えて、「うそ入り」というメニューもありました。うどんの「う」と、そばの「そ」で「うそ」。うどんとラーメンが半分ずつ入っているのです。一粒で二度美味しいというやつですね。
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国分寺跡の近くには、国分寺に特化した資料館や博物館が設けられている事が多いです。紀の川市も、こうした立派な資料館を設けています。 他の施設では200円程度の入館料が必要な場合が多いですが、ここは無料で入館できます。これは、とても大切な事だと思います。 わずかでも入館料を徴収すると、国分寺跡に関心を持ったとしても、見に行くのを諦めてしまう人も出てくるからです。
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天平時代の国分寺を再現した模型を展示している所は意外と少ないのです。リアルな模型を作るには、それに見合う礎石や遺構、出土品が揃っている事が必要だからです。 紀伊国分寺跡の発掘調査では、良好な結果が得られたのでしょうか、立派な再現模型が展示されていました。
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資料館の北側が、紀伊国分寺跡歴史公園になっています。車で来られた方は、資料館の駐車場に停めて、歩いて国分寺跡に行けます。
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七重塔をはじめ金堂・鐘楼・経蔵・中門・南門などの主要な建物の礎石が、建立当時のまま残されています。僧坊跡には、柱のレイアウトが再現されています。 礎石が乗っている基壇の四方には、瓦積みの飾りが付いていました。この瓦積み飾りが見事に復元されているのが、紀伊国分寺跡の見どころです。 紀伊国分寺跡には、江戸時代に建てられたという後継国分寺の本堂がありますが、史跡公園整備の際に他の場所から移設されたものでした。講堂跡の基壇の上に、ぽつんと江戸時代風の本堂が立っていて違和感を感じますが、これも後世のものとはいえ国分寺なのです。
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金堂跡(手前)の向こうに講堂跡があり、その上に後継国分寺の本堂が立っています。根来寺や粉河寺の本堂と同様に、二重屋根です。復元された講堂なのだろうかと思いましたが、どう見ても天平時代の様式ではありません。 公園の隣にある紀の川市歴史民俗資料館で調べたら、江戸時代に建立された後継国分寺の本堂を移設したものでした。 最初の国分寺は9世紀の終わりには焼失し、講堂があった場所には宗派の違う寺院が5回も建てられていたのです。5回というと多く感じますが、700年間での事なので、妥当だと思います。ここに最後に建立された寺院は、根来寺の末寺だったために、秀吉の紀伊攻めの際に焼かれてしまったそうです。その後、後継国分寺は他の場所に移転し、本堂も江戸時代に復興されました。この公園が史跡公園として整備された際に、本来あるべき場所に戻そうという事になり、移築されたという物語がありました。
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七重塔跡の礎石と基壇。この上に高さ50m程度の七重塔があったのです。塔はありませんが、史跡公園としては一番の見どころになっています。 かつて七重塔を支えていた17個の礎石は天平時代のものですが、礎石が乗っている基壇は復元されたものです。基壇の四方は、崩落しないように煉瓦が積まれています。この工法が、白鳳時代から天平時代にかけて建立された建物が渡来人の技術に依存していた事を示している点で歴史的価値があるのです。 七重塔跡には、天平の瓦積みの基壇飾りが残っていて、観察できるようになっています。
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地味ですが、紀伊国分寺跡歴史公園の一番の展示物です。七重塔跡の基壇飾りの一部に、建立当時のままの瓦積み煉瓦が残されています。「瓦積み」と呼ばれる、薄い煉瓦を積み上げた基壇飾りです。 天平時代の瓦積み基壇飾りはガラスで覆われていますが、復元版と見比べることができるようになっています。復元版は厚みが大きいです。薄くても丈夫な煉瓦を作る技術レベルは、現代よりも当時の方が高かった事がわかります。 日本の基壇飾りは、平安時代以降は煉瓦を用いず石積みが専らになります。その方が施工が楽で頑丈なのかもしれませんが、仕上がりの美しさは瓦積みに軍配が上がります。約1300年も昔に、こうした高い技術が求められる工法を用いていた事には驚嘆させられるばかりです。
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講堂跡の裏側には、僧坊跡があります。どこの国分寺跡を見ても共通していますが、僧坊は掘立柱の簡素な建物だったようで、礎石も柱も残っていません。代わりに、柱のレイアウトだけ復元されていました。
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無料で通行できる自動車専用国道(京奈和自動車道)沿いにある道の駅。正確には、ICから一旦出る形で道の駅に入ります。下の道からアクセスする客も利用できるようになっているからです。もっとも、無料の道ですからICから出ようが入ろうが関係ないのですが。 将来、京奈和自動車道が全通した時に有料化する話もあるので、その時に備えた作りになっているのでしょう。
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販売コーナーに並んでいるのは、野菜と果物がメインです。
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食堂で注文した和歌山ラーメン。3年ぶりの和歌山ラーメンでした。道の駅の食堂なので、余り期待はしていませんでしたが、嬉しい誤算になりました。麺もスープも、そして風味も本物の和歌山ラーメンでした。それで1杯500円は安い! 嬉しい誤算を詳しく説明します。和歌山駅前のホテルで宿泊し、付近の専門店で本場の和歌山ラーメンを堪能するつもりだったのですが、諸々の事情で食べ損ねたまま帰途につき、ここに寄りました。期待はずれになるかもしれないが、せめて和歌山で最後の立ち寄り先となる「道の駅かつらぎ西」で、和歌山ラーメンと名の付くものが食べてみたかったのです。本物だったのでハッピーエンドでした。ごちそうさまでした。
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食堂の様子。閉店時間が迫っていたので、お客が少なかった。メニューは少なくないので、昼間は大勢のお客が利用していると思います。
根来寺周辺〜紀伊国分寺跡
1日目の旅ルート
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