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こぼらさんの岐阜県の旅行記

円空仏と向かい合う 岐阜羽島

  • 家族(親と)
  • 3人〜5人
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 格安旅行

円空仏と聞けば、縄文時代の火焔土器や岡本太郎氏の太陽の塔のように、作者の気持ちがほとばしり出ているような、荒削りで力強くも微笑みをたたえた仏像をイメージしていました。仏像でありながら芸術品・工芸品のようにも思っていました。 岐阜羽島の大須観音と徳林寺に参拝したら、レプリカでしょうが円空仏が本堂前に置かれており、羽島が円空の生まれ故郷であることを知りました。それで関心を持ち、近くの長間薬師寺や円空資料館に寄ったところ、柔和な顔立ちで繊細な仕上がりの円空仏を拝み見る事ができました。自分が知っている円空仏とは全く作風が違っていました。思わずしゃがんで合掌した自分は、円空仏を芸術品や工芸品としてではなく、無意識に本物の仏像だと認識したのです。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2019年1月14日(月)

大須観音

羽島市

「大須観音」を   >

羽島市桑原町大須に鎮座する真福寺。聖観世音菩薩を本尊とする真言宗の小さな寺院です。所在する地名により、通称は大須観音と呼ばれています。 名古屋の大須観音と名称が同じですが、ここが元祖だと聞きました。名古屋の大須観音は、もともとはこの場所にあったのですが徳川家康が移したのだそうです。真福寺には立派な由緒、本尊や寺宝に加え、貴重な蔵経がある事を家康が知って移設を決めたとの由。 名古屋の大須観音や大須という地名は、ここを引き継いでいる事を知り、驚きました。 家康は真福寺に来ているそうです。当時は、戦国時代の争乱や木曽・長良川の氾濫により堂塔は全て荒廃・流出してしまっていたそうです。家康は、さらなる水害で本尊や蔵経までもが失われるのを防ぐために、名古屋に移そうとしたのかもしれません。

大須観音

羽島市

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私たちが参拝に来ているのがわかったのでしょうか、ご住職らしいお方が普段着のまま出てこられて、扉を開けて下さいました。御開帳の日ではないので、御本尊の聖観世音菩薩像は厨子の中におられました。天井のはめ絵が鮮やかです。 由緒書を見ると、真福寺は鎌倉時代に建立され、南北朝時代には全盛期を迎えたそうです。当時は大変に大きな影響力を持っていて、美濃・伊勢・尾張・三河・遠江・近江の真言宗寺院は全て、この寺の末寺だったそうです。

真福寺は美濃四国八十八カ所の三十三番札所。すぐ隣には、同じく三十四番札所の徳林寺が鎮座しています。本堂の前に円空仏(レプリカ?)が置いてありました。 徳林寺の御本尊は円空仏なので、お隣のよしみで真福寺の前にも円空仏が立てられているのですね。 私は知らなかったのですが、円空の生まれ故郷は羽島なのだそうです。

徳林寺

羽島市

「徳林寺」を   >

羽島市に鎮座する徳林寺。円空作の不動明王像を本尊とする真言宗智山派の寺院です。羽島の大須観音(真福寺)と隣り合わせで建っています。二つのお寺の間を仕切る塀や柵はありませんので、同一のお寺と思えてしまいます。 御本尊が円空仏なので、本堂の前にもトーテムポールのような円空仏が置いてあります。多分これはレプリカでしょう。

徳林寺の正面にも参道が設けられています。真言宗らしい形の本堂です。 羽島は木曽川と長良川の両大河に挟まれた土地ですので、昔から河川氾濫による洪水の被害に遭ってきました。徳林寺も、幾たびも被害を受けてきたそうです。少しでも被害を受けにくい場所だったのか、ここへ1951年に移築されたそうです。 真福寺と隣り合わせになったのは、近年のことだったのです。

鮮やかな朱色の向拝。近年、改修がなされたのでしょう、真新しい感じがします。古くて歴史のある鰐口しか見たことがなかったので、新しい時には光り輝く事を初めて知りました。

薬師寺

羽島市

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羽島市にある長間薬師寺。浄土宗の寺院です。円空の生誕地の近くなので、円空作の本尊・薬師三尊像を含む9体が安置されています。これらの円空仏は岐阜県の重要文化財に指定されています。 ここの薬師三尊像は、円空仏としては趣や作風が大いに違っています。

薬師寺

羽島市

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本堂内は撮影厳禁だったので、ご住職に頂いたクリアフォルダの写真で説明します。 ここの薬師三尊像(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)は、円空仏らしくない柔和なお顔立ちをされており、仕上げも鑿跡がほとんど見あたらず滑らかです。このような円空仏を拝見するのは初めてで、仏像として自然に拝むことができ、とても気に入りました。 薬師三尊蔵は、祭壇上にある厨子の中に安置されているので、外陣でしゃがんで遠目に拝見するしかありません。厨子の前面はガラス張りになっていますが、薬師三尊蔵は決して大きくはない上に黒っぽいので、外陣からは顔立ちなど詳細が見えません。困ったなと思っていたら、ご住職が本堂に入ってみえて内陣(厨子の前)まで進むよう促して下さいました。おかげさまで、1mと離れていない距離から拝見することができました。

薬師寺境内にある由緒書「長間薬師寺の伝説」。ここに掲示されている円空仏は、薬師三尊蔵といっしょに厨子の中におられる護法神像6体のうちの1体の姿です。これが世間一般でイメージされている円空仏の姿ではないでしょうか。薬師三尊蔵は、明らかに作風が違います。共通しているのは、独特の柔和な笑みです。

中観音堂・羽島円空資料館

羽島市

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円空の生誕地とされている場所にあります。 お寺なのか資料館なのか、判別がつきにくい施設です。写真左側の建物が中観音堂で、2階に17体の円空仏が展示されています。中観音堂の前には「蓬莱山有宝寺」という表示も出ています。右側の建物の2階が資料館になっています。1階は研修室です。 入館料は300円ですが、安く感じました。中観音堂に入ると、御本尊?(中心展示物?)の十一面観音像はじめ17体の円空仏を解説する5分間ほどの解説を聴くことができます。その後、十一面観音像を目の前にして、学芸員さん(ご住職?)による懇切丁寧な説明が得られます。その上で、資料館に入って円空の足跡を学ぶという形式です。 資料館にある円空仏は大半がレプリカですが、中観音堂には本物17体がずらりと並んでいます。

中観音堂。ここの2階が中観音堂で、十一面観音像はじめ17体の円空仏が展示されています。でも展示という表現がはばかられます。十一面観音像が中央祭壇上に祀られ、脇侍のように左右各8体の円空仏が並んでいるからです。まるで寺院の本堂祭壇のようです。 寺ではなく観音堂と呼ぶのは、この地で円空が仏像の彫造に励んでいた時代は新たな寺を造営するのが禁止されていたからです。仕方なく集会所のような建物を建てて、置物として円空仏が据えられ、その前に皆が集まり拝んでいたのだそうです。 資料館は写真右手の建物です。中観音堂からは、ベランダ通路を渡って入るようになっています。

中観音堂・羽島円空資料館

羽島市

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写真は、ここの御本尊である十一面観音像。中観音堂は撮影禁止ですので、薬師寺で頂いたクリアフォルダに印刷された十一面観音像を紹介します。 像の高さは222cmで、小さなものが多い円空仏の中では、とても大きい部類だと思います。大きさもさることながら、仕上げの繊細さ・表面の滑らかさも、他の円空仏とは大きく違っています。十一面観音像を前にして、思わずしゃがみ合掌しました。芸術品や工芸品としてではなく、まさに仏像として見たのです。 作風の違いが気になり調べてみました。初期の円空仏は「古典的な造り」で、仕上げが丁寧なのが特徴だそうです。円空は30歳頃から仏像を彫り始めたようですが、この頃から40歳代半ばまでの作風が、こうなっているとのことです。学芸員さんの説明では、この十一面観音像は円空が40歳代前半の頃、故郷の羽島に戻ってきていた時に彫造したものとのこと。初期作風の代表作ということになります。

国内各地を訪ね、生涯に12万体の仏像を彫造したと伝わる円空。修行を重ねるにつれて作風が大きく変わっていた様子が、レプリカ円空仏を並べて、解説されています。 円空は44歳の時に修行のため大峰山に赴きましたが、それ以降作風が変わったと説明されています。木の切断面、木の節や鑿跡がそのまま見える簡素な仏像が増えたのです。製作過程を簡略化し、より多くの仏像を彫ることに重きを置くようになったのです。 円空は、洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家し、全国を行脚する放浪の旅に出たお方です。行く先々で次々と仏像を彫り、困っている人々に手渡していたとされます。より多くの仏像を彫造し、大勢の人々を救済することが亡き母への供養と考えていたのでしょう。

円空が30歳代後半に、東北地方や北海道に渡った頃に彫られた仏像。初期の作風とされています。皆さんが知っている円空仏のイメージとは違うと思います。とても柔和な表情で、繊細でなめらかな彫りがされています。 自分も含め多くの人が思い描く円空仏の姿は、44歳の時に大峰山(奈良・吉野)で修行を積んでから形作られた作風であるようです。

中観音堂・羽島円空資料館

羽島市

「中観音堂・羽島円空資料館」を   >

写真は「中観音堂・円空資料館」駐車場に設けられたレプリカ像です。看板的な像なので、高さが3m近くあります。 これが、円空が大峰山での修行を終えて帰ってきてから(45歳以降)の作風です。世間に広く知れ渡っている作風でもあります。鑿跡が鋭く残り、独創的で力強く、素朴な美しさや親しみが感じられる作風です。

中観音堂・羽島円空資料館

羽島市

「中観音堂・羽島円空資料館」を   >

資料館と中観音堂の前には円空仏(レプリカ)が並んでいます。初期の作風の像もあれば、大峰山での修行を終えた時期以降の作風の像もあります。 大峰山以降の作品の顔つきが、近畿各地で見られる役行者像や脇侍の悪鬼像と、どこか似ているような気がします。 円空は大峰山での修行中、多数の役行者像を彫っていたそうです。大峰山の役行者といえば、呪術者として名高い役小角(えんのおずね)です。悪鬼を自在に操り働かせて、世間のためになる土木事業を実施していたユーモラスな人としても伝わります。円空は、役小角の超越した力に憧れて修験道に励んでいたような気もします。役小角と円空に共通しているのは、大勢の人々を救済するために自身の才能や能力を費やしていたことです。

中観音堂・羽島円空資料館

羽島市

「中観音堂・羽島円空資料館」を   >

資料館の隣には「円空上人産湯の井戸」があります。ただし円空の生誕地は、飛騨であるとも羽島であるとも言われ、不詳だとされています。 諸国をめぐり各地に12万体もの仏像を遺した超人的で謎に包まれた修行僧だったので、ここが円空の産湯の井戸だよと言われても、にわかには信じられません。むしろ、羽島は長らく木曽三川の氾濫に苦しめられてきた地域なので、井戸が残っている方が不思議に思えます。 羽島の人々が、諸国の大勢の民を救済した円空に親しみを込めて、ここで生まれ育ったのだと信じているのでしょうね。

1日目の旅ルート

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