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こぼらさんの富山県〜岐阜県の旅行記

世界遺産合掌集落 白川〜五箇山

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富山県へ2泊3日の旅に出かけました。初日は東海北陸自動車道で岐阜県を縦断する形で北上し、ユネスコ世界遺産の白川郷と五箇山の合掌造り集落を見てきました。 とても郷愁を感じさせる合掌造り家屋ですが、数世代の家族が住める大きさと豪雪に耐える強さを兼ね備えている構造に興味がありました。道の駅・白川郷の合掌ミュージアムには、本物の合掌造り家屋を半分解体したカットモデルがあります。ここで合掌造りの構造を見てから五箇山の合掌造り家屋を観察しました。 折悪しく台風の影響による雨が降っていましたが、靄たなびく合掌造り集落は幽玄な美しさを見せていました。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2019年6月29日(土)

道の駅 白川郷

白川村(大野郡)

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東海北陸道を白川ICで下り、国道156号線を北上することにしました。ICを下り左折してすぐの場所に道の駅・白川郷があります。さすがは白川郷の道の駅です、情報館やトイレがある建物の屋根は茅葺き屋根で覆われています。建物そのものは鉄筋コンクリート造りなので、茅葺き屋根を被せてあるだけですが。

道の駅「白川郷」のメイン施設は合掌ミュージアムです。写真左奥に見える茅葺きの切妻屋根は、情報館・トイレの建物に被せてある合掌造りのものです。

道の駅 白川郷

白川村(大野郡)

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まずは腹ごしらえ。合掌ミュージアムの中にある食堂に寄り、白川郷学園の生徒さんたちが考案した「白川郷いなり」を頂きました。炊き込み風ご飯を詰めたいなり寿司と、昆布をはさんだ握り飯風のいなり寿司の2個セットです。右側のいなり寿司に付いている赤い漬け物3つは、合掌造り屋敷の障子窓を表現しています。 大きくて一口では食べられませんので、箸を使って少しずつ頂きました。美味しかったですよぉ!

道の駅 白川郷

白川村(大野郡)

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大きな覆屋の中に、カットモデル家屋が展示されています。障子窓を見ると3階建てに見えますが、居住空間としては2階までの小振りな家屋です。 白川郷と五箇山の合掌造り集落の中で、合掌造りの構造が観察できるように本物の家屋を半分解体して作ったカットモデルが展示されているのはここだけです。しかも無料で見学できます。白川郷と五箇山のどちらに行くにせよ、構造に興味がある人には外せない場所です。

道の駅 白川郷

白川村(大野郡)

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写真は、カットモデル1階の床下と、軸組と呼ばれる頑丈な柱や梁・桁が組まれている構造を観察できるスポットです。 軸組は合掌造り家屋の基礎骨格部分で、専門技術を有する大工さんが作っていました。その上に、近隣住民たちが共同で組み上げる小屋組(合掌屋根を支える骨組み)が乗る構造になっています。 小屋組や茅葺き、さらには降り積もる雪などの負荷が1階の軸組に全てかかる構造なので、軸組に用いられる太い木材は組手で強固に組み付けされているのが観察できます。

道の駅 白川郷

白川村(大野郡)

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2階より上の小屋組部分のカットモデル。小屋組を組み付けている作業者の等身大人形と見比べると、茅葺きがいかに分厚いかわかります。 茅葺きの下地となる小屋組の骨格は、丸太を用いた合掌材を縦方向に、同じく丸太のヤナカ(横材)を横方向に巡らせ、格子状に組まれているのが見えます。 合掌造りの特徴である、軸組の上に小屋組が乗っている構造がわかりやすいです。 小屋組部分の組み立てや茅葺き作業は近隣住民同士の助け合いにより実施されたので、その様子を人形を使って再現しています。住民たちか加工する合掌材やヤナカは丸太材で、斧や手斧を使った粗い仕上げとなっているのも観察できます。

前の写真で撮影した部分を、内側から見ています。分厚くて重い茅を内側で支えている合掌材とヤナカの格子は、案外細い丸太材でした。合掌材とヤナカとの交差部分は、縄をグルグル巻きにして結束されているのがよく見えます。 格子の内側には、ハネガイというかすがいが斜めに取り付けてあります。また、重みで合掌材が内側に歪まないように、補強材として「合掌ばり」が水平に取り付けられています。

又首(さす)と呼ばれる合掌屋根の頂点部分。縄による結束が徹底されていて、釘などの金属部品は一切用いられていません。こうした柔軟な構造こそ、数百年にわたる風雪に耐えてきた強さの秘密なのでしょう。 2枚の合掌屋根の角度は地域によって微妙に違っています。白川郷では60°よりも少し大きい角度で、五箇山では60°または60°よりも小さな(鋭い)角度になっています。降雪量が多いほど角度が鋭くなるそうです。

合掌大橋

南砺市

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岐阜県と富山県との境を縫うように流れる庄川に架けられている橋です。長さは440m。橋の両端はトンネル出入り口になっており、その位置関係により橋は真っすぐではなく弓なりにラウンドした形となっています。 橋の半分は吊り橋になっていて、橋脚がありません。塔の形が合掌屋根に似せてあるため、合掌大橋と呼ばれます。

橋の富山県側(南半分)には橋脚がなく、吊り橋となっています。岐阜県側は橋脚を備えています。橋のラインは、橋の中程で緩やかに曲がっています。

合掌大橋

南砺市

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橋の中央部付近で庄川を見下ろした光景です。少しの間ですが雨がやみ、川面に靄がかかってきて神秘的な光景となっていました。ときおり車が通りかかるだけで、とても静かでした。

国指定重要文化財 岩瀬家

南砺市

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五箇山・白川郷では最大の5階建て合掌造り家屋です。家屋の大きさは、間口14.5間(26.4m)×奥行き7間(12.7m)×高さ8間(14.4m)もあります。約300年前に建てられました。国の重要文化財に指定されています。 入館料は、大人300円・小中学生150円です。近くに30台分の無料駐車場と趣きあるトイレがあります。

国指定重要文化財 岩瀬家

南砺市

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五箇山の合掌集落では、加賀藩に納める塩硝を作っていました。岩瀬家は、五箇山で製造された塩硝素材を集めて精製し、加賀藩の役人に上納する「上煮(じょうに)役」を代々勤めてきました。加賀藩の役人が毎年巡視に訪れたことから、役宅としても使えるように書院と奥書院があるのが特徴です。このため家屋は特別に大きく上質に造られています。 塩硝は鉄砲に用いる黒色火薬の主原料で、床下の土中に葉っぱや蚕の糞を埋め、5年かけて醸成させる工程がありました。土間の面積が大きいほど生産量を増やせるため、五箇山の合掌造り家屋は床面積が大きいと言われています。

入館すると囲炉裏端のある居間に通され、御当主より館の歴史について話してもらえます。囲炉裏端で熱い薬草茶を頂きながら話を拝聴していると、幼い頃におじいちゃん・おばあちゃんから昔話を聴き入っていた記憶が甦ります。

国指定重要文化財 岩瀬家

南砺市

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太く黒光りしている柱や梁。柱は一辺の幅が30センチもあるそうです。梁や桁、板間の床板も含め、全てケヤキ材を使用しているそうです。ケヤキ材は武家屋敷にしか使用を許されていませんでしたので、この家屋が加賀百万石の威光を内外に示すための存在でもあった事がわかります。 いま全てケヤキ材を使って、こうした家屋を新築しようとしても、こんなに太くて質の良いケヤキは国内を探しても滅多に見つからないだろうと御当主が仰っていました。

これが岩瀬家ご自慢の書院です。山深い五箇山にある、合掌造り家屋の居間にはとても見えません。武家それも大名クラスの屋敷にあるような書院です。加賀100万石の威光を示しているのでしょう。

梯子を使って中二階に上がり、1階を見下ろしています。ケヤキ材を用いた重厚で精密な仕上げの軸組となっているのがわかります。5階建てを支える軸組なので、木材がとても太く、加工も緻密です。写真の上端に写っている木材は、小屋組の下端であるシキゲタだと思います。

3階の様子。とても広く、古い町工場か貨物船の船倉にいるように思えます。ここで養蚕をしていたのです。 部屋の隅で、太い合掌材の下端をシキゲタが受け止めている造りが見えます。これだけ大きな家屋であっても、軸組と小屋組という合掌造りの基本構造は同じであることに驚かされます。 1階におられる御当主や事務所の頭上を歩かないように、見学者の通路にはゴザが敷いてあります。床は簀の子のようになっているので1階の様子が見えますし、埃が落下しないようにもしているのでしょう。 簀の子状になっているのは、1階の囲炉裏の熱が3〜5階にまで伝わるようにしてあるからです。3〜5階では養蚕をしていたので空気を温める必要があったのです。

国指定重要文化財 岩瀬家

南砺市

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4階の様子。さすがに部屋の幅が狭くなってきました。 3階も同様でしたが、合掌材がとても太い事と、ヤナカに相当する部材に加工精度の高い角材が用いられている事に感心します。しかも合掌材とヤナカの接合には縄による結束ではなく、木工組み手が用いられている事も特徴です。特に5階の床を支える桁を受け止めているヤナカと、合掌材との接合は組手になっていて、近隣住民の手によるものとは思えません。岩瀬家住宅では、軸組のみならず小屋組の骨格も専門大工が組み立てたのではないでしょうか。 岩瀬家家屋は、見かけこそ合掌造り家屋であるものの、実態は専門大工が手がけた大型建造物だと思います。

行徳寺

南砺市

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岩瀬家の隣に佇む、趣を感じる寺院です。浄土真宗の寺院で、蓮如上人の高弟・赤尾道宗(どうしゅう)が室町時代末期に開山したと伝わります。 楼門と庫裏が茅葺きとなっています。楼門は、岩瀬家家屋と同じ頃、約300年前に建立されました。

行徳寺

南砺市

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本堂は銅板葺きです。行徳寺は300年前に開山されたと伝わりますが、当時の姿をとどめているのは楼門と庫裏で、本堂は明治以降に改築されたものに見えます。 屋根や向拝の造りを見ると、もともと茅葺きだったものを銅板葺きに葺き替えたようには見えないからです。 300年前に、楼門と同時に建立された本堂は茅葺きだったと思います。庫裏のように合掌造りだったのかもしれません。

五箇山合掌の里

南砺市

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菅沼合掌集落の数百メートル手前(白川側)にあります。 観光バスも駐車できる広い駐車場のまわりに合掌造り家屋や売店、研修施設が並んでいましたが、土曜だというのに全て閉まっていて、人っ子一人見当たりませんでした。 菅沼合掌集落まで歩いて7分という掲示板があったので、菅沼合掌集落の駐車場が満車の時に第2駐車場として使われるのでしょう。

五箇山合掌の里

南砺市

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合掌造り家屋は手入れが行き届き、現役だった頃の様子をよく留めています。菅沼合掌集落の家屋は観光地化が進み店舗を兼ねていますので、オリジナルの家屋として観察するならば、こちらがお薦めです。オンシーズンには、合宿や研修の宿舎として使われるのかもしれません。 静かに見学できますが、人がいない合掌造り家屋というのは寂しいですね。人が集まっていて、生活感も楽しみたいなら、数百メートル北にある菅沼合掌造り集落に行くべきです。

菅沼合掌造り集落

南砺市

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菅沼合掌造り集落には9戸の合掌造り家屋が現存しています。往時の五箇山の人々の生活ぶりを見学できる「五箇山民俗館」や「塩硝の館」も設けられています。 集落に入るのは無料ですが、近くの駐車場を利用するには500円が必要です。 梅雨時で晴れ間もありませんでしたが、雨で勢いを増した夏の草木に囲まれた合掌造り集落の風景もいいものでした。

菅沼合掌造り集落

南砺市

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茶店「かっぱ」となっている合掌造り家屋。普通に左から読むと「ぱっか」という看板が出ていて、馬が飼われているのかと思ってしまいました。昔風に右から読むんですね。 隣の家屋の横に小川が流れていて、昔の農家の様子を思い出しました。昔の小川は、生活用水の源であり、収穫した野菜を洗ったり冷やしたりする大事な場所でした。

合掌造り家屋の脇を流れる小川。手前の手水場には、晴れた夏日ならスイカや飲み物の瓶が冷やされているのでしょうね。梅雨の雨が降るなか、錦鯉が悠々と小川を泳いでいました。

郷土の工芸品や手作り玩具を縁側に並べて売っている家屋もありました。

菅沼合掌造り集落

南砺市

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田植えが済んで、青々として伸び盛りの稲を前にした合掌造り集落。家屋の前の里道が今どきに広いのが気になりますが、歩きやすくて良いです。 こういう田園風景にはツバメが飛び交う姿が似合うのですが、もう営巣期間を終えたのか飛んでいませんでした。

塩硝の館

南砺市

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菅沼合掌造り集落の入口近くにあります。近くの五箇山民俗館との2館共通券が300円で、ここだけの入館料は210円となっていますので、2館共通券がお薦めです。 五箇山の合掌造り集落では、養蚕と和紙づくりに加え、加賀100万石の加賀藩鉄砲隊に供する塩硝作りをしていました。塩硝の製法は軍事機密だったので、幕府など外部に漏れないように山深い五箇山の地が選ばれ、製造現場には床下や囲炉裏・釜戸が使われていました。五箇山は軍需産業の地だったのです。 塩硝の館では、五箇山で盛んだった塩硝作りの工程がどういう様子だったのかを展示しています。

塩硝の原料となる、ヨモギ・ウド・サクの葉っぱと蚕の糞のサンプルが展示されていました。五箇山周辺では潤沢に手に入ったのでしょうね。養蚕のためには、桑の木も豊富に必要とされたはずです。 これらの材料を、床下の地中に埋め水をかけて醸成するのが最初の工程です。醸成には5年もかかるので、床面積が大きい家屋にした方が多くの塩硝を作ることができます。五箇山の合掌造り家屋が総じて大きいと言われる理由です。

館の入口脇に、ヨモギの葉っぱを選り分けている人形がありました。野原で刈り取ってきた状態そのままでは有効な原料にはならないようです。器の大きさから見て、葉っぱを厳選していたようです。 最初見たときは隅っこで誰かがスマホに夢中になっているのかと思いましたが、身動きひとつしないので、二度見したらチョンマゲの等身大人形でした。

塩硝の館

南砺市

「塩硝の館」を   >

合掌造り家屋の中での塩硝作りの工程が、ミニチュア模型で陳列されていました。 いちばん左は「仕込み」で、床下の地中に原料を埋め込み醸成させる工程です。熱があると発酵しやすいので、囲炉裏端や釜戸近くの床下に仕込んでいたそうです。 真ん中は「灰汁煮塩硝煮詰め」です。醸成した原料を掘り起こし、桶に入れて水を加え、塩硝を含んだ上澄みを大釜で煮詰める工程です。何回も繰り返す作業だったようです。煮詰めたら灰汁を加えて濾過します。灰汁のアクと塩硝成分が化合して塩硝素材ができるのでしょう(たぶん!)。 右端が「上煮塩硝づくり」です。先に見学した岩瀬家が担っていたのが上煮役です。煮詰めて出来た塩硝素材を、自然乾燥させたうえで不純物を除き、白い粉末(塩硝)に仕上げる工程です。 ちなみに塩硝そのものは発火する事はなく、硫黄や木炭を加えることにより黒色火薬になるのだそうです。

五箇山民俗館

南砺市

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菅沼合掌造り集落の中にあり、塩硝の館の斜め通り向かいに位置しています。塩硝の館と比べると大きな家屋が用いられています。入館料は、塩硝の館との2館共通券で大人300円となっています。ここだけの入館料は210円ですので、2館共通券で塩硝の館とセットで見学するのがいいでしょう。 山村生活の知恵が生かされた生活用具や資料を数百点展示しています。

大正から昭和前半にかけてのものと思われる調度品が並べられた居間。囲炉裏のある居間は家族が憩う場所であり、2階から上で飼育されていた蚕の暖房装置であり、江戸時代は塩硝作りの仕込み場所としても欠かせないものでした。 五箇山の顔役であった岩瀬家では囲炉裏がある居間は、とても広くて豪華な造りでした。五箇山民俗館となっている家屋は、中流階層の家であったと思われます。

五箇山民俗館

南砺市

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1階居間の梁の様子。「ちょうな梁」と呼ばれ、隅の部分で曲がっているのが特徴です。これは「根曲がり材」と呼ばれる、斜面で斜めに生えた木の幹が生長する過程で上を向き、根本だけ曲がった形になった木材を用いています。根曲がり材には独特の粘り強さがあるのだそうです。 豪雪地帯の五箇山のこと、2階より上の茅葺き小屋組部分に積雪の重みも加えると、1階の軸組にかかる重圧は想像を絶するものがあるでしょう。こうした自然素材を用いて耐えられるように工夫してあるのです。

1階の軸組部分から、2階の小屋組部分を見上げています。合掌屋根の頂点から斜めに下りてきている合掌材と、水平に巡らされるヤナカとを格子状に組み、縄で結びつけてある構造は白川郷の合掌ミュージアムと同じです。

2階の様子。3階の床材を支える桁材が、ヤナカと呼ぶには立派すぎる木材の上に並べられています。小屋組であっても、太くて上質な加工がされた木材を用いるのが五箇山の合掌造りの特徴です。岩瀬家住宅でも見られました。 白川郷の合掌ミュージアムに展示されていたカットサンプルは、同じ3階建て家屋でしたが、丸太材の簡素な桁がヤナカの上に乗っていただけでした。 小屋組を作るのにも専門大工に依頼するのが五箇山の流儀だったのかもしれません。こうした五箇山と白川郷との微妙な構造の違いは、実際に見比べないと気付きません。 白川郷の合掌ミュージアムに展示されているカットサンプルと見比べるのをお薦めします。

五箇山民俗館の前には花がいっぱい飾られていて、梅雨の湿気のうっとうしさを忘れさせてくれました。

南砺市観光協会 五箇山総合案内所

南砺市

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五箇山を南端からじっくり見て回ったので、五箇山総合案内所に到着したのは午後5時でした。隣の無料駐車場に車を入れると、スタッフさんが営業終了の表示を入口に出しているところでした。ちょっと嫌そうな表情のスタッフさんに頼み込んで、付近の見所を教えてもらいました。 すぐ隣に村上家住宅と加賀藩流刑小屋がある事を教えてもらい、すぐにダッシュで向かいました。

国指定重要文化財 村上家

南砺市

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村上家は、間に無料駐車場をはさんで、五箇山総合案内所とは隣り合わせになっています。4階建ての大きな合掌造り家屋です。天正年間に建てられたそうで、約350年もの歴史を刻んでおり、国の重要文化財に指定されています。同じく五箇山の重文建築物としては岩瀬家住宅がありますが、岩瀬家は加賀藩役人の役宅にもなる豪華で重厚な造りなのに対し、村上家は豪農の家屋という違いがあります。建築以来、村上家には改造が加えられておらず、伝統的な合掌造りの構造を残しているのも貴重です。 4階建てであっても軸組部分は1階だけで、2〜4階は簡素な素材を用いた小屋組で組み上げられており、合掌造りのセオリー通りの構造なのです。

横から見た村上家住宅。とても奥行きがあります。2〜4階部分は小屋組となっていて、細めの丸太材を縄で結びつけただけの構造になっているとは思えません。

次に加賀藩流刑小屋に行きました。村上家の前の橋で庄川を渡って、200mほど南に進んだ場所にあります。庄川の川面には雨上がりの靄がかかり、幽玄な風景となっていました。

流刑小屋

南砺市

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橋を渡ると、道路脇の小高い場所に流刑小屋が見えてきます。 五箇山・庄川右岸一帯の集落には、加賀藩の流刑地が設けられていました。今でこそ脇を車道が通っていますが、当時は背後に山を控え、前面には橋もない険しい峡谷が迫る陸の孤島のような場所にポツンと立っていたはずです。 もともと五箇山は加賀藩の塩硝生産地であり、軍事機密として幕府や近隣諸藩に知られないように、あえて陸の孤島となっていました。おのずと流刑地としても適していたのです。

流刑小屋を前から見たところ。「お縮小屋」という種類なのだそうです。こうした小振りな建物でも、合掌造りになっているのが面白いですね。下半分が大工職人が手がけた軸組部分で、上半分が簡素な建材を用いた小屋組部分となっているのが判別できます。 流刑小屋には3種類あり、集落内に限り出歩ける罪人が起居するための「平小屋」、一歩も外に出られない「お縮小屋」、小屋の中にさらに狭い檻を作って閉じ込める「禁固小屋」がありました。

流刑小屋

南砺市

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外壁の隙間から中を覗き込んでも真っ暗で何も見えません。試しにフラッシュを光らせて撮影してみました。すると、裃姿で正座している侍の人形が置かれていて、びっくりしました。こうした流刑地に送られてくる罪人は武士だったとは思いますが、裃姿で刑に服していたとは考えにくい。観光客が投げ入れるのか、小銭が床にいっぱい転がっていました。 受刑者の食事は、牢番が小さな穴から差し入れるだけだったといいます。昼でも真っ暗な小屋の中で、寒さ厳しい冬をしのげたのか、夜具やトイレはどうしていたのだろうと考えてしまいます。冬を越せた受刑者は少なかったと思います。

相倉合掌造り集落

南砺市

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到着したのは午後6時近くで、どの合掌造り家屋も営業時間を過ぎ、普通の農村の姿に戻っていました。仕方なく、集落内を散策することにしました。生憎の雨で湿気が高く不快指数は100%近かったと思いますが、観光客が誰も歩いていない集落は、山間の農村そのもので静かで風情がありました。青々とした棚田に囲まれた合掌造り集落もいいものです。

相倉合掌造り集落

南砺市

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相倉合掌造り集落を歩いていて思ったのは、田畑や棚田の石垣が昔ながらの形を留めながら、今でも利活用されていることです。23戸の合掌造り家屋があるそうですが、おそらく大半の家が周辺の田畑を耕作している農家だと思います。もちろん、民宿や土産物店も営んでいるのでしょうが、農業がメインとなっている感じなのです。世界遺産という観光スポットでありながら、昔ながらの生活様式を保っているのは素晴らしいことです。

相倉合掌造り集落

南砺市

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世界遺産に指定されている集落ですから、誰も住んでいなさそうな展示用の合掌造り家屋もあります。 写真中央の家屋は「マタダテ」と呼ばれ、土間に屋根をかけただけで軸組がない、簡易な構造となっています。弥生時代の竪穴式住居に近い姿をしており、合掌造りの原型とされているようです。家屋が軸組構造を伴うようになるのは戦国時代以降らしいので、このマタダテは室町時代以前の姿を今に伝えているのです。

相倉に人が住み着き始めた時代は、このマタダテのように竪穴式住居のような家屋だったのが、豪雪事情や塩硝づくりの作業スペースを織り込んで改良が加えられ、徐々に現在の合掌造り構造に発展していった経過が想像できます。

今も農村として生き続けている相倉集落ですから、氏神様も大事に祀られています。

相倉合掌造り集落には皇族も度々訪れておられるようで、詠われた歌は歌碑として刻まれ、地主神社の脇にイルミネーション付きで大事に公開されていました。

2日目2019年6月30日(日)

アパホテルステイ〈富山〉

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五箇山の合掌造り集落を見終えて富山市に移動し、ここに宿泊しました。 天然温泉の大浴場や露天風呂を備えており、宿泊客は無料で利用できます。それなのに宿泊費が安いのが魅力です。階層式屋内駐車場も無料で出入りも自由なので、とても利用しやすい。 建物の古さは隠せないですが、フロントの方の応対は丁寧で、館内や部屋の清掃が行き届いており、ビジネスホテルとして割り切れば良い宿だと思います。ベッドに羽毛布団が使われていて、快適に眠ることができたのもありがたかった。

ホテルの脇にある天然温泉「SPA-X」のゲート。「SPA-X」は、ホテル棟とは別の建物にあります。 「SPA-X」利用だけで来場したお客さんは、このゲートをくぐってホテル棟の裏側にある別館の方へ車を寄せます。 ホテル宿泊客は「SPA-X」を無料で利用できますが、ホテル棟の裏口から出て、道路を横断して別館に入らなくてはならないのが少々面倒でした。 翌日、富山城や富山市ガラス美術館を見て、宇奈月温泉方面に移動しました。その様子は別の旅行記にまとめます。

世界遺産合掌集落 白川〜五箇山

1日目の旅ルート

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