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こぼらさんの岡山県の旅行記

吉備路 ぶらり巡り

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湯原温泉で1泊した翌日は、総社・倉敷方面に南下して、思いつくまま見所を訪ねました。通りすがりで寄った吉備国総社宮と備中国分寺は、ぶらりと訪れてしまった事を後悔するほどに見事でした。 倉敷方面に迂回した理由は、もう一つありました。北陸が本拠地で、自身も大ファンだと自負する「8番らーめん」の店が、飛び地のように岡山県内にも数店舗あるからです。本家・北陸版とは少し味が違う事を聞いていて、一度は味わってみたいと思っていたのです。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2019年9月28日(土)

高梁サービスエリア(上り線)

高梁市

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湯原温泉から、岡山自動車道を南下して総社方面に向かう途中、吉備高原を見渡せる場所に高梁サービスエリア(上り)があったので休憩で立ち寄りました。 高梁市内には有名な備中松山城があるため、サービスエリア施設前には、床タイルをペイントして、備中松山城の天守閣が描かれていました。

高梁サービスエリア(上り線)

高梁市

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岡山自動車道で唯一のサービスエリアだそうです。 規模は小さめですが、土産物売り場とフードコートが備わっています。フードコートは、どういう理由があるのか「ゲストスペース」と表示されていました。扱われている土産物は、さすがに岡山のものが多いです。

サービスエリア駐車場の傍らには広い日本庭園風の公園が設けられていて、展望所からは吉備高原の山々が眺望できます。サービスエリアと、向こうに見える山々との間には深い谷はなく、緩やかな丘陵でつながっています。サービスエリアの場所も吉備高原の一部だと実感できます。

高梁サービスエリア(上り線)

高梁市

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サービスエリアの隣には庭園風の公園が設けられています。その展望所から望む吉備高原の山々が美しいです。 サービスエリアの標高は380mで、展望所はさらに10mほど高い場所にあるので、山の頂上から見渡しているような気分が味わえます。 吉備高原は標高300〜500m程度のなだらかな山々で構成されているので、標高400m程度の展望所は高原を見渡すのに絶好の場所だと言えます。

備中国総社宮

総社市

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総社という神社は全国各地にありますが、どういう成り立ちなのかは知りませんでした。備中国総社宮は、現在でも総社の姿を良くとどめている貴重な神社で、総社についての解説も案内板でしっかりされています。 古代では、新たに赴任してきた国司は、任地の国内にある全ての神社を巡拝するならわしがありました。備中国の場合、国司は300社近くも巡らなければなりませんでした。これでは大変だということで、国内の神々を国府(現代だと県庁)の近くに合祀し、そこで祭礼を行うように全国的に変わっていきました。これが総社です。この神社は備中国総社で、現在では324もの神様が合祀されています。 写真は社殿の南東にある鳥居です。額には「総社」と書かれています。社殿の東側にも鳥居があり、そちらには「惣社」と書かれています。表記の違いにどういう意味があるのか調べてみましたが、わかりませんでした。

南東にある鳥居をくぐり石畳の参道を進むと、屋根付きの回廊になります。途中に随神門があり、それをくぐると神域という設定になっているようです。しかし、屋根付き回廊はまだまだ続きます。

屋根付き回廊は、随神門をくぐってからの方が長いです。拝殿前の方へ真っ直ぐに伸びています。神事の頃には、両脇に多数の提灯が吊り下げられるそうです。 こんなに長くて幅も広い立派な屋根付き回廊は、奈良の長谷寺でしか見たことがありません。というよりも、随神門の形や造りといい、この長い屋根付き回廊といい、神社よりは寺院に来ているような印象を受けます。 こうした長い回廊は、備中総社宮から数キロほどの吉備津神社にもあるそうです。

備中国総社宮

総社市

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拝殿前に着きました。拝殿前で二つの回廊がクロスする造りで軒が高く、そこに絵馬や備中神楽の面がびっしりと奉納されています。独特の雰囲気を漂わせています。 備中国の総社なので、ここでお参りすると備中国の各地に祀られている324もの神様に参詣したことになります。

見上げると、太いしめ縄と見事な龍の彫刻が見えます。こうした見事な彫刻は、江戸時代から明治時代初期にかけて在地の豪商が寄進したものが多いですが、備中総社宮でも例外ではありません。社殿が17世紀終盤に再建されると、商家の信仰を集め、競うようにして絵馬や彫刻を奉納していたようです。

拝殿前の軒には、備中神楽の面が奉納されています。ひとつひとつに神様の名前が書かれています。

七福神?の面。表情がとてもリアルです。

備中国総社宮

総社市

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回廊から外に出て神殿の方に近づいてみました。神殿は玉垣で囲まれているので、間近には近寄れませんが、重厚な造りの建物です。建物の歴史は意外に新しく、昭和54年の建立です。先代の神殿は1687年に建立されましたが、昭和52年に焼失したのだそうです。 主祭神は、「大名持命」(おおなもちのみこと、通称:大国主命)と、「須世理姫命」(すせりひめのみこと、大名持命の正妻) 。出雲大社の主祭神と同じで、神話の世界そのものです。

拝殿の斜め前には、古代の庭園の姿をとどめた三島式庭園があります。江戸時代に、後楽園の造園にあたり、この庭園の姿が参考にされたといわれています。

神殿を裏側から見ています。神殿のまわりにはカエデが多く植えられています。紅葉の時期はとても美しいことでしょう。

総社市まちかど郷土館

総社市

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総社宮の鳥居の横にある郷土資料館です。入場無料です。 建物は、明治43年に建築された旧総社警察署で、レトロ感満載です。総社市内で現存する唯一の明治洋風建築とのこと。館内の展示室には、備中売薬や鋳物・いぐさ等、明治時代に総社を繁栄させた伝統産業の資料が展示されています。

総社市まちかど郷土館

総社市

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玄関を入ると、かつての事務室と待合室が残っています。幼い頃、親に連れられて古い役所の窓口に行くと、こんな感じだったという記憶が甦りました。気が付けば、こうした建物は今時どこにも残っておらず、貴重な存在だと痛感した次第。 警察署が移転した後は、地元の農業共済組合→タバコ耕作者組合→教職員組合の事務所として使われ、取り壊される運命でした。地元の人々が惜しんで運動し、資料館として残ったのだそうです。総社の人々は古き良きものを大切にするのですね。

総社市まちかど郷土館

総社市

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2階の展示室の様子。部屋に入ると、備中売薬の行商姿のマネキンが出迎えてくれます。 売薬の行商といえば富山が有名ですが、そういえば「反魂丹」の製法を富山藩に伝授したのは岡山の万代常閑という人物だったのを思い出しました。 置き薬という商法を開発したのは総社の薬商人で、中国・四国で盛んになったのを見て、富山も取り入れたのだといいます。置き薬や薬の行商の本当のルーツは総社だったのです。知りませんでした。 それにしてもこのマネキン、紳士服店でスーツ姿だったのを連れてきたようで、行商姿がアンバランスに見えます。むしろシュールな感じすらします。

備中国分寺

総社市

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現在は真言宗の寺院である日照山国分寺。現在の塔堂は19世紀なかばに再建されたものです。8世紀半ば、聖武天皇の勅によって建立された備中国分寺の後継寺院です。 当初の国分寺は14世紀前半(南北朝時代)に焼失したと伝わりますが、よくも600年も保っていたなと思います。全国の国分寺は、大方が平安時代の間に焼失したり廃寺になっていますから。 備中国分寺は、とりわけ崇敬の対象となり不断の維持管理がなされていたとか、何か特別な事情があって長く残ったのでしょう。 田園地帯の中に五重塔が立っている姿を見ると、斑鳩の法隆寺に来ているような錯覚を覚えました。

現在の本堂や五重塔は、弘化年間(1844年-1847年)に再建されたもので、案外新しい建造物です。 南北朝時代に戦火で焼失したのち約500年間は廃寺同然でしたが、あと20年ほどで明治維新という頃になって再建されたというのは、とても印象的です。

備中国分寺

総社市

「備中国分寺」を   >

聖武天皇時代の備中国分寺跡が、山門前の広場に史跡として整備されています。現在の後継国分寺の伽藍がある場所に、古代の金堂や講堂、七重塔などがあったと思われます。しかし、江戸時代に後継国分寺が建立された際に、それらの礎石や遺構は失われてしまったようです。 現在と古代の国分寺は、姿や形が全く違っていたのでしょうが、これだけ見事な後継国分寺が見られるようになっているのは嬉しいですね。

古代の備中国分寺の南門跡。わずかな礎石が残っているだけです。中門跡も合わせて、3つの礎石が残っているだけらしい。

堂々とした山門をくぐって境内に入ります。

備中国分寺

総社市

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遠くからでもよく見える五重塔。江戸時代の終わり頃に建立されましたが、古代から中世にかけて建立された塔のように見えます。気品を感じます。 岡山県内では唯一の五重塔で、国の重要文化財に指定されています。高さは34m余りで、田園地帯の中では抜きんでた高さがあります。 しかし奈良時代に、全国各地に建立された国分寺の塔は七重で、高さも50mほどあったらしいです。今の五重塔を見上げながら、その1.5倍の高さがあった塔を想像すると、1,300年近く前の建築技術の高さに驚かされます。

真言宗の寺院ですから、大師堂を備えています。新しそうな堂です。

本堂。これも五重塔と同時期に再建されています。

吉備路サイクリングコース

「吉備路サイクリングコース」を   >

寺の外側にはサイクリングロードが整備されています。もちろん歩くのもOKです。こうもり塚古墳や国分尼寺跡に行けます。 春や秋に、こんなのどかな道を自転車で走ったら、さぞや気持ちがいいことでしょう。

備中国分寺の周囲の田んぼには、赤い穂を持つ「赤米」が栽培されていました。赤米は1400年以上の歴史を持っているそうで、もともとは地元の国司神社の神事に用いられてきたといいます。 栽培されているのは観光用の田んぼですが、一面に赤黒い稲穂が広がっている様子を見ると、由来を知らない者でも古代を感じさせてくれます。

吉備路もてなしの館 山手

総社市

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備中国分寺の向かいにある道の駅のような施設です。吉備路風土記の丘という自然公園に囲まれています。吉備路めぐりや備中国分寺に行くなら、この「吉備路もてなしの館」が広い駐車場を備えているので、ここに寄ってから散策することをお勧めします。 備中国分寺を正面から眺めることができますし、土産物売り場と食堂も備えています。外にはテントが張られて、朝採り野菜の販売をしているようですが、訪れたのが午後4時を過ぎていたので何も並んでいませんでした。

土産物売り場の様子。夏場は午後6時まで営業しています。ただし食堂の営業時間は、食事が午前11時から午後2時で、喫茶は午前10時から午後4時まで。

吉備路もてなしの館 山手

総社市

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アルミ缶を加工して作った装飾用の風車。地元の方が、みやげ物として製作しているようです。風が吹くと、きらきらと輝きながら、よく回ります。国分寺を背景に、店先で一斉に回る姿が印象的でした。素朴さが気に入り、1つ買って帰りました。

造山古墳

岡山市北区

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造山古墳は、全長350m×高さ29mもの規模を誇る、岡山では最大の墳丘です。全国でも第4位となる巨大古墳です。墳丘に立ち入りできる古墳の中では全国最大とのこと。 古墳の近くに、モニュメントや石碑がある史跡公園が設けられています。無料駐車場やトイレも備わっていますので、安心して訪問できます。 写真は、公園から古墳をみています。水田の奥の集落の、さらに奥にある堤防のような丘陵地が古墳です。右端の小高い丘が後円部で、左端の山林部分が前方部です。

古墳は樹木に覆われているので、近くからでは全体像がつかみにくいです。史跡公園には、航空写真をを用いた解説パネルがあるので、それを見ると墳丘が3段構成になっている大きな前方後円墳であることがわかります。

前方部の下から古墳の上に通じる散策路があります。これを通って前方部の上面に上がり、後円部を見ています。後円部は前方部よりも5m近く高くなっているので、そこに行くには坂道を上ります。墳丘が大きすぎて、まるで田畑の中を通る里道を歩くようです。

後円部の上から、下の田園を見下ろしています。高さが30m近くあるので、周囲の田園地帯を見渡せます。 むしろ、国内で最も高い場所に立つことができる古墳と言った方がありがたみを感じるでしょうか。立ち入りができる国内の墳丘の中では、この造山古墳が最大ですから。

造山古墳

岡山市北区

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後円部から前方部を見ています。まるで小高い山です。それもそのはずで、この墳丘は丘陵を切断して築造されたものです。 築造時期は5世紀前半(古墳時代中期)とされ、その頃では国内最大だったはずなので、大和政権の大王クラスが葬られているのではないかと地元岡山では言われています。

前方部の中心付近には、荒(こう)神社の社が立っています。不思議なのは、神社なのに寺のような鐘撞き堂があることです。鐘楼の奥には手水場が見えますが、近付いてみると意外なものが・・・。

大きめの手水鉢に見えたのは、なんと石棺でした。奥に荒神社の石段が見えていますが、この石段が組まれた後に置かれたように思えます。そんなに昔ではないでしょう。いったい、いつどの古墳から運び出されてきたものなのやら。

8番らーめん下庄店

倉敷市

湯原温泉から三重へ帰るにあたり、わざわざ総社・倉敷方面へ遠回りしたのは訳がありました。北陸・石川が本拠地の「8番らーめん」店舗が、飛び地のように岡山県内に数店舗あるからです。私は「8番らーめん」の大ファンなのです。 うわさでは、北陸版と岡山版とは少し味が違う事を聞いており、機会があれば味わってみたいと思っていたのです。少々遠回りになっても、このチャンスを逃すわけにはいきません。 下庄店の営業時間はネットでは11:00〜24:00となっていますが、17:30すぎに行ったものの何か事情があったのか、夜の部は18:00開店になっていました。駐車場に車を駐めて、周囲を散策して時間が来るのを待ちました。店の外観は北陸と変わりません。

8番らーめん下庄店

倉敷市

店内の様子。本拠地・北陸でも広まりつつある新世代の内装です。オーダー用のタブレットPCも配置されていました。 店員さんが着用しているユニフォームも、本拠地・北陸で今夏から広まり始めたものと同じです。見た目での違いはなく安心しました。8番らーめんのファンとしては、飛び地である岡山の店舗なので、何か違いがあるかなと実は期待もしていたりして。

8番らーめん下庄店

倉敷市

基本メニューの野菜らーめん(醤油)とミニ炒飯のセットにしました。北陸の御本家版とは、スープの色からして違っています。濃いというか黒っぽい印象です。味も違っていました。個人的には岡山版の方がコクがあっておいしいと思います。 炒飯の盛り付けも違いを感じます。上が平らです。

8番らーめん下庄店

倉敷市

岡山版の醤油味スープ。色が黒っぽくて濃い印象です。私としては、味もこっちの方が良いと思います。店員さんに味の違いについて尋ねたら、麺は岡山で作ったものを使用しているとのことでした。スープは北陸から送られてくるものを使っているそうですが、麺が違うので、味はもちろん、麺を浮かせているスープの色も違ってくるのではないかとのことでした。不思議なものです。 北陸版との味の違いに気付くお客さんは、決して珍しくないようです。ただ私たちが、わざわざ中部地方より、「岡山流8番らーめん」を賞味しにやってきた事には驚かれました。

1日目の旅ルート

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