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こぼらさんの三重県の旅行記

旧東海道 伊勢・石薬師宿

  • 家族(子連れ)
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  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 格安旅行

旧東海道の44番目の宿場町・石薬師宿を散策しました。街道沿いに歴史のある石薬師寺があり、参勤交代で通りかかる大名たちも道中の安全を祈願しに訪問するほどに信仰を集めていました。石薬師の町生まれの、歌人にして文学者の佐佐木信綱の生家や資料館もあります。旧東海道の道筋もしっかりと残っており、往時の賑わいを感じさせます。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2019年10月27日(日)

旧東海道石薬師

鈴鹿市

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佐佐木信綱記念館・生家の前の旧東海道。北北西にまっすぐ伸びています。道幅が広く、人馬にとっては片側2車線になっていた事が察せられます。 この周辺が、東海道五十三次の44番目の宿場町・石薬師宿があった場所です。

佐佐木信綱記念館

鈴鹿市

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旧東海道に面して立っている佐佐木信綱資料館。開館時期が限られているようで、玄関には「当面の間は休館」というつれない表示が出ていて入れませんでした。残念! 国道1号線で石薬師付近を通ると大きな案内表示があるので、この資料館の存在は昔から知っていましたが、鎌倉武士の佐々木信綱に因む資料館だと思っていました。お恥ずかしい限りです。 ここの佐佐木信綱氏は、後白河法皇が編んだ歌謡集「梁塵秘抄」を世に広めた文学者であり、貞明皇后はじめ皇族の方々に和歌を指導した程の歌人であった事を知ったのは、そんなに昔のことではありません。 知り合いから「三重に住んでいるなら、佐佐木信綱がどういう人物だったのか知っておくべきだ」と言われたのを思い出します。

佐佐木信綱記念館

鈴鹿市

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表示によれば、佐佐木信綱記念館は「佐佐木信綱資料館」「生家」「石薬師文庫」の三つの建物で構成されています。 資料館は昭和61年に鈴鹿市によって建てられましたが、生家は信綱が幼少期に住んだもので、石薬師文庫は信綱が郷里に寄贈した建物です。

佐佐木信綱生家

鈴鹿市

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佐佐木信綱記念館の一つ「生家」。明治期の宿場町屋を備えているため、景観重要建造物に指定されています。 佐佐木信綱は明治5年に石薬師のこの家に生まれ、6歳まで住んでいました。その後一家は松阪や東京に引っ越し、この生家は人手にわたり市内の別の場所に移築されていたそうです。信綱亡き後の昭和45年、生家を鈴鹿市が譲り受け、現在の場所に再度移築されたのです。

佐佐木信綱生家

鈴鹿市

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佐佐木信綱の生家は明治初期に建てられました。生家の門の横に歌碑が立っています。 【目とづれば ここに家ありき 奥の間の 机のもとに 常よりし父】 佐佐木信綱の父親も歌人でした。信綱にとって、この家に住んでいた頃の記憶は、常に奥の間の机に向かっている父親の姿だったようです。

石薬師文庫。昭和7年、信綱が還暦を迎えた際に、記念として故郷の石薬師に贈った建物です。地域の図書室として現在も使われているそうですが、訪問した時は資料館と同じく閉館状態でした。 スレート葺きのL字形棟で、昭和初期の建物とは思えないモダンさです。小さいですが、モリコロパークにある「さつきとメイの家」に形が似ていると思います。玄関の前に、信綱氏と孫の幸綱氏の歌碑が立っています。 【ふるさとの 鈴鹿の嶺呂の 秋の雲 あふぎつつ思ふ 父とありし日を 佐佐木信綱】 【傾けて バイクを駆れる 群が行く 鈴鹿の山は 父祖のふるさと 佐佐木幸綱】 歌にバイクが疾駆する姿を盛り込むとは孫の幸綱氏らしい表現ですが、鈴鹿サーキットのレースを観戦したのでしょうか。

旧東海道石薬師

鈴鹿市

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旧東海道は、石薬師寺の横を通っています。石薬師宿は、大阪夏の陣で豊臣氏が滅び、徳川家康が死去した直後にできた宿場町です。このため家康や秀忠が征夷大将軍就任にあたって、この道を通って京に上りましたが、その頃は宿場町にはなっていなかったことになります。 西国大名による参勤交代の大名行列や、幕末の志士たちが江戸と京との行き来に通っていた街道だと考えると、何とも感慨深いものがあります。

石薬師寺

鈴鹿市

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高富山(たかとみざん)石薬師寺。真言宗の寺院です。本尊は名前の通り薬師如来です。風格ある山門は、歌川広重「東海道五十三次・石薬師宿」の版画に、宿場ともども描かれています。 近くに歌人・佐佐木信綱の生家や記念館があるため、山門の脇には信綱の歌碑が掲げられています。

カエデのトンネルのような参道。「本尊石薬師如来」「西国薬師第三十三番」の表示がどことなく中国風です。ちなみに、西国薬師は四十九所あります。 10月下旬でしたが残念ながら紅葉の気配は全くなく、夏の雰囲気すら漂っていました。11月下旬にもなれば紅葉の名所になること確実です。

石薬師寺

鈴鹿市

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石薬師寺の本堂である薬師堂。寛永6年(1629年)に再建された建物です。広重の版画には、山門の姿と薬師堂の茅葺き屋根が描かれています。瓦葺きになったのは18世紀後半の改修によります。 石薬師寺のすぐ東を東海道が通っていたので、江戸時代には参勤交代でこの地を通る大名たちが、道中の安全を祈願したといいます。 向拝の階段にブルーシートがかけられていたのが残念です。修理ではなく、緩やかな階段を造り足そうとしているように見えました。

17世紀前半に再建された薬師堂。鈴鹿市内では最古の寺院建築です。 大名や側近たちが、この薬師堂にやってきて参拝していた姿を想像すると、味わい深いです。

寺伝によれば、開創は奈良時代の修験僧・泰澄で、平安時代に弘法大師が境内の巨石に薬師如来を刻んで開眼供養し、厄除けの薬師様として有名になりました。花崗岩に刻まれた高さ190センチの石薬師像は秘仏となっているそうです。 厄除けの名声は嵯峨天皇にも届き、勅願寺として七堂伽藍が建立されたといいます。 解説パネルによれば、薬師如来の塑像は平安時代後期に製作されたものであり、弘法大師や嵯峨天皇の時代とは合いません。しかし、京の都と東国とを結ぶ幹線であった東海道沿いにあって、行き来する旅人たちが道中の安全を祈願していた名刹だったのは間違いなさそうです。

参道の脇には枯山水の庭園があります。庭園の奥に見える鐘撞き堂の姿に風情を感じました。

石薬師の蒲桜

鈴鹿市

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石薬師寺の門前から100mほど東にあります。広重の版画を見ると、門前から東に進み、蒲桜の横を通って南下する道筋が東海道だったようです。街道沿いの見所の一つだったのでしょう。 10月下旬で葉も散りかけの時期でしたが、「逆桜」と呼ばれ、変わった樹形の桜と聞いていたので寄ってみました。樹齢は800年程度と言われていますが、そこまで古そうには見えません。何代目かの木でしょう。 蒲桜(かばざくら)と呼ばれるのは、これを植えた人物が遠江国蒲御厨(かばのみくりや:今の浜松市)を領していた源範頼だったからです。源頼朝や義経の異母兄弟にあたる武将なので蒲冠者(かばのかじゃ)または蒲殿(かばどの)とも呼ばれていました。 桜の植え方がユニークで、平家追討のために西進中、石薬師寺へ戦勝祈願に訪れ、「我が願い叶うならば、汝地に生きよ」と鞭にしていた桜の枝を逆さまに土に挿したというもの。願いは叶い、源範頼の武運も成就し、桜も根付いたという伝説です。石薬師寺と東海道の歴史の古さを物語る史跡です。

解説パネルでは、源範頼が枝を逆さに地面に挿したと伝わるものの、実際はヤマザクラの一変種だと評しています。一重五弁の花は白色または薄紅色で、直径が5cmほどと大きいようです。

土に逆さまに挿した桜の枝が根付いたと言われるだけあって、幹がよじれながら上に伸びています。ゆえに「逆桜」とも呼ばれています。

石薬師一里塚跡

鈴鹿市

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一里塚の跡といっても、どういう遺構や遺跡なのか見当が付かなかったので、旧街道を歩いて探しました。石薬師宿の南端にある橋の袂に石灯籠や榎木があるのを見つけ、ようやくわかった次第です。石碑を見る限り、比較的に新しいものです。 一里塚とは、東海道のような幹線道路のそばに、1里ごとに設置されたた土盛りです。脇に榎木を植えたり、標識を立てていたりしました。

一里の長さは、時代によって変わっているようです。16世紀中頃には4.36km(四十町)だったのが、徳川2代将軍・秀忠の時代に3.92km(三十六町)と、現代に通じる長さに改められたといいます。 どうして改める必要があったのかは解説されていませんでした。

石薬師一里塚跡

鈴鹿市

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鈴鹿川の支流・才石川に架かる橋の袂にあります。戦後まで一里塚は、橋のむこう(対岸側)にあり、街道両側に榎木が植えられていたようです。伊勢湾台風で榎木が折れてしまい、対岸に新たな榎木を植えて一里塚を再現したようです。

石薬師一里塚跡の道向かいの様子。旧東海道は関西本線と交差しているのが見えます。街道は高架線路をくぐったところで右に折れ、次なる宿場町・庄野宿に向かいます。 庄野宿に向かう街道には、かつて松並木があったようですが、今は関西本線や国道1号線に置き換わってしまっています。

1日目の旅ルート

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