こぼらさんの奈良県の旅行記

山の辺の道 長岳寺と大和神社
- 1日目2020年2月24日(月)
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高野山真言宗の釜ノ口山長岳寺。平安時代初期(824年)、淳和天皇の勅願により、弘法大師が大和神社の神宮寺として創建しました。1200年近い歴史を誇る古刹です。 国の重要文化財だけでも、建物4堂・仏像5体を所蔵しています。仏像5体は、阿弥陀三尊と多聞天・増長天ですが、いずれも本堂に安置されていて、間近で拝観できます。
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長岳寺の大門です。1640年に再建されています。 すぐ隣が駐車場になっていますので、車で参拝に来た参拝者は楽です。大門の前を山の辺の道が横切っています。
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大門から楼門に向かう参道の途中、白い土塀の向こうに、重要文化財の旧地蔵院・延命殿が見えてきます。この先(旧地蔵院や楼門)に進む前に、参拝料600円を納めます。 紅梅が咲き始めていました。
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重要文化財の旧地蔵院です。1630年の建立ですが、室町時代の書院造りの様式を残しているとされ、質素な中にも端正さを感じる建物です。 最盛期の長岳寺には塔堂が48ヶ坊あったといわれていますが、唯一今日まで残ったものです。現在は庫裏として使用されており、参拝者は休息所として利用することができます。休息所では三輪そうめん(冬場はにゅうめん)を頂くことができます。重要文化財の建物で、名物の三輪そうめんを頂けるとは面白いです。
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重要文化財の旧地蔵院・延命殿(本堂)です。二間四面の小さな堂で、庫裏の持仏堂です。普賢延命菩薩が本尊です。庫裏とは別棟ですが縁でつながっており、庫裏ともども拝観できます。
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庫裏の縁から庭園を見ています。この庭園が造られたのも、旧地蔵院と同じ1630年とされています。
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国内最古と言われる楼門。重要文化財です。 寺伝によれば、弘法大師が長岳寺を創建した時の建物のうち、この楼門だけが当時の面影を残しているそうです。 弘法大師・空海がくぐった門と考えると、ありがたみを感じますが、実際はそこまで古くはないようです。上層が平安時代末期で、下層は室町時代から安土桃山時代にかけての建築らしいです。
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楼門前にはモクレンの大木があり、開花が間近なつぼみをたくさん付けていました。
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美しい楼門ですが、屋根の形状や組み物の様子を見ると鎌倉時代以降に建立されたように感じます。公式的には、上層は平安時代末期のものとされていますが、鎌倉時代以降に改修がなされていると考えます。 上層に鐘を吊っていた遺構があるそうですが、やはり建立後に何回かは手が加えられているということです。
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本堂は1783年の再建で、比較的に新しい建物です。長岳寺の本尊である阿弥陀三尊と、多聞天・増長天の5体の重要文化財の仏像を安置しています。中に入ることができ、外陣よりこれらの仏像を拝見することができます。阿弥陀三尊の脇侍である観世音菩薩像と勢至菩薩像は、片足を下げた半跏像なのが特徴です。 2月だったので花はありませんでしたが、本堂前のツツジがよく茂っています。5月上旬頃には鮮やかな花を見せてくれるのでしょう。
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本堂の前には桜も何本か植えてあり、4月上旬には桜の花も楽しめそうです。 本堂に安置されている5体の重要文化財の仏像は、鉄筋コンクリートの宝物殿に移されることもなく、また大きな博物館などに寄託されることもなく、あくまでも拝む対象として本堂に安置されています。また秘仏にもなっておらず、いつでも拝見することができるのが長岳寺の凄いところです。
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1645年に建築された大師堂。県指定文化財です。 弘法大師像と藤原時代の不動明王が安置されています。
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古墳の石棺に用いられていた石材を加工した大石棺仏。高さが2m近くあります。 鎌倉時代に作られたもので、弥勒菩薩が彫られています。
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真言宗の寺院なので弘法大師像が立っています。梅が見頃を迎えていました。
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鎌倉時代に作られたという十三重石塔。弘法大師像の近くで、解説パネルもなく、ひっそりと立っています。歴史ある長岳寺伽藍の栄枯盛衰を見てきたのでしょうか。
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鏡のように静かな放生池に姿を映す本堂と楼門。塔堂の前に池が広がっているので、浄土式庭園だといえます。冬でもこれだけの佇まいですから、桜や紅葉の季節には素晴らしい景色が楽しめることでしょう。
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長岳寺の主境内から、五智堂に向けて歩きました。長岳寺のすぐ前を山の辺の道が横切っていますので、一部ですが山の辺の道も通りました。長岳寺周辺は「奈良盆地周遊型ウォークルート」にもなっています。 山の辺の道は古代の官道なので、太い道を想像していましたが、早馬なら1頭しか通れないほどの幅だったのは意外でした。
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こうした郷愁を感じる道を歩いて、五智堂を目指します。
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重要文化財の長岳寺・五智堂。太い1本の心柱だけで、建物のほとんどの重さを支えている構造なので、一重塔とも言えるでしょう。外見から傘堂とも呼ばれます。 長岳寺の主境内より西へ約1km近く離れた、飛び地境内にあります。主境内の大門前から西に向かう道を、国道169号線を横切って歩きます。 国道169号線沿いにファミリーマート天理柳本店があり、そこの駐車場の一角が観光者用スペースになっており、そこに車で移動して五智堂に向かえば300mほど歩くだけで済みます。
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五智堂の近くに、案内道標が出ていました。この辺りは「卑弥呼の里」と呼ばれていて、東に1kmほど行けば中山大塚古墳へ、南へ500mほど歩けば黒塚古墳に至るという。中山大塚古墳だと長岳寺の方へ戻ってしまうので敬遠し、黒塚古墳へ行ってみる事にしました。
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大きな外濠に囲まれ、後円部が高い黒塚古墳。囲んでいるのは外濠ではなく、公園の池です。古墳は、柳本公園の一角として整備保存されており、池に囲まれているのです。 黒塚古墳は、古墳時代前期(3世紀後半)に造られたとされる、全長134mの前方後円墳です。
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池の中の浮島のような黒塚古墳と公園とは、池に盛り土をして造った道で連絡しています。古墳に渡ると後円部の頂上に上がることができます。
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後円部の頂上は平らになっていて、三角縁神獣鏡を発掘した学術調査の際に見つかった、長さ約8.2mにも及ぶ石室の実寸大写真パネルが飾られていました。 本物の石室は地下にありますので、覆っている土を透明に見立て、石室を上から見下ろすようにプリントされた写真パネルが並べられているのです。 石室がどういう構造になっているかは、隣接の展示館に実寸大立体模型があるので、それを見ればわかります。
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散策路を下って、前方部に行くことができます。結構な坂道です。
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いま下りてきた散策路を振り返り、後円部を見上げています。前方部と後円部とでは、結構な高さの違いがあります。
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前方部から後円部を見ています。平成9〜10年にかけて大規模な学術調査がなされ、その後は公園の一部として整備されたので、古墳としての姿がきれいに再現されています。
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柳本公園の一角、黒塚古墳の後円部の近くにあります。入場料無料です。展示館の中には、黒塚古墳の竪穴式石室を実寸大で立体的に再現した模型が展示されています。また、黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡のレプリカが展示されています。
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黒塚古墳展示館1階の壁には、懐かしい「鹿男あをによし」のポスターが貼ってありました。「鹿男あをによし」は十数年前に放映されたTVドラマで、神が大地震から日本を救うために、鹿をメッセンジャーにして「三角」なる謎の物体を主人公に探させるという不思議なストーリーでした。 オーケストラが演奏する重厚なテーマ曲や豪華キャストなど、とてもお金がかかった大河みたいなドラマでした。 謎の物体「三角」とは、黒塚古墳展示館に展示されている三角縁神獣鏡だというオチで、展示館はドラマの最終回に登場しました。それで番組のポップポスターが貼られていたのです。
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すぐ近くにある黒塚古墳から多数の三角縁神獣鏡が出土したので、その発掘調査の様子を、実寸大の石室の模型を展示して解説しています。1階と2階から見られるようになっています。 この展示館が登場したTVドラマ「鹿男あをによし」のキーワードは「三角」でした。それが三角縁神獣鏡を指しているというオチは最終回になって判明しました。三角縁神獣鏡を解説するシーンの舞台として、この展示館が使われたのです。主演の玉木宏さんと綾瀬はるかさんが手すりにもたれかかり、実寸大模型を見下ろしているシーンがあったのを思い出しました。
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資料館の2階には、黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡のレプリカが展示されています。なんと33面もの銅鏡が出土したといいますから多さに驚きます。被葬者は、相当高い地位にあった人物でしょう。
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1階から見る竪穴式石室の実寸大模型です。長さ約8.2mにも及ぶ長大な竪穴式石室の様子を、真横から見る事ができます。 石室の天井の断面が逆V字になっています。川原石と板石を合掌式に敷き並べて石室空間が形作られているのです。特殊な構造で、出土した銅鏡の多さも含め、黒塚古墳の特徴となっています。
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とても精巧に作られた石室の実寸大模型で、必見の価値ありです。石室から見つかった三角縁神獣鏡が、発掘時の様子そのままに再現されています。 石室模型には、長さ6m・直径1m以上の、巨木をくりぬいて作った木棺があった様子までもが忠実に再現されています。発掘調査時、木棺自体は腐って消失していましたが、残っていた粘土の土台の形によって木棺の存在がわかったのです。
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天理市にある大和神社(おおやまとじんじゃ)。崇神天皇の御代に創建されたと伝えられ、1700年以上もの歴史を有する古社です。崇神天皇の時代の「大和」とは、この神社が鎮座していた山の辺の道一帯(天理市南部〜桜井市北部)の地域を指していました。支配領域の拡大につれて、奈良県地域全体を指すようになっていったのです。大和という名称は、この神社の名前に由来すると言っても過言ではありません。 このため戦前の旧社格では官幣大社という最高ランクの神社として扱われていました。 また戦艦大和の名称は旧国名「大和」がモチーフでしたので、大和神社の名前が冠されたとも言えます。
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本殿は3殿(中殿・右殿・左殿)構成になっています。写真の一番手前(左側)が右殿で、御年大神(みとしのおおかみ)が祀られています。その隣が中殿で、八千戈大神(やちほこのおおかみ)が祀られています。一番奥(右端)が左殿で、大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)が祀られています。 日本書紀によれぽ、大国魂大神と八千戈大神は、ともに大已貴神(おおなむちのかみ)の異名同神で、国土経営に功をたて武勇にすぐれた神様の名前とされます。御年大神は穀物の守護神と説明されています。
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拝殿の脇から望む本殿域。荘厳な雰囲気です。拝殿の屋根に上がらない限り、中門を前に、3殿ある本殿が横一文字に整然と並んでいる様子は見られません。 限られた者だけが中門をくぐって本殿域に入れるようになっています。本殿域の四方は、透かし塀が囲んでいます。
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拝殿から見た中門と右殿。
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写真右は「ゆかりの碑」で、左に見える社は祖霊社。大和神社の参道脇にあり、いずれも戦艦大和にちなんでいます。 奈良の旧国名・大和が艦名になった戦艦大和の艦内には、大和神社の祭神の分霊を祀った神社が設けられていました。戦艦大和は1945年に坊ノ岬沖海戦によって沖縄沖で沈没しましたが、その時に戦死した第二艦隊司令長官伊藤整一中将以下2,717名は祖霊社に合祀されているのです。家内の叔父が戦艦大和に乗り組み、坊ノ岬沖海戦で戦死しているので、祖霊社におられると考えて念入りに拝みました。
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戦艦大和展示館という小さめの建物があり、中には戦艦大和にご縁がある方々からの寄贈品が陳列されていました。 なかでも目を惹くのは、1/144縮小の戦艦大和の模型。長さが2m近くあり、とても存在感があります。1/144縮小ともなれば、艦尾カタパルト上に載っている艦載機ひとつにしても、手の平に載せたら存在感を主張するサイズになります。
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艦の構造はもちろん、乗組員たちまで再現されています。艦橋の頂上で対空監視にあたる乗組員の姿、マストに張られたワイヤーアンテナの取り回し、ガイシまで精密に再現されています。 戦艦大和の1/144スケール模型キットは、かつて販売されていたようです。でも組み上げて、精密に塗装するとなると実際に戦艦大和に乗り組んでいた人でないとわからない構造や色使いがあります。この模型は、かつて戦艦大和の乗組員であった人が、戦没した乗組員を鎮魂し、戦艦大和の威容を後世に伝えるためにも、精魂込めて作ったと思います。
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沖縄に向けた水上特攻作戦のために、主砲塔の上や付近に追加設置された対空機関砲や射撃手の姿も詳細に再現されています。
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一の鳥居の脇に駐車場があり、そこに駐車しました。駐車場の隅に大きな梅の木があり、花が咲き揃っていました。
山の辺の道 長岳寺と大和神社
1日目の旅ルート
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