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ニイチャンさんの青森県〜新潟県の旅行記

疫病退散! 新奥羽越列藩同盟・東北6県+新潟県、新型コロナ・リベンジの旅

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新型コロナに関連して東北・新潟緊急共同宣言が出され、新・奥羽越列藩同盟結成か? などと言われた、東北6県+新潟県の旅に行ってきました。コロナで3月に計画した東北旅行をキャンセルしたので、その時に予約していた旅館をメインに再予約し、またいつもは列車旅ですがコロナ対策として自家用車利用にしたため、太平洋岸沿いの下道を北上し、東日本大震災の復興状況も見てきました。総走行距離2,105km、新型コロナ・リベンジ旅のはずが関東では感染者数が再び増加し、微妙な時期になってしまったにも拘らず、東北のやさしさ、逞しさ、そして名湯秘湯にも触れるいい旅になりました。

神社ツウ ニイチャンさん 男性 / 60代

1日目2020年7月2日(木)
10:00-12:00

香取神宮

香取市

「香取神宮」を   >

今回のコロナ・リベンジの旅は香取神宮と鹿島神宮に詣で、疫病退散を祈ることから始めることにしました。香取神宮は鹿島神宮の祭神・タケヅチノミコトと共に出雲のオオクニヌシノミコトと国譲りの交渉をしたフツヌシノオオカミを祭っています。現在の香取神宮本殿は江戸中期、元禄13(1700)年に幕府により造営された三間社流造の社殿で国の重要文化財に指定されています。同時期に造られた楼門も国の重文です。最近地震も多いのでナマズの尾を抑えていると言われる要石にもお詣りしました。

11:00-12:00

香取神宮拝殿、幣殿。国の登録有形文化財です。昭和15(1940)年の建築です。

11:00-12:00

香取神宮楼門。本殿と同じく元禄13(1700)造営。国指定重要文化財。

12:00-13:00

鹿島神宮

鹿嶋市

「鹿島神宮」を   >

香取神宮から高速を使い利根川を渡れば、わずか20分で鹿島神宮に到着です。国指定重要文化財の楼門を抜けて茅の輪をくぐると右手に社殿があります。武勇の神、タケヅチノミコトを祭る本殿は香取神宮と同じく三間社流造で江戸前期、元和4〜5(1618〜1619)に造営され、拝殿、幣殿、石の間と共に国の重要文化財に指定されています。本殿前にある仮殿や奥宮の本殿も国の重文です。香取神宮と共にナマズの頭を抑えていると言われる要石にもお詣りしました。

12:00-13:00

鹿島神宮拝殿。本殿と同じく元和4〜5(1618〜1619)造営。国指定重要文化財。

12:00-13:00

鹿島神宮楼門。寛永11(1634)年造営。福岡の筥崎宮、熊本の阿蘇神社の楼門と並び日本三大楼門のひとつ。国指定重要文化財。

16:00-17:00

塩屋岬

いわき市

「塩屋岬」を   >

13時に鹿島神宮を出て国道51号,245号,6号線をひた走り、福島県いわきの塩屋岬に着いたのは16時15分。昔カラオケでよく歌った、美空ひばりの名曲「みだれ髪」の舞台です。灯台を頂く美しい岬を背に歌碑と遺影碑がありました。遺影碑の前に立つと美空ひばりの歌声が流れます。

17:00-18:00

飯野八幡宮

いわき市

「飯野八幡宮」を   >

常磐線いわき駅の北西に飯野八幡宮は鎮座します。平安時代に京都石清水八幡宮を勧請し創建されましたが、関ヶ原合戦後、慶長7(1602)に現在地に移設され、跡地に磐城平城が造られたと言われています。現在の本殿は元和2(1616)年の上棟で、当初は流造であったものがその後の改造により現在のような入母屋造になりました。国の重要文化財に指定されています。幣殿拝殿はいわき市指定有形文化財です。東西に隣接する若宮八幡神社本殿と仮殿や楼門、唐門、神楽殿なども国の重文に指定されています。

17:00-18:00

飯野八幡宮本殿のすぐ右手に建つ若宮八幡神社本殿。元和5(1619)年建設、国指定重要文化財。

17:00-18:00

飯野八幡宮楼門。万治元(1658)年建設、国指定重要文化財。

18:00-23:00

いわき湯本温泉 鮮の宿 柏

「いわき湯本温泉 鮮の宿 柏」を   >

飯野八幡宮から常磐線沿いを戻るように南下して約30分、午後6時前にいわき湯本温泉に到着です。今日の宿、鮮の宿柏はカジュアルな宿ですが、源泉かけ流しの少し熱めの湯はよく温まります。福島の地酒、大七と東豊国で新鮮な刺身と揚げたてのメヒカリのフライを流し込みました。

2日目2020年7月3日(金)
08:00-09:00

いわき湯本 温泉神社

いわき市

「いわき湯本 温泉神社」を   >

今日は国道6号,45号線を北上し気仙沼まで行く予定です。出発前に宿の近くの温泉神社にお詣り行くと鳥居の前で放射線量の計測が行われており、東日本大震災の影響がまだ及んでいるのだなと感じました。茅の輪をくぐり、本殿前で疫病退散と震災復興、旅の安全を願いました。

11:00-12:00

涼ヶ岡八幡神社

相馬市

「涼ヶ岡八幡神社」を   >

いわき湯本温泉を9時に出発して国道6号線をひた走り、相馬市の涼ヶ岡(スズミガオカ)八幡神社に到着したのは11時過ぎ。途中、福島第一原発に近い大熊町や双葉町などでは国道からの脇道はバリケートで塞がれ、国道に設置された線量計は最大で1.691マイクロシーベルトを表示していました。涼ヶ岡八幡神社の創建は建武年間と言われ、現在の本殿・幣殿・拝殿は相馬家により元禄8(1695)年に造営されました。同じ頃に建てられた摂社若宮八幡宮本殿や末社亀齢社本殿、随身門と共に国の重要文化財に指定されています。

11:00-12:00

摂社若宮八幡宮本殿。元禄8(1695)年頃建設、三間社流造、国指定重要文化財。

11:00-12:00

末社亀齢社本殿。元禄8(1695)年頃建設、一間社流造、国指定重要文化財。

11:00-12:00

涼ヶ岡八幡神社の夫婦杉

相馬市

「涼ヶ岡八幡神社の夫婦杉」を   >

国指定重要文化財の随身門をくぐると右手に大きな杉の木が聳えます。相馬市の天然記念物の夫婦杉です。左手に対の杉があればこその夫婦杉なのですが、平成14(2002)年10月に襲った台風21号で1本が倒壊してしまったというはなし。悲し〜 !

13:00-14:00

鹽竈神社

塩竈市

「鹽竈神社」を   >

涼ヶ岡八幡神社から工事中が目立つ仙台湾沿いを走ること約70km、14時前に鹽竈神社に到着です。今回の旅の始まりは香取神宮と鹿島神宮詣ででしたが、その両宮の祭神を祭っているのがこの鹽竈神社。鹿島神宮のタケヅチノミコトを祭る左宮と香取神宮のフツヌシノオオカミを祭る右宮の本殿は同一形式の三間社流造。それぞれの本殿前の幣殿は廻廊で接続し、朱塗りの1棟の左右宮拝殿に繋がる珍しい形式。伊達家により宝永元(1704)年に整備され、別宮や唐門、随身門などと共に国の重要文化財に指定されています。

13:00-14:00

桁行7間・梁間4間、入母屋造の鹽竈神社左右宮拝殿。寛文3(1663)年に建設された拝殿が再用されています。国指定重要文化財。

13:00-14:00

左右宮拝殿より一回り小さい鹽竈神社・別宮拝殿。やはり寛文3(1663)年の拝殿が再用されており、後ろには左宮・右宮と同時代、同形式の幣殿、本殿が1棟ずつ建っています。すべて国指定重要文化財。

13:00-14:00

立派な楼門、鹽竈神社随身門。宝永元(1704)年建設、国指定重要文化財。

13:00-14:00

花崗岩で造られた鹽竈神社鳥居。寛文3(1663)年建立、国指定重要文化財。駐車場と方向が違うため階段を下りるのを躊躇し、後ろからの写真撮影となりました。ゴメンナサイ。

15:00-16:00

日和山公園(宮城県石巻市)

石巻市

「日和山公園(宮城県石巻市)」を   >

塩釜から松島を右手に眺めながら国道45号線を走り、15時過ぎに石巻に着きました。高台にある石巻城址、日和山公園からは石巻の復興状況が望めます。

15:00-16:00

日和山公園から眺めた石ノ森萬画館の建つ旧北上川中洲の復興状況。

15:00-16:00

鹿島御児神社

石巻市

「鹿島御児神社」を   >

日和山公園の展望台から一段高くなったところに鹿島御児神社がありました。鹿島神宮の祭神、タケヅチノミコトとその児のカシマアマタリワケノミコトの親子二神が祭られています。またもや鹿島神宮とのご縁です。震災復興と疫病退散、旅の安全を祈りました。

18:00-19:00

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

15時半過ぎに日和山を後に、途中84名の児童・教職員が犠牲になった大川小学校跡に寄って線香を手向け、被災した向洋高校校舎を残して震災伝承施設にした気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に着いたのが夕方6時前。既に閉館時間が過ぎており中の見学はできませんでしたが、フェンスの外からも校舎の被害状況は垣間見えました。

19:00-23:00

気仙沼湾一望 新鮮な海の幸を頂く宿【気仙沼プラザホテル】

「気仙沼湾一望 新鮮な海の幸を頂く宿【気仙沼プラザホテル】」を   >

今夜の宿は気仙沼プラザホテル。夕食の時間は19時がラストらしいのですが、到着が遅くなり、19時半からにしてもらいました。高台に位置し眺めの良い宿で、部屋から気仙沼湾最奥部の遊覧船発着所が見えました。右手の尖がり屋根はお魚いちばの駐車場から上がってこられるエレベーター塔です。

3日目2020年7月4日(土)
09:00-10:00

いわてTSUNAMIメモリアル(東日本大震災津波伝承館)

陸前高田市

「いわてTSUNAMIメモリアル(東日本大震災津波伝承館)」を   >

今日は朝から雨です。気仙沼プラザホテルを8時45分に出て、約30分で陸前高田の津波復興祈念施設に到着しました。東側(写真右側)は東日本大震災津波伝承館、西側は道の駅になっています。周囲約130haが津波復興祈念公園として来年3月のオープンを目指して整備されています。

09:00-10:00

奇跡の一本松

陸前高田市

「奇跡の一本松」を   >

津波復興祈念施設から整備中の広大な園地抜けて歩くこと約10分、ようやく奇跡の一本松に出会うことができます。そのすぐ近くには震災遺構の陸前高田ユースホステルが被災したままの姿を留めており、えもいわれぬ感慨を覚えました。

11:00-12:00

釜石鵜住居復興スタジアム

釜石市

「釜石鵜住居復興スタジアム」を   >

陸前高田を10時過ぎに出て国道45号線を北上し、三陸鉄道・鵜住居駅前に到着したのが11時半。駅前に整備されたうのすまい・トモスの鵜の郷交流館でお土産に酒を買い、釜石祈りのパークの上から駅前を見渡すと線路の向こうに雨に煙る復興スタジアムのスタンドが見えました。

13:00-14:00

田老の防波堤

宮古市

「田老の防波堤」を   >

鵜住居から約60km、13時半に道の駅たろうに着きました。国道45号線沿いの道の駅のすぐ裏手に昭和三陸津波の翌年、昭和9(1934)年から昭和54(1979)年にかけて総延長2,433m、高さ10mで整備された防波堤を見ることができます。東日本大震災ではこの防波堤をも津波が乗り越え、甚大な被害をもたらしました。

13:00-14:00

津波到達点

宮古市

「津波到達点」を   >

防波堤のすぐ海側に東日本大震災の津波で1,2階が破壊されたまま遺構として残されている、たろう観光ホテルがありました。建物の前面にはいまだに広大な工事エリアが広がっています。

14:00-15:00

震災遺構明戸海岸防潮堤

田野畑村(下閉伊郡)

「震災遺構明戸海岸防潮堤」を   >

田老の道の駅を14時に出て、田野畑の明戸海岸に着いたのが14時46分。東日本大震災で破壊された防潮堤が残され、周辺は公園として整備されています。

18:00-23:00

グランドサンピア八戸

「グランドサンピア八戸」を   >

田野畑・明戸海岸から海岸沿いの国道45号線を走ってちょうど100km、今宵の宿、青森県八戸市にあるグランドサンピア八戸に18時前に到着しました。翌日7月5日から舘鼻岸壁の朝市が始まるというので選んだ宿だったのですが、夕食の鮑の踊り焼きをモッキリの地酒で楽しんだ祟りか、寝過ごして朝市には行けず!残念無念!

4日目2020年7月5日(日)
09:00-10:00

櫛引八幡宮

八戸市

「櫛引八幡宮」を   >

舘鼻岸壁朝市には行きそびれたけれど、今日の宿泊地は岩手県の花巻温泉なので距離的には近く時間に余裕があるため、まずはグランドサンピアの近くにある櫛引八幡宮にお詣りです。現在の社殿は盛岡藩の南部家により慶安元(1648)年に造営されたもので、本殿、旧拝殿(現在の長所)、末社神明宮本殿、末社春日社本殿、南門(正門)が国の重要文化財に指定されています。また境内にある近代建築の明治記念館は県重宝となっています。下北半島を含む今の青森県の東部は盛岡藩だったのですね。

09:00-10:00

櫛引八幡宮長所(旧拝殿)。慶安元(1648)年建築、現在の拝殿が新築されるのに伴い、今の場所に移築。国指定重要文化財。

09:00-10:00

末社春日社本殿。慶安元(1648)年建築、東北地方では珍しい春日造の社殿。国指定重要文化財。

09:00-10:00

櫛引八幡宮南門。慶安元(1648)年建築、国指定重要文化財。

09:00-10:00

明治記念館。明治14(1881)年に八戸小学校の講堂として建設された木造2階建ての近代建築。昭和37(1962)年に櫛引八幡宮境内の今の場所に移築された。県重宝。

12:00-13:00

盛岡城跡公園(岩手公園)

盛岡市

「盛岡城跡公園(岩手公園)」を   >

八戸の櫛引八幡宮を9時半に出発し盛岡に着いたのが12時前。今回の旅の総走行距離も1,000kmを越えました。盛岡城跡公園近くの駐車場にクルマを止め、本丸跡に昇り公園を突っ切って赤レンガを目指します。

12:00-13:00

盛岡城本丸跡に像のない不思議な台座がありました。日露戦争で戦死した南部家42代利祥(トシナガ)氏の叙勲を顕彰するため明治41(1908)年に騎馬像が建立されましたが、昭和19(1944)年に軍需資材として供出されてしまい、台座だけ残っているということです。

12:00-13:00

もりおか歴史文化館

盛岡市

「もりおか歴史文化館」を   >

盛岡城跡を抜けると中津川沿いに歴史文化館がありました。今回はクルマ旅のため駅前の観光案内所で地図等を入手しずらかったので、まち歩きの資料をもらうついでに入館してみました。まず体温測定、そして誓約書に連絡先を記入、入館料300円(1階のみの見学は無料)を払い、鎖を外して、ハイ、入館です。1階は祭や観光情報展示、2階は盛岡藩の歴史展示エリアになっています。1階には秋祭りの山車の立派な実物大模型が飾られていましたが、今年は中止とのことで大変残念です。来年はさんさや秋祭りが盛大に行われることを期待します。

12:00-13:00

もりおか啄木・賢治青春館(旧第九十銀行本店本館)

盛岡市

「もりおか啄木・賢治青春館(旧第九十銀行本店本館)」を   >

盛岡出身の建築家、横浜勉の設計により明治43(1910)年に竣工した国指定重要文化財の近代建築です。煉瓦造2階建ての瀟洒な建物で、現在はもりおか啄木・賢治青春館という市の施設になっていますが、入口前が停留所でバス待ちの人が多く入りずらかったので、外観写真を撮るだけで内部はスルーしました。

12:00-13:00

岩手銀行赤レンガ館

盛岡市

「岩手銀行赤レンガ館」を   >

辰野葛西建築設計事務所の設計により明治44(1911)年に盛岡銀行本店として竣工した近代建築。煉瓦造2階建て、赤レンガに白いコーナーストーンが映える、いわゆる辰野式フリークラシックスタイルの典型です。きれいに復元された内部も一部は無料で見学できます。国の重要文化財に指定されています。

12:00-13:00

岩手銀行赤レンガ館の内部、旧営業室。

13:00-14:00

岩手県公会堂

盛岡市

「岩手県公会堂」を   >

岩手県公会堂は佐藤功一設計により昭和2(1927)年に竣工しました。国の登録有形文化財に登録されている近代建築です。盛岡には2年前にさんさ踊りを見に来たことがありますが、さんさの優美さと冷麺のおいしさしか記憶に残っていません。今回僅かな時間ですが官庁街を歩いてみて、何となく横浜と雰囲気が似ているなと感じました。岩手銀行と公会堂が横浜開港記念会館と横浜地方裁判所に印象が重なったためカナ?

13:00-14:00

石割桜

盛岡市

「石割桜」を   >

この日は日曜日でしたが、盛岡地裁の門は開いていました。芝生のきれいな前庭に、確かに大きな石の割れ目から生えている桜の木があります。花の季節は過ぎていますが強い生命力を象徴する美しい緑が印象的です。さすが国の天然記念物。

13:00-14:00

特産品プラザらら・いわて盛岡店

盛岡市

「特産品プラザらら・いわて盛岡店」を   >

カミさんに岩手土産に戸田久の冷麺を必ず買ってくるように言われていたので、駐車場の前にあったらら・いわてというお土産屋で冷麺・じゃじゃ麺・わんこそばのセットと福来の特別純米酒をお買い上げ。

15:00-23:00

日本百名湯 日本一深い天然自噴岩風呂を有す秘湯宿 藤三旅館

「日本百名湯 日本一深い天然自噴岩風呂を有す秘湯宿 藤三旅館」を   >

今夜の宿は花巻温泉郷の名物宿、鉛温泉・藤三旅館です。盛岡から50km、15時15分に到着しました。3月にキャンセルした宿ですが、立って入浴する白猿の湯にどうしても入ってみたくて再チャレンジしました。旅館内には他にも浴場がありますが、女性専用時間や貸し切り時間制など、宿泊しなければ全部の浴場を制覇するのは難しい。立って入るのは上諏訪温泉の片倉館以来ですが、白猿の湯は私の大好物のぬるめの湯で夕食前、就寝前、朝風呂と堪能し、もちろん他の浴場も制覇しました。特に桂の湯の露天は一段下の川沿いにも小さなぬるゆの湯舟があり、川の流れを眺めながらゆっくり入ることができました。

5日目2020年7月6日(月)
10:00-11:00

御座石神社

仙北市

「御座石神社」を   >

田沢湖の湖水際に赤い鳥居が見えたので近くの駐車場にクルマを止めました。田沢湖伝説の主人公の辰子姫や秋田藩主の佐竹公にゆかりのある御座石神社の鳥居でした。美容や恋愛成就など女性に人気のパワースポットとのことでしたが、私は茅の輪をくぐり疫病退散を祈りました。

10:00-11:00

田沢湖

仙北市

「田沢湖」を   >

8時45分に鉛温泉を出発し、細い山道を抜け、国道46号,341号線をたどり、田沢湖畔に着いたのが10時半前。日本一深い湖の水は吸い込まれるように青く、透き通った水面から泳ぐ魚の群れが見えました。

11:00-12:00

黒森山展望台

仙北市

「黒森山展望台」を   >

田沢湖から国道341号線を突っ切って田沢湖高原へ登っていくと道路際に黒森展望台と表示された駐車場がありました。だいぶ木が茂っていましたが、木々の間から田沢湖を望む雄大な景色を見ることができました。

12:00-13:00

玉川ダム湖(宝仙湖)

仙北市

「玉川ダム湖(宝仙湖)」を   >

田沢湖高原を下り、玉川温泉を目指して国道341号線を走っていると宝仙湖というダム湖の脇に公衆トイレがあったので一休憩。一つ下の鎧畑ダムによってできる秋扇湖は水没林で有名らしいのですが、水が少なく見られませんでした。ちょっと時期が遅かった。

13:00-14:00

玉川温泉・新玉川温泉

仙北市

「玉川温泉・新玉川温泉」を   >

田沢湖高原を11時40分に出て、途中秋扇湖や宝仙湖に寄って玉川温泉に着いたのが午後1時。自然研究路の入口前にある玉川温泉の食堂でおにぎりとパンを買い、少し遅めの昼食を摂りました。

13:00-14:00

玉川温泉自然研究路

仙北市

「玉川温泉自然研究路」を   >

あちらこちらで噴煙や水蒸気が揚がっている中を廻る自然研究路はゆっくり歩いても30分くらいで1周できます。北投石近くの園路脇や、途中にあるテント小屋にはゴザなどを敷いて寝転ぶ人が多く見られます。ゴザなどは玉川温泉で借りられるようです。放射線が効くのかどうかわからないけれど、この大自然の力は健康には確かにプラスになるような気がします。

13:00-14:00

玉川温泉の北投石

仙北市

「玉川温泉の北投石」を   >

ラジウムなどの放射性物質を放射するという鉱石が北投石。世界でも台湾の北投温泉と日本のこの玉川温泉の2か所でしか産出されません。国の特別天然記念物になっており、現在は採取が禁止されています。

13:00-14:00

玉川温泉 大噴

仙北市

「玉川温泉 大噴」を   >

湧出量日本一を誇る玉川温泉の源泉、大噴(オオブケ)。98℃の強酸性のお湯が真っ白な湯気を上げてボコボコと湧き出しています。

15:00-16:00

小坂鉄道レールパーク

小坂町(鹿角郡)

「小坂鉄道レールパーク」を   >

玉川温泉を13時50分に出て国道341号,282号線を走り、かつて鉱山で栄えた町・小坂に着いたのが15時過ぎ。明治42(1909)年、小坂製錬小坂線(通称小坂鉄道)の開通と共に造られた小坂駅は平成21(2009)年に廃駅となりましたが、駅舎や機関車庫は残されレールパークの施設として使われています。

15:00-16:00

明治百年通り

小坂町(鹿角郡)

「明治百年通り」を   >

小坂鉄道レールパークの駐車場から県道2号線を渡ると明治百年通りです。約500m続く通り沿いにはかつての小坂町の発展を支えた多くの近代建築が建ち並んでいます。これらの施設はコロナの影響で一時営業を中止しており、7月1日に再オープンしたばかりでした。

15:00-16:00

国重要文化財「明治の芝居小屋 康楽館」

小坂町(鹿角郡)

「国重要文化財「明治の芝居小屋 康楽館」」を   >

小坂鉱山の厚生施設として明治43(1910)年に建てられた芝居小屋です。昭和60(1985)年に小坂町に譲渡されましたが、現役の芝居小屋として賑わっています。設計は小坂鉱山事務所工作課の営繕掛長、山本辰之助と言われ、国の重要文化財に指定されています。内部の見学は再開され、有名な役者さんたちの落書きやサインが残された舞台裏手の楽屋も見ることができましたが、まだ演劇等の公演は目途が立っていないようです。

15:00-16:00

康楽館内部。舞台裏手の楽屋は2階建て。

16:00-17:00

国重要文化財「小坂鉱山事務所」

小坂町(鹿角郡)

「国重要文化財「小坂鉱山事務所」」を   >

明治38(1905)年に小坂鉱山の本部事務所として建設された木造3階建、白亜のオフィスビルです。設計は小坂鉱山事務所工作課の北湯口勇太郎と推定されています。平成13(2001)年に現在の場所に移築復元され、鉱山資料館になっています。国の重要文化財に指定されています。

16:00-17:00

旧聖園マリア園「天使館」

小坂町(鹿角郡)

「旧聖園マリア園「天使館」」を   >

昭和7(1932)年に小坂鉱山従業員のために作られた幼児教育施設。平成4(1992)1992)年までキリスト教に基づく小坂マリア園という保育園として使われていましたが、今は町の多目的ホールになっています。国の有形文化財に登録されています。

17:00-23:00

縄文のふる里 大湯温泉 ホテル鹿角

「縄文のふる里 大湯温泉 ホテル鹿角」を   >

小坂レールパークの駐車場を出て約20分で今日の宿、大湯温泉のホテル鹿角に到着です。ここも3月にキャンセルした宿です。フロントやレストランで新人らしき従業員を見守る先輩従業員の姿が見受けられましたが、やはりコロナの影響で7月から再オープンしたばかりと聞きました。今回の旅も5日目になり明日は途中でコインランドリーを探そうかと考えていたところ、リゾートホテルにも拘らず、エレベーター内に新たにランドリールームを設置したという張り紙がありました。早速使わせてもらい助かりました。もちろん温泉も食事も満足です。

16:00-17:00

旧小坂鉱山事務所のエントランスホールのらせん階段。

6日目2020年7月7日(火)
09:00-10:00

大湯環状列石

鹿角市

「大湯環状列石」を   >

大湯温泉の近くに縄文時代後期のストーンサークル(環状列石)があるというので行ってみました。広い草原の中に草葺きの建物がポツンポツンと建っています。その中央にいくつもの石が円形に並べられていました。この万座環状列石は直径52mで国内最大級の環状列石だそうです。道路を挟んですぐ近くに少し小ぶりの野中堂環状列石もあります。

12:00-13:00

道の駅 おおがた 産直センター潟の店

大潟村(南秋田郡)

「道の駅 おおがた 産直センター潟の店」を   >

大湯ストーンサークルの駐車場を9時半に出発し国道103号,285号線を抜けて八郎潟にある道の駅 おおがたに着いたのが11時半。いぶりがっこ等のお土産と共におにぎりを買ってお昼にしました。

11:00-12:00

八郎潟干拓地

大潟村(南秋田郡)

「八郎潟干拓地」を   >

私が小学生の頃は干拓と言えば八郎潟で社会の時間にも習った覚えがありますが、今は九州の有明海の方が有名かもしれません。八郎潟は琵琶湖に次ぐ日本第2位の湖でしたが昭和32(1957)年に干拓工事に着工し、昭和42(1967)年からは入植が始まり、昭和52(1977)年には竣工しました。一面の田んぼの中を長い直線道路が縦横に走っています。

13:00-14:00

天徳寺

秋田市

「天徳寺」を   >

八郎潟を出て約1時間、13時15分に秋田市内の天徳寺に到着しました。天徳寺は曹洞宗のお寺で秋田藩主、佐竹氏の菩提寺です。貞享4(1687)年建立の本堂は書院や山門、総門と共に国の重要文化財に指定されています。あいにく本堂は修復工事中で素屋根に覆われ見ることはできませんでした。宝永6(1709)年建立の山門は立派な楼門でしたが、ちょっと残念!

15:00-16:00

天然記念物「象潟」九十九島

にかほ市

「天然記念物「象潟」九十九島」を   >

羽越本線で象潟(キサカタ)あたりを何度か通った時に田んぼの中にいくつもの島が浮かぶような景色が気になってましたが、今回は良いチャンスなので車で立ち寄ってみました。九十九島と言うと長崎を思い起こしますが、ここは松尾芭蕉の奥の細道にも歌われている景勝地、象潟の九十九島だそうです。もとは紀元前の鳥海山の噴火による山体崩壊で浅海の中にいくつもの島が浮かぶ地形ができ、古来風光明媚な場所として知られていましたが、文化元(1804)年の象潟地震で海底が隆起し現在のような地形になったということです。不思議!

15:00-16:00

鳥海山元滝

にかほ市

「鳥海山元滝」を   >

象潟から鳥海山に向かって少し山道を登っていくと象潟病院の奥に元滝伏流水があります。駐車場に車を止め、林に覆われた川沿いの山道を歩くこと約10分。川に沿って幾重にも落ちる水の流れがありました。周囲は霧が立ち込めひんやりとして神秘的な雰囲気。ありがたい鳥海山の伏流水です。

16:00-23:00

湯ノ田温泉 酒田屋旅館

「湯ノ田温泉 酒田屋旅館」を   >

元滝伏流水から25分、国道345号線沿い日本海に面して今日の宿、酒田屋旅館がありました。この宿も3月キャンセルのリベンジです。やはり5月,6月はしばらく休業していたとのこと。建物は少々古いけれど、縁側の外には日本海が広がっています。魚介がメインの食事とぬるめの温泉、そして安価という私の大好物の宿でした。

7日目2020年7月8日(水)
08:00-09:00

鳥海山大物忌神社

遊佐町(飽海郡)

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鳥海山大物忌神社は鳥海山を御神体としており、遊佐町内の吹浦と蕨岡に里宮があります。吹浦口之宮は湯の田温泉からわずか10分、吹浦の街並みの奥に鎮座しています。下拝殿脇の階段を昇ると拝殿があり、その奥の一段高いところに本殿があります。本殿の左側に摂社月山神社本殿が並んで建っています。どちらも宝永8(1711)頃に建てられた一間社流造の社殿で、拝殿や下拝殿などと共に国の有形文化財に登録されています。

09:00-10:00

羽黒山(山形県鶴岡市)

鶴岡市

「羽黒山(山形県鶴岡市)」を   >

県道47号線、羽黒街道が山裾にかかる辺りに道路を跨ぐ大きな鳥居がありました。羽黒山の大鳥居です。2年前の平成30(2018)年に90年ぶりに建て替えられ、少し大きくなったみたいです。

09:00-10:00

羽黒山正善院黄金堂

鶴岡市

「羽黒山正善院黄金堂」を   >

羽黒山五重塔に向かう前に正善院黄金堂に寄ってみました。山岳信仰の地だけあって周辺には宿坊が建ち並んでいます。黄金堂は桁行5間・梁間4間で宝形屋根を持つお堂で、桃山時代、文禄5(1596)年に建立されました。国の重要文化財に指定されています。

10:00-11:00

羽黒山の杉並木

鶴岡市

「羽黒山の杉並木」を   >

五重塔に行くには山道を登るものだとばかり思っていましたが、随神門をくぐると急な下りの石段でした。まさに杉木立の中を行く修験道のような雰囲気です。

11:00-12:00

羽黒山 秡川と須賀の滝

鶴岡市

「羽黒山 秡川と須賀の滝」を   >

古来修験者が禊(ミソギ)をしたという祓川と須賀の滝。滝の近くに行くには欄干のない石橋を渡らなければなりませんが、水嵩を増した祓川は音を立てて流れており雨で滑りそうでちょっと怖い。

10:00-11:00

羽黒山五重塔

鶴岡市

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随神門から急な坂道を下り、祓川から緩やかな山道を登ること10分弱、杉並木の中に五重塔が見えます。さすが国宝、凛とした立ち姿です。高さ29m、応安5(1372)年頃に建てられました。広島県の明王院五重塔と並ぶ室町時代を代表する五重塔です。

11:00-12:00

羽黒山 鐘楼と建治の大鐘

鶴岡市

「羽黒山 鐘楼と建治の大鐘」を   >

五重塔から一度随神門脇の駐車場に戻り、車で羽黒山山頂へ行くことにしました。400円を払い、羽黒山・湯殿山有料道路を使って約10分、山頂駐車場に到着です。茅葺の野太い鐘楼は元和4(1618)年建立、梵鐘は建治元(1275)年の銘があり、ともに国の重要文化財に指定されています。

11:00-12:00

三神合祭殿

鶴岡市

「三神合祭殿」を   >

羽黒山の中心建物です。月山・羽黒山・湯殿山の3神を合わせて祀っているので、三神合祭殿と言われる大建築です。またもや残念ながら改修工事中で、唐破風と千鳥破風が重なる美しい正面部分を拝むことはできませんでしたが、内部拝観はでき、世界平和と疫病退散を祈りました。

14:00-15:00

松本園

羽黒山頂のレストハウスで昼食に天ぷらそばを食べ、出発したのが12時ちょうど。国道345号線を走り、去年訪れた湯田川温泉やあつみ温泉を抜け、新潟県の村上に着いたのが14時過ぎ。途中国道345号線と7号線との分岐に気づかずに陸地側に入ってしまい、笹川流れなどの海岸沿いを走れずとても残念。村上ではお話し好きの店主がいる松本園に寄ってお茶を購入。

14:00-15:00

浄念寺

村上市

「浄念寺」を   >

せっかく村上に立寄ったので、珍しい土蔵造りのお寺、浄念寺にお参りすることにしました。本堂は文化15(1818)に建立された国指定重要文化財建造物です。立ちの高い内陣に安置される本尊の阿弥陀如来に、世界平和と疫病退散を祈願しました。

14:00-15:00

有限会社きっかわ/味匠 喜っ川

村上市

「有限会社きっかわ/味匠 喜っ川」を   >

村上と言えば鮭ですが、専門店のきっかわに寄ってお土産を物色することにしました。常温でも持ち帰れる、酒びたしや鮭の中骨、どんがら煮などを買いました。

17:00-23:00

湯田上温泉 なつかしの宿 末廣館

「湯田上温泉 なつかしの宿 末廣館」を   >

今日の宿は新潟県の湯田上温泉、末廣館です。15時半に村上を出て17時半に宿に到着しました。この宿は3月にキャンセル料発生期日が過ぎてからキャンセルしたにもかかわらず、キャンセル料の請求が無く、今回のリベンジ旅を思いつくきっかけとなりました。ところが翌朝チェックアウト時に「板長がプランを間違えたので宿泊料を値引き、飲み物代はサービスします。」とのこと。確かに夕食時の品数が少ないかなと思いましたが、もともとクーポン等を使い低廉な価格だったので、恐縮至極!金鶴の純米酒が美味かったので、また行かねばならぬカナ?

8日目2020年7月9日(木)
13:00-14:00

道の駅 こもち 白井宿ふるさと物産館

渋川市

「道の駅 こもち 白井宿ふるさと物産館」を   >

今日は旅行の最終日です。湯田上温泉を9時10分に出発し国道403号,290号,17号線等をひた走り、群馬県の道の駅 こもちについたのは13時半。遅めの昼食を摂り、お土産も買いました。

13:00-14:00

白井宿

渋川市

「白井宿」を   >

道の駅 こもちの裏手に白井宿があります。中世、白井城の城下町として開け、近世初頭に白井藩が廃藩され城も破棄された後も市場町として栄えました。道路の中央に堰(セキ)があり、春には堰に沿って植えられた八重桜の見事な桜並木が見られるそうです。

14:00-15:00

子持山(群馬県渋川市)

渋川市

「子持山(群馬県渋川市)」を   >

白井城址の近くにある玄棟院という曹洞宗のお寺に親戚の墓があるので、旅の最後にしばらくぶりの墓参り。墓地のはずれから小野子山や子持山が望めました。あとは国道17号線をたどって帰宅の途に着きます。安全運転!

疫病退散! 新奥羽越列藩同盟・東北6県+新潟県、新型コロナ・リベンジの旅

1日目の旅ルート

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