裁断橋跡
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裁断橋跡の口コミ一覧
1 - 6件 (全6件中)
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- カップル・夫婦
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐に出征し亡くなった、堀尾金助の母が息子の菩提を弔うため、見送った裁断橋の擬宝珠に銘文を刻み橋の架け替えを行ったと伝わります。母の愛情はとても深く有難いものですね。いつの世も…- 行った時期:2019年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年2月25日
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- 家族
裁断橋は名古屋市熱田区にあった橋である(日本百名橋の番外に選ばれた)。擬宝珠には銘文が刻まれている。天正18年(1590年)の小田原征伐で亡くなった息子の菩提を弔うため、その母親が戦場へ行く息子を見送ったとされる橋の架け替えを行ない、33回忌の供養としたことが記されている。現在、川は消滅し記念としてその址が保存されている。小牧市大口町の堀尾跡公園には、五条川を跨ぐ形でかつての裁断橋が焼失する前の姥堂の山門と合わせて再現されている。
擬宝珠には母の願いが込められた次のような文言が見られる。
「てんしやう(天正)十八年二月十八日
おだはら(小田原)への御じん(陣)
ほりをきん助(堀尾金助)と申す十八になりたる子を
たヽせてより又ふためとも見ざるかなしさのあまりに
いまこのはし(橋)をかける事
はは(母)の身にはらくるい(落涙)ともなり
そくしんじやうぶつ(即身成仏)し給へ
いづがんせいしゆん(法名:逸岩世俊)と後の世の又のちまで
此のかきつけを見る人は念仏申し給へや三十三年のくやう(供養)也」- 行った時期:2013年6月18日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:その他
- 人数:2人
- 投稿日:2018年5月24日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- 一人
地碑と同じ場所にあります。非常に短い橋なので記念写真を撮るぐらい。住宅街にあるため歩いていても気づけないほどまわりと一体化しています。- 行った時期:2013年1月
- 投稿日:2017年12月11日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- 家族
名鉄常滑線と国道1号線が交差するところ、ブックオフやトヨタカローラ愛豊の反対側、寿司のまる忠より少し奥に入ったところにあります。都々逸発祥の地と同じところです。
ここだけめぐるというのは得策ではないので、少し東の一里塚跡にある看板(家康が立ち寄った寺だとかが載っている)を参考に、近くを散策するのがいいかと。
周りは普通の住宅ばかりなので、静かです。- 行った時期:2017年3月20日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年4月9日
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愛知ツウ ちーちゃんさん 女性/40代
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裁断橋の跡地は、
私の家の近所で普通に通り過ぎるような所にあるので観光地って感じが全然しないのですが、笑
伝馬町のエクセルインホテルの向かい側にあります☆☆
小学生の頃に習ったのですが、
裁断橋は悲しいお話でもあり、天昇時代に息子が母親の為に作ったとても意味のある感動的な橋です☆
とくに何もないですが、(笑)行ってみてはいかがでしょうか★o(^-^)o- 行った時期:2010年6月7日
- 投稿日:2010年6月8日
この口コミは参考になりましたか?0はい