俊寛堂
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昔の島の家です - 俊寛堂の口コミ
hiroさん 女性/40代
- カップル・夫婦
壁は竹を編んで作るものです。忘れられた島という本を読んでいくとよいでしょう。車道横からコケ?むした坂道を少し歩くと到着します。
- 行った時期:2015年2月10日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2015年2月15日
- この口コミは参考になりましたか?1はい
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薩摩硫黄島にある俊寛堂
薩摩硫黄島を訪れる前に俊寛の歴史を勉強していくと理解が深まる。
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- 行った時期:2023年3月12日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2023年3月16日
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俊寛堂
治承元年(1177年)、京都・鹿谷でめぐらした俊寛の平家討伐の陰謀が漏れ、藤原成経、平康頼らとともに流されてきたのが鬼界ヶ島と呼ばれた硫黄島です。成経と康頼は後に許され、島を去ってゆきましたが、俊寛だけは平清盛の怒りが解けず一人取り残されました。そして長浜川の上流に粗末な庵を結び、ひとり住んでいましたが2年後の1179年、失意のうちに37歳で亡くなりました。 島の人たちはその生涯を哀れみ、俊寛が行き来した川原に墓を建て、のちに彼の住まいの跡に墓を移転し、俊寛堂として祀ってきました。今もお盆には俊寛を弔う送り火が焚かれます。かつて俊寛が流刑された鬼界ヶ島はこの硫黄島とされ、俊寛ゆかりの史跡も多数見られます。平成8年には中村勘九郎丈によって、世界史上初、史実の地での歌舞伎公演「俊寛」が披露されました。また壇ノ浦の海中に果てたとされる安徳天皇が落ち延びた地といわれ、その史実を示す史跡、史料も多数存在しています。
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- 行った時期:2016年5月
- 投稿日:2017年2月2日