後藤象二郎特集/坂本龍馬特集

後藤象二郎の人生
後藤象二郎の人生
1838年土佐藩高知城下片町に生まれる。少年期に義兄・吉田東洋の小林塾にて学ぶ。1858年吉田の推挙により幡多郡奉行、御近習目付、その後は普請奉行として活躍するが、翌年に吉田が暗殺されるや失脚。1863年に藩政に復帰し、前藩主山内容堂の信頼を得るとともに、江戸の開成所にて蘭学や航海術、英学を学んだ。1864年には大監察に就任し、公武合体派の急先鋒として、武市瑞山らを切腹させるなど土佐勤王党を弾圧した。1867年政治姿勢を攘夷論に転換し、尊皇派の坂本龍馬と会談。坂本の提案とされる船中八策に基づき、徳川慶喜の大政奉還を提議した。容堂とともに連署して大政奉還建白書を提出し、慶喜がこれを受けて大政奉還を行った。新政府では参与、左院議長、参議などの要職に就くが、1873年の征韓論争に敗れ、板垣退助・西郷隆盛らと共に下野する。板垣・江藤新平・副島種臣らと共に愛国公党を結成し、民選議院設立を建白した。その後、長崎県の高島炭鉱を政府から約55万円で払い下げを受けられて蓬莱社を設立するも放漫経営のため破綻し、2年後には三菱の岩崎弥太郎に売却している。1881年、板垣を中心として自由党を結成し、後に大同団結運動を推進するが、のちに政府への協力に転じる。黒田内閣や第1次松方内閣で逓信大臣、第2次伊藤内閣で農商務大臣などを歴任した。

