宝積寺
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静寂な場所 - 宝積寺のクチコミ
ベッペさん 男性/40代
- カップル・夫婦
ちょうど、しだれ桜が満開でした。枝が手の届くくらいまであるので、花びら越しと本堂とのコラボ写真撮影ができます。期間中は午後9時までライトアップも実施しているようでした。また、なで布袋があり、頭をなでながら願い事を伝えるます。
- 行った時期:2014年4月
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2014年8月15日
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菊女伝説とシダレザクラで有名な甘楽町の花の寺
2001年に発足した「東国花の寺百ヶ寺霊場」のひとつ(群馬4番)に選ばれたサクラの名所です。例年4月上旬の花の盛りには、本堂前の樹齢150年のシダレザクラ(エドヒガンザクラ)を中心に、ヤマザクラ、ソメイヨシノ、ヤエザクラなどが咲き誇ります。
宝積寺の創建の経緯は不詳ですが、境内には鎌倉時代の板碑があることから、少なくともそれ以前から存在していたようです。当初は天台宗の寺院で、現在地より4キロ程南にある山の中腹にあったようですが、1450年、国人領主である小幡氏が曹洞宗の寺院に改めて再興し、小幡家歴代の菩提寺となったとのことです。室町時代、小幡氏は、関東管領・山内上杉氏の被官として大きな勢力を持っていたようですが、戦国時代に入ると小田原北条氏や武田氏の侵攻により主家の上杉氏が弱体化したため、甲斐の武田家に仕え、その後小田原北条氏に従うことにより命脈を保っていました。現代に置き換えれば、会社存続のために四苦八苦する中小企業のようなものでしょうか。しかし、武田家が織田信長に、北条家が豊臣秀吉に滅ばされたために小幡氏は没落し、今は、宝積寺境内に残された小幡家歴代の墓碑に往時を偲ぶのみです。
江戸時代後期の1793年に建てられたという本堂に祀られた本尊(釈迦牟尼仏)を参拝してから境内を散策すると、歴代小幡家の墓碑の傍らに、菊女と母の墓がありました。菊女は美しく聡明な女性でしたが、武田二十四将の一人に数えられ、赤備えの部隊を率いた勇猛な武将として知られる小幡信貞の側室として寵愛を受けたため、正室や他の側室から恨みをかい、あらぬ罪を着せられ、蛇責めの刑に処せられて亡くなったそうです。その後、菊女の祟りによるとされる異変が度々あり、追善供養が何度も行われたとのことですが、これが後の「番町皿屋敷」の源流になったともいわれます。小幡氏の没落の原因もこのあたりにあったのでしょうか。怖いですね。他に、江戸時代後期に建立され、内臓病平癒に効能があるという「身代わり地蔵」、1563年の宝積寺合戦の折、巌空坊が切腹した伝説が残る「天狗の腹切り石」、推定樹齢300年の大いちょう(樹高30m)」や「撫で布袋(小幡七福神霊場のひとつ)」などがあります。また、本堂右手前には、1993年に建てられた菊女観音像がありました。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年4月6日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2024年1月6日
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宝積寺
宝積寺に行きました。宝積寺にあるしだれ桜が桜の季節だったので満開に咲いていてしだれ桜がとても綺麗でした。
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- 行った時期:2018年4月
- 投稿日:2018年9月13日
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さくらさく
甘楽町は、桜のスポットがたくさんあります。ここの桜も有名で、ゆったりと眺めることができるのがいいですね。
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- 行った時期:2018年4月
- 投稿日:2018年8月16日
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歴史がある
甘楽町にある歴史あるお寺のひとつで、桜スポットとしても有名です。春には樹齢140年ともいわれる枝垂桜がとてもきれいです。
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- 行った時期:2017年5月
- 投稿日:2018年8月14日
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もうすぐ
ハイキングの拠点として久しぶりに寄りました。駐車場にウォシュレット付の新しくきれいなトイレができてました。朝の出発前は有難いです。これから垂れ桜の季節ですので混雑するでしょう。
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- 行った時期:2017年3月11日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2017年3月26日