河井継之助記念館(新潟県長岡市)
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ガトリング砲 - 河井継之助記念館(新潟県長岡市)のクチコミ
新潟ツウ りそなさん 男性/40代
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河井継之助記念館
by りそなさん(2018年5月撮影)
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河井継之助記念館は、JR長岡駅から徒歩10分程で行けます。
館内には、幕末越後長岡の風雲児と言われた、河井継之助の生涯を紹介した資料や展示品が多くありました。特にガトリング砲の複製は見応えがありました。
- 行った時期:2018年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年8月15日
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河井継之助記念館(新潟県長岡市)の新着クチコミ
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河井継之助像もリアルでした
司馬遼太郎の「峠」が好きで、最近では役所広司演じる映画を見ましたが、小説ほどの感銘は受けませんでした。継之助終焉の地、会津只見にある記念館も行きましたが、リアルなものを見ると、臨場感があります。ここには実際に継之助が書いた書状や使用していた軍扇などがあり、興味深い内容でした。
詳細情報をみる
- 行った時期:2020年9月20日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2024年2月27日
-
コロナ禍・これからの生き方
九月にお邪魔し、先の見えないこれからの時代を生きる上での道しるべになるような気がしました。
継之助は長岡を戦火に巻き込んだという批判もありますが、事前に町人を安全な場所に避難させ常に人々のことを考え、
武士の時代が終わり新しい時代がやってくることなど先の見通しを立てることができる人でした。
先のことを考えれば、官軍(薩長)側についた方が有利になりますが、そこは長年お仕えした徳川家や牧野家に対する義理や恩義を第一に、他藩にはない策【永世中立国】のように独立を目指していました。
その案は、小千谷談判が決裂してしまい無念な結果になりましたが、長いものには巻かれろ的な選択ではなく、信念を曲げず志を貫き通した選択により、お金では買うことができない信用と信頼を得れたような気がするのです。
その継之助の選択が、長岡藩そして今は長岡市の財産となっていると思います。
恩を大事に、古いものを継承することの大切さ、尚且つ新しい事へ受け入れる柔軟性。
全く正反対なことですが、どちらも大切に重んじ、バランス感覚を考える上での指南書になればと思っています。
森羅万象、破壊と再生は常にセットで存在し、人の体にも新陳代謝という名で、生命維持をしています。
細胞の新陳代謝が正常であれば身体は3ヶ月で新しく生まれ変わるそうです。
同じように、長岡の町は戦火に包まれましたが、その後は米百俵の精神へ、そして空襲・中越地震からフェニックスの如き蘇っている素敵な町です。
数々の困難を乗り越えてきた先人たちに感謝し、守るべきもの伝えていくべきものを残しつつ、古いものを新しいものへと入れ替えていき、未来の人へ次世代を託すという生き方を、自分の人生を含めてできたらいいなと思います。
あの帝国陸軍の異端児と呼ばれたの石原莞爾は、陸軍大学校での卒論は『継之助の戦術研究』で、先の大戦の本でも河井継之助の名を目にした時は驚きました。
また、我が家の本棚には小山泰生(著)の本があり、Bookoffで何も考えずに購入した本の著者紹介ページに、河井継之助の親友の小山良運のご子孫であることを目にした時の驚き。
河井継之助の映画公開、楽しみにしています。
最後に記念館の方々の丁寧さと優しさに触れ、その節は大変お世話になりました。詳細情報をみる
- 行った時期:2020年9月25日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2020年10月10日
-
河井継之助邸跡に建つ記念館
河井継之助は江戸、備中松山、横浜、長崎などに遊学、その結果を藩政改革に生かしていく。継之助の立場はあくまで佐幕であり、新政府軍との戦闘で受けた傷が元で死去。享年42歳であった。
詳細情報をみる
- 行った時期:2019年10月3日
- 投稿日:2019年10月12日
-
長岡観光のお供に
長岡って意外と地味なスポットばかりですが、
せっかく観光に来たので、全く知らない偉人でしたが行ってみました。
戊辰戦争で新政府相手に戦った隠れラストサムライ。
日本で戦争に初めてガトリング砲を取り入れた人なんですね。
歴史に興味ある人なら、来訪しても興味深く見れると思います。
反対に興味ない人は、ふ〜ん、で終わってしまうでしょう(笑)
ちなみに展示フロアは1階と2階があり、ムービーも見れます。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年6月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年6月27日
-
河合継之助の生涯
30歳になったばかりの時に上司から進められて「峠」を読み、彼の生きざまにいたく感動して、彼の名を知るようになって45年。やっと念願かなって長岡に足を踏み入れることができ、見てきました。展示は、かなり充実していると思いました。彼が、若いときに、江戸には行っていたのは知っていましたが、西国にも行っているのにはびっくり。「峠」にそれもあったのだろうかと、再読する気になってきました。
記念館の人の話だと今度、映画が公開されるとのこと。楽しみにして待ちます。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年1月23日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2019年1月28日