佐久島
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佐久島の口コミ一覧(21ページ目)
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アート巡りを目的に行きました。一色港から出発し25分程で佐久島西港到着。各スポットがスタンプラリーになっているパンフレットが港にあり、地図と兼用で便利でした。設置してあるアートはどれも個性的でおもしろいです。あと弁天サロンのおばちゃんが優しくて話好きでいろんな事を教えてくれました。島はけっこう広くて、アート巡りしながら徒歩で行くと西港から東港まで2時間程かかりました。全部制覇するなら、まる一日かかりそうです。東港の方にはレンタルサイクルや食べ物屋さんがあります。大あさり丼を食べましたが本当に大きくて10センチ位ありました。のんびりゆっくり贅沢な散歩ができました。
- 行った時期:2010年3月17日
- 投稿日:2010年3月25日
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昭和一桁の時代には、佐久島には電気や水道がなくその当時、旅館をしていた「かめや」の山本弥六が村会議員の議長の時に、当時の幡豆郡に対して働きかけを行い、電気、水道、ガスなどを引いたと亡くなった母親から聞いております。この当時は、伝馬船(ちいさな漁師船)で魯をこいで2〜3時間かけて一色の港にわたり、陳情や交渉にいった。
貧しい村で、財政事情が悪くお金をかけないで村のために働いたことが、私の母の誇りであり、その孫である私の誇りとかけが得ない財産と思っています。また、第2次世界大戦が起こる前より、終戦前まで現在の東の港の端にある場所に「かめや」があり、その左側やく200mぐらいであると思いますが、日本海軍の御用達の旅客船や海軍の小艦艇がとまる場所があり、舫綱(もやいづな)で結ばれ停留したと言うことです。このときは、伝馬船で物資や人間が行き来をしました。現在はその面影とその場所を特定することは出来ませんが、佐久島に行かれたときには、そのことを知る方はほとんどいないと思いますが昔は、伝馬船や小さなボートで行き来をすることがあり、大きな港や停泊場所に行く前に「しけ」や物資の補給をした場所が佐久島であることを思い描かれてください。江戸時代より前にはかなり盛んであることが佐久島の歴史などで証明されています。- 行った時期:2008年5月
- 投稿日:2008年5月4日
福岡JPさんさん 男性/50代
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