田原市博物館
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立派な博物館 - 田原市博物館のクチコミ
神社ツウ きみさん 女性/20代
- 一人
田原城跡にある博物館でそこまで大きくはないので気軽にお城の歴史について学ぶことができます。入館料はかかりますが行く価値ありです。
- 行った時期:2018年4月
- 投稿日:2019年5月20日
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田原市博物館の新着クチコミ
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常設展示
1841年(天保12年)蛮社の獄で投獄された渡辺崋山が自決した際に用いた脇差と息子・立に残した遺書。「餓死るとも 二君ニ仕ふ べからず」とある。 崋山は田原藩の家老をつとめた人物で、彼にまつわる史料が常設展示されている。
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- 行った時期:2024年11月23日
- 投稿日:2024年12月5日
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田原城址
田原城大手門(復元)付近のサクラ。 田原城は文明12年(1480年)戸田宗光が築いた丘城。戸田氏は上野荘(豊田市)に住していたが、田原を拠点として三河湾を勢力下におく。しかし、今川氏との争いに敗れ、さらに東三河は徳川の手に落ちる。寛文4年(1664年)三宅能登守康勝が三河の挙母から入封、明治まで続く。三宅氏の名は江戸城近くの三宅坂に残る。さらに家中から幕末の先覚者渡辺崋山が出ている。『日本城郭大系 9』
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- 行った時期:2024年4月1日
- 投稿日:2024年4月3日
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田原城跡
伊良湖岬からバスで三河田原に戻り、駅周辺の観光スポットを散策。三河田原駅で入手しておいた「田原フォーキングマップ」を片手に田原市内の名所を周ります。先ずは田原城跡からスタート、復元された田原城跡内には田原市博物館が設けられています。
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- 行った時期:2022年7月30日
- 投稿日:2022年8月2日
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田原城址
田原城は文明12年(1480年)戸田宗光が渥美半島の中心として築城。宗光は奥郡(渥美郡)を支配下におき、領有していた碧海郡上野・知多郡河和から富貴までと合わせ三河湾を制海権下に置く。徳川家支配に入った寛文4年(1664年)以降、明治まで三宅氏が城主となる。この田原三宅家の江戸屋敷址に「三宅坂」の名が残る。『日本城郭大系 9』
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- 行った時期:2022年4月6日
- 投稿日:2022年4月13日
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渡辺崋山も田原城址も楽しめました。
田原市博物館は、田原城二ノ丸跡に建てられ周囲は石垣・堀となっています。館内は渡辺崋山に関する多くの作品や資料が展示されており時間も忘れるほど楽しめました。なお、田原城は天文16年(1547)城主の戸田康光が岡崎から人質として今川義元に送られる松平竹千代(徳川家康)を駿府まで送る任を受けますが、敵方の織田信秀(織田信長の父)に送ったことから、今川義元に攻撃され戸田康光は戦死田原城は落城しました。
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- 行った時期:2019年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年12月22日
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