萩城跡指月公園
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お城としては城壁のみ - 萩城跡指月公園のクチコミ
神社ツウ 三文詩人さん 男性/50代
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表口から進む。直進すると志都伎山神社、左に天守閣
by 三文詩人さん(2016年11月3日撮影)
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花江茶亭
by 三文詩人さん(2016年11月3日撮影)
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梨羽家茶室と前庭
by 三文詩人さん(2016年11月3日撮影)
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東園の一部
by 三文詩人さん(2016年11月3日撮影)
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裏口から出ると海岸
by 三文詩人さん(2016年11月3日撮影)
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毛利氏が指月山に萩城を築いた。その跡地を指月公園としているので、入園料を払って入園しないと見ることができない。例外はお堀の外側から海岸まで。お城としては取り壊して久しく、だから「城跡」である。
安芸を拠点とした毛利氏が、周防・長門の二国に減封され萩に移ったのは、関ヶ原の合戦に敗れ徳川家康に睨まれてから。山陽から山陰へ至る道中は難渋を極め、怨嗟の声が満ちたという。
従って萩城の歴史は江戸時代限定で、平時に建てた城なのに、合戦を意識した山城になっており、殺る気満々。一方、城内に神社を祀り庭園を配置し、城下の民衆を招き入れたこともあった。
徳川将軍の決定は毛利氏を警戒してのことに違いないが、却って敵を作ってしまった。もっとも、徳川氏を延命した方が良かったとも言えないので、これで良かったのかもしれない。
城趾というか公園内には志都伎山神社や指月山があり、これについては別にスポット登録されているので、そちらに書いた。
駐車場は、よくわからない。「萩城趾 駐車場」の看板を見て入ったら、土産物屋の駐車場だった。その先に立派な駐車場が…と思ったら、こちらは有料の市営駐車場。公園の無料駐車場はないらしい。
入園して真っ直ぐ進むと、志都伎山神社。その右奥に東園。左に茶室。茶室奥に指月山登山口。
茶室は、毛利敬親の「花江茶亭」と、梨羽家の「煤払いの茶室」を移築したもの。外観見学のみ。もはや実用に耐えないのは残念だが、そもそも身を窶して入るべき茶室というものは、良い材料を用いた上等な造りにしてはならないという鉄の掟があり、それにしては持った方だろう。
茶室より手前に天守閣跡、山登りで疲れたので行ってない。天守といっても、山頂の詰丸より低いし。
茶室前にも庭園はあるが、池に水も無い。庭園を見たいなら、東園へ行くと良い。帰りに裏口を出れば海岸に出られる。但し、結構な距離を歩くので時間はそれなりに掛かる。
- 行った時期:2016年11月3日
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2016年11月16日
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花びらが散り所々に花びらが集まり
ピンク色の絨毯の様に見えます詳細情報をみる
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- 滞在時間:1〜2時間
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*写真の入口から先は有料です。220円詳細情報をみる
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