平和の塔
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喜屋武岬の駐車場の海を背景に据えてあります - 平和の塔のクチコミ
沖縄ツウ 鳶職さん 男性/20代
- 友達同士
反戦由来の造形物でなく慰霊目的での造形物です。南部は非常に激しい沖縄地上戦を経験していて死屍累々の犠牲者が戦後もしばらく放置されていたので厭戦気分になるのも仕様が無いですが沖縄を祖国と考えて命を掛けた兵士の慰霊は大切だと思いました。
- 行った時期:2017年1月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2017年2月6日
- このクチコミは参考になりましたか?4はい
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平和の塔の新着クチコミ
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歴史を知らなければ景色に溶け込んだモニュメント≠ニして見えるかも知れません…。
沖縄島南部にある喜屋武岬。そこに建立されている青い波をイメージするような石碑が平和の塔≠ナあり、戦後付近集落の住人の手によって集められた10,000柱を超える遺骨が納められた慰霊塔です。
昭和20(1945)年6月、沖縄戦を戦った日本軍の主力部隊であった第62師団隷下の部隊将兵は、付近の住民と共にこの喜屋武岬(きゃんみさき)に追い込まれ、海と陸からの攻撃を受けて正しく先にも進めず後ろへも戻れない状況で、追い詰められた多くの尊い命が失われた場所でした。
昭和27(1952)年に名城ビーチに建立された平和の塔でしたが、その後昭和44(1969)年に現地点に移設されました。建立当初色は塗られていなかったそうですが、いつの間にか青く塗られて現在に至っています。
夏空と一体化する平和の塔は、一見するだけではモニュメントと見誤ることもあるとの話を聞きましたが、70余年前には多くの人々が斃れていった戦場であったということは忘れてはならない史実であることを改めて感じました。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年7月14日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年10月5日
-
平和の塔
沖縄本島の最南端のある喜屋武岬に 平和の塔があり、畑々の奥ばったところにあるせいか、たまたまなのか、ほかの観光者に遭遇することはなかった。この壮大な海が広がる崖の上で沖縄戦の犠牲者の鎮魂を祈ることしかできない。
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- 行った時期:2017年4月19日
- 投稿日:2019年4月22日
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平和を祈りました
沖縄戦での遺骨が納められているそうです。戦争の悲惨さを感じ、反省し、静かな気持ちで世界の平和を祈りました。
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- 行った時期:2017年5月
- 投稿日:2019年2月20日
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喜屋武岬
喜屋武岬にある塔でこの塔と海を背景に記念写真を撮る観光客が多いです。いつ行っても海の色が凄く濃い色で断崖絶壁や途中のさとうきび畑などとても印象に残る場所です。
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- 行った時期:2014年11月
- 投稿日:2019年2月14日
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喜屋武岬
那覇空港から車で半時間ちょっと
観光スポットのひとつ、喜屋武岬の切り立つた
断崖絶壁にたつ平和の塔
無辜の民が戦争の犠牲に
この崖から身を投じたとのこと
悲惨さに愕然詳細情報をみる
- 行った時期:2016年6月
- 投稿日:2018年4月21日