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こぼらさんの福井県の旅行記

三国の町並みめぐり

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越前三国といえば東尋坊ですね。北前船交易で栄えた三国湊や三国祭も有名です。でも、歴史好きな私にとっては、後に継体天皇となった男大迹王(おおどのおおきみ)が生まれ育った場所だというイメージがあります。古来より三国を含む越前は、国を統べる大王を生み出すほど富強だったのでしょう。前日に東尋坊を見たので翌日は、古来より明治に至るまで栄華を極めた三国の町並みと神社仏閣を見て回りました。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2018年10月20日(土)

大江戸温泉物語Premium 青雲閣

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この日の午前は雨でした。湯快リゾートは、正午までにチェックアウトすれば良いので、11時まで温泉に浸かってゆったり過ごしていました。11時過ぎには雨もやみ、出かけることにしました。チェックアウト後、ホテルの庭園を眺め歩きました。丸岡城の城壁や堀をモチーフにしているようで素晴らしい。

少しですが紅葉も始まっていて、風情が感じられました。湯快リゾートのホテルで、こうした庭園を備えている所は珍しい。

旧森田銀行本店

坂井市

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中世以来、回船業を営み三国湊の発展に寄与してきた豪商・森田家が1894年に創業したのが森田銀行。1894年といえば日清戦争が勃発した年ですね。明治になって回船業の衰退を察知しての業種転換だったそうです。海運のありようが変わりつつある時代だったのでしょう。 この建物は、2代目の本店として1920年に新築されたものです。福井県内では最古の鉄筋コンクリート造りの建築物で、贅を尽くした内外装飾が特徴です。近代での三国の繁栄を象徴しています。

1階の奥には、頭取がいたと思われる重厚豪華な部屋がありました。三国の豪商たちが訪れ、頭取と談笑していた様子が目に浮かびます。

旧森田銀行本店

坂井市

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2階の会議室も重厚豪華です。本店ですから、森田家一族や重役たちが会合に使っていたのでしょう。ドラマや映画になった「華麗なる一族」を思い出しますね。 森田銀行は、福井県内で3番目の規模を誇る有力銀行に成長しましたが、昭和の金融恐慌でダメージを受け福井銀行に吸収合併されてしまいました。

天井の漆喰模様装飾が見事です。漆喰塗りの職人の高度な技量を感じさせます。今だったら、こんな西洋風装飾の施工ができる漆喰塗り職人はいないのではないでしょうか。 国の登録有形文化財になっています。

三国湊の町並み

坂井市

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旧森田銀行本店の隣には、元新区の山車蔵があります。三国には、いくつも蔵がありますが、この日はここが蔵開きされていました。歌舞伎十八番の「矢の根」に登場している曽我五郎の人形が良く見えました。台車ともども高さは4mほどですが、その大きさと鮮やかさに圧倒されます。

山車蔵の近くに三国の山車を解説するパネルがありました。山車は、毎年5月19〜21日にかけて開催される三国祭で活躍します。戦国武将や歌舞伎役者の人形を乗せた山車が、三国の街中を曳き回されるのです。山車が勢揃いしている姿は壮観でしょうね。 パネル写真には、姿でわかりますが、井伊直政や大谷吉継の人形がいます。加藤清正の人形もいるらしいです。

旧岸名家

坂井市

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旧森田銀行本店の近くにあります。栄華を極めた三国湊で材木商を営んだ、新保屋岸名惣助が代々住んでいた町家です。九頭竜川流域で伐採された材木を河川舟運で港まで運び、北前船で全国に送り出していたのでしょう。 説明上手な方がおられると聞いていたので、見学させてもらおうと入ったら電話中で受付してもらえませんでした。 入らなかったので気付きませんでしたが、写真に写っているのは「表屋」だけで、この奥に切妻造妻入の大きな母屋があるのです。この表屋と母屋がT字に接している「かぐら建て」という特殊な構造になっているそうです。しまった、電話が終わるのを待っていたら良かった!

三国湊の町並み

坂井市

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三国湊町の町並みです。大きくてレトロな雰囲気の看板が目につきます。町家の間の通りは真っ直ぐ長く伸び幅もあります。明治から昭和初期にかけての繁栄ぶりが伝わってきます。奥で道を遮るように立っている茶色の建物が旧森田銀行本店です。

三国湊の町並み

坂井市

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三国神社前の通りと広場には3基分の山車蔵があります。山車蔵は、日替わり持ち回りで蔵開きされているようですが、観光客がいつ来ても人形が見られるように扉をガラス張りにしてくれている蔵もあります。三国祭の山車と人形は地元の誇りなので、より多くの人に見てもらいたいのです。

岩崎区の山車を飾っている人形は戦国武将のようです。頭を丸めている様子から、上杉謙信か大谷吉継だと思いました。鎧の紋を見ると上杉謙信ではありません。大谷吉継です。 そういえば、大谷吉継は越前の領主でしたね。関ヶ原の合戦では、西軍の軍師のような役割を担った智将として知られています。越前の人たちには人気があるのでしょう。

瀧谷寺

坂井市

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柴田勝家が寄進・建立したとされる鐘楼門(国の重要文化財)。正確には、柴田勝家が賤ヶ岳の戦いに敗れ小谷城で亡くなった時は、建立途中だったようです。勝家は、完成した鐘楼門は見られず仕舞いだったのです。 それにしても、実に風情のある美しい門です。竣工時のまま残っていたら国宝になっていたのでしょうが、元禄11年に改修されているのが惜しい。昭和37年に檜皮葺だったのを銅板葺に変更している事情もあります。

真言宗智山派・摩尼宝山瀧谷寺。1375年に建立され、一度も焼けたことがないそうです。伽藍は、かなり広いです。境内地面積は45,000uに及ぶそうです。

受付で拝観券を買い求め、境内に入ると弘法大師像があります。写真右の総門から入ると表参道で、左側は宝物殿に至る裏参道です。

瀧谷寺

坂井市

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総門をくぐると、こんなに厳かな参道が目の前に開けます。鐘楼門まで続いています。緑色の長尺シートが敷いてあるのは、苔むして滑りやすいからです。 織田信長の北陸征討にあっても、ここが奈良大乗院の荘園であり、その預かり管理役であった堀江氏が信長と親交があったため、この寺だけは焼き討ちを免れたのだそうです。侵攻した先々で破壊の限りを尽くした信長ですが、例外も設けていたのですね。それよりも、気むずかしい暴君をうまく制御できた堀江氏の手腕が見事だったと言えるでしょう。 ということは、柴田勝家をはじめとする戦国武将や、越前を治めた領主達は、まさにこの参道を通って参拝に来ていたことになりますね。杉の巨木は、盛装をまとって参拝に来た戦国武将や殿様を見守っていたのでしょうか。

長い参道を進むと鐘楼門に至ります。庇の造作が繊細で見事です。

瀧谷寺

坂井市

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鐘楼門をくぐると伽藍に入ります。正面に見えるのが本堂。国の重要文化財に指定されています。御本尊は、泰澄大師作と伝えられる薬師如来像。 福井藩主の祈願所の一つなので、殿様が来訪した時に備え、本尊正面に上質な座敷を備えています。座敷の周りにある、龍の彫刻装飾も見事です。 本堂前の桜が満開の頃は、銅葺屋根の薄緑と苔の緑に映えて、とても美しいことでしょう。

写真左の本坊入り口から入ると、御本尊正面に座って待つように指示されます。おそらくは、ご住職の奥さんと思われる方がみえて、瀧谷寺の由緒や見所を説明して下さいました。その後、回廊を進み、本堂・観音堂・庭園の順に拝観して、本堂に戻ってくる仕組みになっています。

瀧谷寺

坂井市

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観音堂。近世・江戸期の建築様式といわれていますが、私にはどこがそうなのかわかりませんでした。理源大師作で鳥羽法皇念持仏の聖如意輪観世音菩薩が祀られています。

観音堂の裏側から本堂に至る渡り廊下からは、見事な庭園が見られます。この庭園は、「瀧谷寺庭園」として国指定名勝になっています。 池の奥に佇んでいる御堂は聖天堂です。

同じく、渡り廊下より本堂の横の庭園を見ています。築山式池泉庭園と呼ばれるそうです。

室町時代の面影を残すとされる鎮守堂。瀧谷寺の鎮守社で、国の重要文化財に指定されています。確かに、そのまま大きくしたら室町様式の三間の社殿となります。また、失礼ながら神社の精巧な模型だとして見ても、細かい所の造作など、凝り方や技巧が室町様式らしいです。

開山堂。瀧谷寺を、織田信長の魔手から守った堀江氏が16世紀後半に建立。これも国の重要文化財です。 石造の堂内には二体の石仏が安置され、堂の内壁には13体の仏像が浮き彫りになっています。

開山堂前から聖天堂を望む。手前のお地蔵さんと五輪塔(お墓?)の背景に、聖天堂が佇んでいる景色が気に入ったので撮影しました。聖天堂の屋上にある宝珠と露盤は、真言宗の寺院特有ですね。 丘の上に立っている聖天堂には、観音堂から渡り階段で行けるようになっていますが、参拝者は立ち入り禁止になっていました。

宝物殿。国宝を所蔵しているので、しっかりとした建物です。セキュリティ重視だけではなく、風格も感じられます。 国宝「金銅毛彫宝相華文磬」(磬:けい:楽器)はじめ、重要文化財の古文書や仏像が所蔵・展示されています。「金銅毛彫宝相華文磬」は平安時代工芸の粋と表され、精巧な線刻に金鍍金が施されているそうなのですが、実物は鍍金は剥げ落ちて青銅色をしていました。

宝物殿正面からは観音様のお姿が見えます。もちろん館内は撮影禁止です。

鐘楼門と総門の間の参道を歩いて帰ります。総門に近いほど樹木の背が高いですね。来る時と帰る時とでは、雰囲気が違います。帰りに見る参道は、どことなく哀愁を感じます。

坂井市龍翔博物館

坂井市

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みくに龍翔館は、港町三国の文化遺産を伝えるために、昭和56年に開館したそうです。建物のデザインは、明治から大正初期にかけて当地にあった龍翔小学校の外観を忠実に復元しているそうです。オリジナルは木造でしたが、現在の復元版は鉄筋コンクリート造りです。 白亜五層八角のデザインは、現代の目で見ても斬新で美しく、とても明治初期のものとは思えません。オランダ人土木技師エッセルによる設計だったそうです。 外国人技師を招いて設計施工管理をしてもらい、これだけの建物を建設できたのですから、当時の三国の繁栄ぶりがわかります。

表側より見た龍翔館。入場料は300円で、無料駐車場があります。

みくに龍翔館に入ると、目の前に現れるのが北前船。東尋坊を描いた大きな絵をバックに、陳列されています。江戸時代の終わり頃から明治にかけて、三国に繁栄をもたらしたのは、日本海を舞台にした北前船交易でした。

坂井市龍翔博物館

坂井市

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明治時代の三国祭で使われた山車と武者人形が復元され、間近に見る事ができます。京の五条大橋での弁慶と牛若丸が描かれています。明治時代の山車は大きく、人形部分だけで5mほどの高さがあります。 この大きな山車と武者人形も、三国が大いに繁栄した時代の象徴です。三国で北前船交易が盛んになった19世紀前半頃より、各町が競い合って大きなものを作り、人形の高さが7mを越した時期もあったようです。 その後、街に電線などの架線が張り巡らされ、街中での曳き回しに困るようになり、高さを抑えるようになったそうです。現在では、武者人形の高さは3〜4mになっているようです。 弁慶と牛若丸の人形は、1階と2階バルコニーから見られるようになっています。弁慶の顔は、2階バルコニーに立っても見上げる高さです。

継体天皇(男大迹王)についての展示コーナーもあります。日本書紀には、継体天皇が育った場所として越前三国の名前が記されている事や、越前平野の各地に継体天皇にまつわる治水伝説が多く残っている事を紹介しています。

みくに龍翔館の最上階から見た三国湊付近。日本海に注ぐ九頭竜川の河口になっています。江戸時代から明治にかけて、ここに無数の北前船が舳先を並べていたのですね。

三國神社

坂井市

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神社前には、広い通りと広場があります。北陸の三大祭のひとつ三国祭では、山車がこの通りと広場で勢揃いするのです。5月20日の正午に、三国神社前に奉納され勢揃いした山車6基は、午後1時に神社前から街中に繰り出すのです。

三國神社

坂井市

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継体天皇が生まれ育った三国の神社であり、継体天皇を祀っていると聞いたので、歴史的な関心で訪れました。 三國神社は、確かに古代の延喜式神名帳に名を連ねています。しかし、当初の三國神社は中世には廃絶してしまったようです。現在は継体天皇を祀っているものの、近くにあった水門宮(継体天皇を祀っていた)を明治初期に合祀したからです。 現在の社殿は、天保の大飢饉の時に難民救済事業として、三国湊の豪商・内田惣右衛門らが境内整備とともに改築を行ったものです。天保10年(1839)に完成しています。いわば、三国の豪商たちの力で造営された神社です。当時の三国湊の豪商たちの財力を物語っているのです。

三國神社

坂井市

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三国神社の拝殿。祭神は大山咋命と継体天皇ですが、継体天皇が合祀されたのは明治5年なので、もともとは大山咋命のみを祀っていました。江戸時代は日吉山王社という名称だったので、地元の人たちは今でも(おさんのさん)と呼んでいるそうです。 明治初期に、延喜式にも名を連ねていて由緒ある三国神社に改称する事を藩庁(県庁)に願い出たものの却下された事があったそうです。このため、しばらくは桜谷神社という名称になっていました。その後、継体天皇が合祀されて三国神社への改称が許可されたという経緯があります。 そのせいか、本殿の屋根飾りには菊と桜の紋があしらわれています。

唐破風には、見事な鳳凰の彫刻飾りが。当代一流の職人達を招いて社殿を改築し、これほどの装飾を施した三国湊の豪商・内田惣右衛門たちには、底知れない財力があったのでしょうね。

拝殿(左側)と本殿。秋の夕陽を受けた姿は幻想的です。本殿の屋根飾りには菊と桜の紋があしらわれています。

ゆりの里公園

坂井市

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ユリの花を伏せたような形の建物「ユリーム春江」が中心的施設。その周りには3,800uの展示圃場が囲み、6月には15万輪ものユリの花が咲くそうです。10月ではユリの花は全然ありませんでしたが、雰囲気よく散策できる芝生広場がある公園でした。

芝生広場には水車や親水スペースもあり、散策できます。随所にイルミネーションが仕掛けてありましたので、夜間の眺めもいいのでしょうね。

ゆりの里公園

坂井市

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ゆりの里公園の北側水田には、見渡す限りのコスモス畑がありました。地元の農家の協力で、ユリの花がない時期をカバーするために栽培されたのだそうです。 この秋は、信州や甲賀にも出かけて一面のコスモス畑を探してきましたが、なかなか満足のいく風景が見られませんでした。越前のここで、ようやく今年一番のコスモスが見られました。

1日目の旅ルート

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