Shotaさんの埼玉県〜静岡県の旅行記
川瀬巴水展(野田市)、川越界隈と楊洲周延展(町田市)
- 1日目2023年12月8日(金)
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08:00-08:00
雲ひとつない空に、わずかに雪をかぶった富士が美しい!
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10:00-11:00
さかもと治療院(碑文谷)
オステオパシー(骨治療法)の治療院。心臓内側の膜が硬くなっているとのことで、ほぐしてくださった。
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12:00-13:00
しのみやクリニック(秋葉原)
診察・処方の後、旅の報告、キリスト教とイスラム教、聖書などについて・・・。
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13:00-13:00
葛西城址(葛飾区)
葛西城址は環状七号線によって二分されている。城の創建については明らかではないが、15世紀に関東管領山内上杉氏の目代大石氏が勢力を扶植し築城したと考えられる。『日本城郭大系 5』
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13:00-13:00
葛西城址(葛飾区)
葛西城が徳川家の支配下に入り、青砥御殿・葛西御殿として利用されたことからか、青砥藤綱城址の碑が立っている。『日本城郭大系 5』
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14:00-15:00
キッコーマン創業家、茂木本家第12代七衛門が蒐集した美術品を展示。北斎、広重、歌麿、巴水など浮世絵500点、大観、遊亀、梅原、光雲、田中などの作品を含め、総計3,700点を所蔵する。
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14:00-15:00
川瀬巴水展の後期に何とか間に合った。照明は落としてあるが、作品に近づいて観ることが出来るのが有難い。フラッシュを使わなければ、撮影も許されている。
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14:00-15:00
「平泉金色堂」昭和32年(1957年)。巴水はこの年、胃がんのため74歳で没した。病気と闘いながら筆をとったが未完のまま絶筆となった。本作は渡邊庄三郎によって仕上げられ、百箇日の法要の際、親族や知人のみに配られたという。雪景色に溶け込むような修行僧の姿は、諸国をめぐって画業に励み、人生の終わりをむかえようとする巴水自身に重ねられているかのようである。『川瀬巴水 旅と郷愁の風景』
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14:00-15:00
川瀬巴水展
「瀧之川 東京二十景」昭和4年(1929年)描かれているのは滝野川に架かる松橋。付近は紅葉の名所であった。下弦の月のもと、橋の上を着物の婦人と女児が歩く。茶店が数軒見えている。『川瀬巴水 旅と郷愁の風景』
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14:00-15:00
川瀬巴水展
「吉田の雪晴」昭和19年(1944年)巴水の版画中でも傑出したものの一つとされる。構図の良さである。時節柄、完成したものの見本摺りのみで、戦後昭和27年頃にようやく本摺りにこぎつけたという。 確かに素晴らしい!
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14:00-15:00
川瀬巴水展
「品川 東海道風景選集」昭和6年(1931年)3月。品川宿の南北を横切る目黒川の河口にあった漁師町のあたり。家屋が建ち並び、岸辺には釣り舟がひしめき合う。木造橋を渡る半纏姿の男や蛇の目傘をさした二人など、何気ない登場人物が、この界隈の雑多な雰囲気をよく表す。『川瀬巴水 旅と郷愁の風景』
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14:00-15:00
川瀬巴水展
「山中湖の暁」昭和6年(1931年)。赤富士は晩夏から初秋にかけての早朝、裏富士の山肌に朝日があたって赤く染まって見える現象。逆さ富士はよく晴れた早朝、風がなく湖面に波が立っていないという条件下で見ることができる。いずれも貴重な光景である。今も昔も・・・。
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16:00-16:00
大應寺(富士見市)
水光山不動院大應寺は平安前期、空海開山と伝わる真言宗智山派の古刹。不動明王を中心とする不動三尊を本尊とする。
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16:00-16:00
大應寺 鐘楼門
享保4年(1719年)造立、朱塗りの鐘楼門。珍しい造りだ。
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16:00-16:00
大應寺 本堂
寛政元年(1789年)建立の本堂は、平成21年(2009年)に再建。山岡鉄舟筆「水光山」の額が掛かる。
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16:00-17:00
水子貝塚は武蔵野台地の新河岸川沿いに位置する、縄文前期(約5500ー6000年前)の遺跡。「水子貝塚公園」として整備されている。
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16:00-17:00
大規模な環状の貝塚と集落跡があり、これらを再現・整備し「縄文ふれあい広場 水子貝塚公園」として平成6年(1994年)開園。五棟の竪穴式建物が復元されている。
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17:00-18:00
メニューを見ていると、久しぶりに「あじフライ定食」が食べたくなった。満足!
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18:00-23:00
北本天然温泉ハナホテル北本(北本市)
ハナホテル北本は温泉大浴場のある、ちょっと高級感のあるビジネスホテル。さっそく温泉にゆっくり浸かって疲れを癒す。
- 2日目2023年12月9日(土)
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00:00-07:00
天然温泉ハナホテル北本(北本市)
何度か目は覚ましたが、わりとよく眠って、七時すぎに出発。
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07:00-07:00
石戸城は室町期、扇谷上杉氏家人の藤田八右衛門が、北上する北条氏の攻撃に備えて築いたとされる平城。土塁・水堀・空堀が残る。『日本城郭大系 5』
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08:00-08:00
川越氷川神社は欽明天皇2年創建と伝わる。太田道灌や歴代川越藩主の崇敬を受けた。木造鳥居に架かる扁額の社号は勝海舟が記したもの。
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08:00-08:00
入母屋造銅板葺向拝付の本殿は嘉永2年(1849年)完成。素戔嗚尊(すさのおのみこと)奇稲田姫命(くしなだひめ)大己貴命(おおくにぬしのみこと)脚摩乳命・手摩乳命(あしなづち・てなづち)を祭神とする。 丁度朝のお勤めが始まっていた。
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08:00-08:00
金笛うんとん処「春・夏・秋・冬」
稲荷小路にある、うんとん処「春・夏・秋・冬」は自家製めんのうどんを中心に、かき揚げ、金笛醤油で煮込んだ角煮や甘味を提供する店。
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08:00-08:00
大沢家住宅(小松屋)は寛政4年(1792年)建築、明治26年(1893年)の大火を免れた関東地方最古の蔵造り住宅。階下では川越の民芸品を販売している。
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08:00-08:00
「川越まつり会館」は「川越氷川祭」に関する資料を保存・展示するため2003年開館。ホールには祭りに用いられる山車を常時二台展示している。
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08:00-08:00
一番街商店街
一番街商店街は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、電線の地中化など町並みの保存・美化に努めていることがよく分かる。 ずいぶん立派な有田焼の飾壷が店頭に・・・。
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08:00-09:00
「時の鐘」は薬師神社入口に建つ鐘撞堂。三層構造で高さ16m。今も一日4回、時を知らせる。寛永期、川越藩主酒井忠勝によって建てられたのが始まりとされる。
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08:00-09:00
時の鐘のある薬師神社は、江戸期この地にあった冷水山医王寺の本尊、薬師如来を安置するために建立された。
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08:00-09:00
本殿は元和9年(1623年)建立。正面三間側面三間、寄棟造茅葺の薬師堂建築。本尊薬師如来を安置する。
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09:00-09:00
日本聖公会川越キリスト教会
東西に細長く、尖塔アーチのついたフランドル式ゴシック様式のこの教会堂は、大正10年(1921年)再建。明治22年(1889年)建築の初代礼拝堂は明治26年(1893年)の川越大火で焼失。
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09:00-09:00
菓子屋横丁は寛政8年(1796年)鈴木藤左衛門が駄菓子を製造したのが始まり。昭和初期には、千歳飴、金太郎飴、水羊羹、かりん糖などを全国に出荷する店が70軒以上あったという。
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09:00-09:00
菓子屋横丁船着場
江戸期から昭和にかけて、江戸と川越をつないだ舟運の船着場跡。周囲には、舟問屋「伊勢安」などの名残りが見てとれる。
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09:00-10:00
大正から昭和初期のレトロな店舗が30軒余りならぶ。かつては「県下随一の商店街」と呼ばれた。
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09:00-10:00
狐峰山寶池院蓮馨寺は、天文18年(1549年)河越城主大道寺政繁の母、蓮馨開基になる浄土宗の寺院。
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09:00-10:00
蓮馨寺 水舎
本堂手前にある水舎の彫物が素晴らしい! 明治26年(1893年)川越の大火で堂宇は焼失したが、鐘楼と水舎は難を免れた。
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09:00-10:00
蓮馨寺 水舎向拝
欄間中央部分(向拝)。下記木鼻などは宮大工山田弥吉の力作。
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09:00-10:00
蓮馨寺 水舎木鼻(左)
左側木鼻は唐獅子。なかなかの迫力!
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09:00-10:00
蓮馨寺 水舎木鼻(右)
右側木鼻。牡丹とおぼしき花びらが細かく彫られている。見事!
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09:00-10:00
本堂は明治26年(1893年)川越の大火で焼失後再建。阿弥陀如来を本尊とする。
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09:00-10:00
本堂向拝に彫られた見事な龍。
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10:00-10:00
川越城は、関東管領扇谷上杉持朝が足利成氏(古河公方)に対抗するため、長禄元年(1457年)太田道真・道灌父子に命じて築かせた平城。『日本城郭大系 5』
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10:00-10:00
現存する城の遺構は、元の本丸御殿の玄関と大広間の一部分。唐破風の大玄関には霧よけがつき、三十三間の瓦葺きの屋根がみられる。三十六畳敷の大広間などは一般公開されている。『日本城郭大系 5
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10:00-10:00
三芳野神社の創建は大同2年(807年)と伝わるが定かではない。現社殿は、寛永元年(1624年)川越藩主酒井忠勝が将軍家光の命により造営。素戔嗚尊(すさのおのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を祭神とする。
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10:00-10:00
童歌「とおりゃんせ」は「お城の天神さま」と呼ばれた、三芳野神社の参道が舞台といわれる。参詣して帰る者は、密偵が城内に入るのを防ぐため警護の者に厳しく調べられたことから、「・・・帰りは怖い・・・」と歌われた。
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10:00-11:00
川越熊野神社の創建は天正18年(1590年)。熊野大神を主祭神とする。「むすびの庭」「おみくじ舎」「運試し輪投げ」などで境内はかなり賑わっていた。
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10:00-11:00
河越館は、桓武平氏流の秩父氏を祖とする河越氏の館であった。土塁・堀などが残る。『日本城郭大系 5』
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10:00-11:00
発掘調査を続けてこられた河越館址は、「河越館跡史跡公園」として整備されている。
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11:00-11:00
瑶光山真日院最明寺は、弘長2年(1262年)鎌倉幕府執政平時頼が創建した天台宗の寺院。阿弥陀如来を本尊とする。
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11:00-11:00
花で飾られた山門。春に咲くしだれ桜で知られる。
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13:00-13:00
甲州道中の小原宿本陣は、宿場の名主・問屋清水家の屋敷に構えられたもの。間口13間、奥行7間、91坪、四層カブト造、入母屋風の建物は、江戸後期のものとされる。津久井地域の養蚕業民家の特徴を知ることが出来る。
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13:00-13:00
敷地内、建物は自由に見学できる。大広間には復元された「大名駕籠」が置かれている。
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13:00-14:00
相模原市又野に生まれた、政治家尾崎行雄(1858-1954年)の生涯・業績などを伝える史料を収蔵・展示する。 若い頃、咢堂翁の三女、平和活動家の相馬雪香氏にインタヴューしたことがある。
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13:00-14:00
「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれ、当選回数、議員勤続年数などの記録を有した尾崎咢堂の胸像。
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13:00-14:00
「尾崎行雄を全国に発信する会会報 がくどう」を発行したり、尾崎行雄(咢堂)杯演説大会などを開催している。
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14:00-14:00
田端環状積石遺構(町田市)
「田端環状積石遺構」は町田市小山町に残る、縄文中期から晩期にかけてのストーンサークル(環状列石)・集落跡・祭祀遺跡である。
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14:00-14:00
田端環状積石遺構
境川の丘陵地に、150棟程度の竪穴建物があったと考えられている。現在遺構には、大小約900個の石が東西9m、南北7mの楕円形ストーンサークル状に置かれている(レプリカ)。
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15:00-15:00
「町田市立自由民権資料館」は、明治期に自由民権運動の拠点であった「凌霜館」跡に建つ資料館。
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15:00-15:00
自由民権資料館
入口には、土佐出身の自由党副総裁、中島信行の書が掛かる。「自由所棲是吾郷(じゆうのすむところ、これわがさと)」。館内には自由民権運動の活動や変遷、町田市の歴史に関する資料などが保管・展示されている。
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15:00-16:00
武相荘(町田市)
「武相荘(ぶあいそう)」は白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅。次郎は実業家・政治家。第二次大戦後、終戦事務局参与として英国仕込みのキングズ・イングリッシュを駆使して GHQ と渡り合ったことで知られる。 現在は記念館・資料館となり一般公開されている。カフェ・レストランを併設する。
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15:00-16:00
武相荘(町田市)
敷地に入ったところに置かれている、白洲の最初の愛車 PAIGE(同型車)。メンテナンスも行き届き、バリバリの現役車。
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16:00-16:00
本町田遺跡公園(町田市)
「本町田遺跡」では、およそ5,500年前、縄文前期の住居址四軒とおよそ2,000年前、弥生中期の住居址七軒が発見された。異なる時代の遺跡が同じエリアに存在する「複合遺跡」。
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16:00-16:00
本町田遺跡公園(町田市)
「弥生復元住居」 弥生期に入り、大陸から金属の道具が伝わる。金属器を用い、石器より細かい作業が可能となり、加工された住居の柱が登場する。
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16:00-17:00
江戸末期から明治期にかけて活躍した浮世絵師、楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ)の展示会。美人画にすぐれ、三枚続きの風俗画を得意とした。 一部作品の撮影が許されている。
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16:00-17:00
「高野師直 4代目中村芝翫、大星由良之助 9代目市川団十郎、大星力弥 3代目片岡我當、寺岡平右衛門 4代目嵐瑠寛」、御届:明治15年(1882年)。
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16:00-17:00
楊洲周延展
「衣川ノ柵ニ両雄和歌ヲ詠ス」、出版:明治25年(1892年)。源義家と阿部貞任が衣川柵の戦いにおいて和歌の問答をしたとされる逸話に基づく。
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16:00-17:00
楊洲周延展
「時代かゞみ 天明之頃 雑司ヶ谷 会式」発行:明治29年(1896年)。美人画を得意としただけのことはある。
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16:00-17:00
第二会場で催されていた「腐蝕の刻(とき)― エッチングの世界」 エッチングは酸性の液体を使って線描部分を溶かすことで、版面にインクを詰める線をつくり出す技法。
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16:00-17:00
「ペーテル・パウル・ルーベンスの肖像」『イコノグラフィア(肖像集)』より、アンソニー・ヴァン・ダイク(原画)(1599-1641)、パウルス・ポンティウス(版刻)(1603-1658)、17世紀初め、エッチング、エングレーヴィング。 多才であったルーベンスが自画像などの絵画とは違った存在感を見せる。
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16:00-17:00
「装飾文字によるキリストの頭文字」ダニエル・ホプファー(1470頃-1536)、16世紀初め、米17世紀の刷り、エッチング(鉄板)。
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16:00-17:00
「手の習作」『素描の基礎』より、ステファーノ・デッラ・ベッラ(1610-1664)、1641-1643年頃、エッチング。 エッチング独特の質感と言ったらいいだろうか・・・。
川瀬巴水展(野田市)、川越界隈と楊洲周延展(町田市)
1日目の旅ルート
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