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さとけんさんの秋田県〜東京都の旅行記

【山形秋田】かみのやま・山寺・肘折・横手・男鹿半島・象潟・鶴岡・米沢を巡る【2024年5月】

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一日目は神奈川から山形まで一般道をドライブして斎藤茂吉記念館を見学し、かみのやま温泉で一泊、二日目は山寺、肘折温泉、横手増田の町並みを訪ねて横手で一泊、三日目は八郎潟から男鹿半島を一周してにかほ市の象潟で一泊、四日目は日本海沿いの国道7号を南下して鶴岡市を観光して米沢で一泊、最終日は米沢にて米沢牛を堪能し白布(しらぶ)温泉を楽しんで神奈川へ帰ります。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2024年5月19日(日)

公益財団法人斎藤茂吉記念館

上山市

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さて今回は、土曜日の22時過ぎに神奈川を出発して、一般道で山形を目指します。前回の会津若松は日曜日の夜に出発したため交通量が少なくて快適なドライブでしたが、今回は土曜の夜の出発ということで、比較的交通量が多い気がします。とはいえ、国道4号線で春日部あたりを過ぎてからは、車両の数も信号の数もグッと減って走りやすくなりました。「道の駅・やいた」には2時過ぎに到着しましたが車中泊の車でほぼ満車状態、次の「道の駅・しおばら」には3時10分に到着し駐車場に随分と空きがありましたので、ここで休憩と少しばかりの仮眠を取ります。4時50分になりますと空も随分と明るくなってきましたので再び出発し、国道400号線から国道121号線というとても走りやすいルートで会津若松を6時15分ごろに通過、米沢付近を7時30分に通過、上山市の斎藤茂吉記念館に到着したのは8時15分です。記念館の開館は9時ですので、それまで記念館のある「みゆき公園」付近をブラブラとします。

みゆき公園

上山市

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斎藤茂吉記念館は、みゆき公園の一画にあります。今日は日差しが暑いのですが、ここは樹が影を作って過ごしやすいですね。

みゆき公園

上山市

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みゆき公園は最上川の河畔にあり蔵王連峰の眺望に優れている場所で、斎藤茂吉は昭和20年、この近くに疎開していたころには散歩でたびたびこの地に足を運んだとのことです。

公益財団法人斎藤茂吉記念館

上山市

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9時になりましたので記念館に入館します。入館料は600円、他に音声ガイドを借りましてこれが300円です。私は茂吉さんの次男である北杜夫氏の著作、いわゆる「マンボウもの」と言われるとてもユーモアのある作品を中高生のころに読んでおりまして、その「次男から見た父親」としての茂吉さんは少し馴染みがあったのですが、少年期・青年期・壮年期・医学樹・晩年樹という斎藤茂吉という人物の一生を辿るのは今日が初めてであり、実に興味深く観覧いたしました。あれは神奈川近代文学館でしたかね、北杜夫氏の思い出話として、食事時に茂吉は息子に末梢神経について医学的な説明をして見せるようにもとめ、息子がその要求に応えられないと知ると激怒し、茂吉自身が説明して見せようとしたが茂吉自身も説明できないことに気が付き、さらに激怒したという逸話を思い出します。息子たちからは「カミナリ親父」、妻からは「小言幸兵衛」と評価されていた茂吉さんの、怒りに対して実に素直でストレートな感情表現、段々と感情が高ぶって怒りがこみあげてくるような、そういうタイプの人間は傍にいる人は大変だとは思うのですが、私は実に好感をもつのです。非凡なる絵画の才能とか、細かく丁寧な字でぴっしっりとまとめられた学習ノートとか、ドイツから友達へ「ビールがおいしいよ」という葉書などなど、そして母を想う気持ちへの私の共感。人間・斎藤茂吉を身近に感じた良い時間でした。

月岡神社

上山市

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かみのやま温泉にやってまいりました。かみのやま温泉には3つの無料駐車場があるのですが、そのうちの1つの、小学校のとなりの駐車場に車を停めます。日曜日ということもあり、ほぼ満車でしたね。駐車場から山の方へ登っていくと月岡神社がありますので、まずはお詣りをします。灯篭が月の飾りですね。

月岡公園

上山市

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そして月岡神社からすぐの上山城(別名・月岡城)を訪れます。おお、立派な天守ですな。

上山城郷土資料館

上山市

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現在の天守は1982年(昭和57年)に、外観が城郭風の郷土資料館として建設されたとのこと。こちらの郷土資料館は展示物が充実していて見応えがあったと思います。鎧や幕末の銃器など、あとは幕末・戊辰戦争での上山藩の立ち位置・ふるまいなど、なかなか興味深い資料を観覧しました。

上山城郷土資料館

上山市

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上山城の天守からの東方向の眺めです。城から降りて、歩いて武家屋敷とお風呂へ行くとするかな。

上山藩武家屋敷

上山市

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上山市の武家屋敷は森本家・三輪家・山田家・旧曽我部家と4軒が並んでいて、三輪家は市が所有していて屋内見学が可能となっています。入館料は220円で、休館日は水曜日とのこと。それでは中へ入ってみましょう。

上山藩武家屋敷

上山市

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案内の方がいらっしゃいまして、天井が低い理由は刀を振り回せないようにするためであるなどという詳しい説明をしてくださいました。この風通りの良い部屋て、ゆっくりしていってくださいというお言葉に甘えて、籐のイスに座ってしばしゆったりとします。このお庭はとても気分が良いのですけれども、庭自体は江戸時代にはなかったということで、後の時代に造られたお庭だそうです。

湯の上観音

上山市

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武家屋敷からかみのやま温泉の共同浴場の一つである「下大湯」へ行く道すがら、観音様をまつるお寺がありますのでお参りしていきます。ここの境内から階段をおりるとすぐに「下大湯公衆浴場」があります。

かみのやま温泉

上山市

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さて、下大湯へやってきました。沢庵和尚も入浴したことがある歴史のある共同浴場とのこと、入浴料はなんと150円です。ただこれは、シャワーを使用しない場合で、シャワーを利用して頭や身体を洗いたい方は別料金(100円)で、でっかい札のついた水道の蛇口を渡されるらしいのですが、私は湯に浸かるだけで充分なので、感じの良い受付の方に挨拶をしていよいよ、かみのやま温泉初体験でございますな。脱衣所で服を着ている方が1名に洗い場に1名、湯舟に1名という感じ、洗い場はとても狭いのですが、湯舟はそこそこ広くて「あつゆ」と「ぬるゆ」に分かれていますな。かけ湯をしますと、おやおや、これは熱いぞ。先客がいなければ「あっちい」と声を出してしまうところでありますが、そんな様子は毛ほどもみせず、足をザバッと、これは熱い、あっついがぁ、スゥーとドボン、肩まで浸かるとあら不思議、身体の周りに薄い膜が出来たように熱さが和らぐというか落ち着くというか、かみのやま温泉のあつゆ、制覇でございますな。ハハ。後で考えるとこの「下大湯のあつゆ」が一番あつうございましたな。ぬるゆの方へ行ってみようと、湯舟を出ると狭い洗い場ですので湯舟を出ずに「あつゆ」の中をザバザバと歩いた時が一番熱かったです。ぬるゆといっても、あつゆに比べての話で、それほどぬるくもありません。ぬるゆに少しばかり長めに浸かって、ザバッとでる。

二日町共同浴場

上山市

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(下大湯の続きです)。脱衣所に戻ると身体は赤くなるし、なかなか汗は引かないしで、しばし涼みます。後からやってきた若者1名と家族連れ3名が、ぬるゆにも入れずに湯舟の縁で途方に暮れているのを脱衣所からみて、やはりあれは熱かったのだと、ひょっとすると私は熱い湯に少々慣れてきたのかもしれぬと、そんなことを考えました。考えてみれば、湯田中の安代温泉やみなかみの湯宿温泉、福島の飯坂温泉など、私も少しばかりの経験を積んできましたからな。あつゆもまた、よろしい。この日は夏のように暑い日だったのですが、下大湯から二日町共同浴場への道を歩いている時は、外の暑さよりも吹く風の気持ち良さの方が勝る、そんな熱い湯に浸かった事後の感想でした。そして画像の二日町共同浴場へやってきました。こちらの料金も200円、洗髪料別で100円という具合、先客は熱い熱いと言わずにはおれぬ若者2名が服を着ていて、湯舟に地元の方1名という感じです。こちらもかけ湯であつゆの湯舟につかりますと、おや、こちらはそれほど熱くもありませんな、いや、熱いですよ熱いけれどもビシッとくる熱さではありませんな。マイルドな熱さという感じ、地元の方は流石ですね、あつゆの湯舟で、私はぬるゆに入りなおして、そこで地元の方とお話しします。昔は7つの共同浴場があったそうですな。家に風呂が無かったから共同浴場が繁盛したそうです。しばし楽しみ、湯をあがります。

春雨庵

上山市

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二日町共同浴場を出た後、小学校横の駐車場に戻って車に乗って春雨庵へやってきました。沢庵宗彭(たくあんそうほう)さんは、1573年に生まれ1646年に亡くなったお坊さんで、時の権力者である江戸幕府の政治に抗議をして目をつけられ、1629年の8月にここ上山藩へ流されてきたそうです。当時の上山藩の藩主である土岐頼行さんは、この場所に小庵を立てて沢庵さんを住まわせたが、沢庵さんはこの小庵を殊の外に気に入って「春雨庵」と名付けて赦されるまでの3年間をこの場所で過ごし、かつ、頼行さんの信頼を得て上山の城下町の発展に貢献されたそうです。彼は赦されたばかりか3代将軍の家光さんは沢庵さんに帰依して、1639年に江戸品川に東海寺を創建、沢庵さんを住職に迎えたそうです。沢庵さんが上山の春雨庵での生活を忘れられないと伝え聞いた頼行さんは東海寺の境内に春雨庵と名付けた塔頭を建立しました。この品川の春雨庵が現代になって一部改造した際に、「一間の長押と天井板」を譲り受けて昭和30年7月にこの地に復元したのが現在の春雨庵です。品川の東海寺と春雨寺は東海道本線と東海道新幹線の線路に挟まれたところにありますね。旧東海道・品川宿の荏原神社の近くです。春雨庵は一部改装中で茶室は開いていませんでしたが、少しばかりの見学のあと、本日の宿へむかうことにしました。

ホテル菊屋

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さて、菊屋でございます。こちらは明確なコンセプトがある宿で、素泊まりのみ、お風呂は外湯へ、そして低料金というお宿です。外観は少しばかり寂しげなので、少し不安になりますが、これは飯坂温泉でも同じようなコンセプトの宿に私は泊ったことがありますので、まあだいたいこんな感じだろうと、中が良ければ充分なのだということでまずはチェックインです。

ホテル菊屋

「ホテル菊屋」を   >

おっ、これは充分ですな、トイレが部屋にあるのは私にとってはポイントが高い、ビジネスホテルのシングルよりは広い感じです。とはいえユニットバスはありません。画像左手にあるのが、シャワーブースです。私には慣れていないということもあって、使い勝手は今一つでしたが、ここかみのやま温泉には外湯がありますのでね。外湯は夕飯を食べに出る時に行く事にして、まずは本日のまとめと、少しばかりの仮眠をとります。

かみのやま温泉

上山市

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時刻は17時少しまえ、菊屋から歩いて3分としない距離にある、新湯の共同浴場「澤のゆ」です。こちらは料金が350円で、下大湯や二日町共同浴場と違い、洗髪料は別ということはなく、洗い場にシャンプーもリンスもあるのですが、シャワーは有りません。2029年5月リニューアルオープンした浴場です。湯舟は丸くて比較的広く、お湯は下大湯、二日町共同浴場と比べて一番熱くないお湯で長めに浸かることができました。

新華楼

上山市

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お風呂のあとは夕食ですな。下調べで評判の良かった中華屋さんにやってきました。これは「お酒セット・1280円」で、好きなおかず2品と好きなお酒を選べます。私は八宝菜とチャーシューチャーハンの中ジョッキですな。八宝菜もチャーハンもいい味でした。

新湯の足湯

上山市

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食事を終えて宿へ戻る前に、足湯に寄っていきます。足が赤くなるほどの熱さですが、ずっと浸けていられるくらいの熱さでもあります。だいたい18時ぐらいでしたが、この時間は宿で食事をとっている方がほとんどでしょうから、足湯も見事に空いております。このあと宿へ戻って明日の計画のおさらいをして就寝です。

2日目2024年5月20日(月)

宝珠山立石寺

山形市

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菊屋を7時45分にチェックアウトして山寺へやってきました。当初の計画通り、お土産屋さんの「えんどう」の駐車場に車を停めさせてもらいます。お参りの後にお土産などで1000円以上を購入すると駐車料金500円が無料になります。えんどうにて、玉こんにゃく・3つ100円を食べてから、さて、山寺をお参りしましょう。橋を渡ってから右手へ行くと見えてくる階段が参道の始まりです。

立石寺中堂(根本中堂)

山形市

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立石寺の本堂にあたる根本中堂です。御本尊は薬師如来で秘仏です。合掌一礼でお参りしました。

山寺

山形市

「山寺」を   >

さて、石段を登っていきますかね。本日は雨が降っていることもあり、また、開門してから1時間あまりの早い時間ですので、参拝客がとても少ない模様です。とても静かな参道を自分のペースで歩いていきます。

山寺

山形市

「山寺」を   >

木立の向こうに見える岩肌が荒々しいですね。階段は全部で1015段あるのですが、連続した1015段ではない分、ペースの調整ができるので、昇るのはそれほど大変ではありませんでしたな。かなり急峻な岩肌を登っているはずですが、木々の緑に囲まれているので安心感があります。松尾芭蕉の「しずかさや いわにしみいる せみのこえ」が詠まれたのがここ山寺であって、山寺の岩なんですね。芭蕉さんは山寺を訪問する予定はもともとは無かったと。旅行の道中にてたまたま人に勧められて回り道をしてやってきたそうです。旧暦で5月27日、今でいうと7月13日とのことで、偶然にも生まれた名句、素敵ですね。虫の音が鳴り響くさまを「ああ、静かだな」という感覚は日本人共通の感覚なのかもしれませんが、全山これ虫の音という状況は、そこに人がいないので安心して虫が鳴いている、人の密度の薄さをも一瞬で理解そして表現できる、そんな描写ですね。

立石寺納経堂

山形市

「立石寺納経堂」を   >

ほどなく、開けた場所に出て右手の建物は開山堂、立石寺を開いた慈覚大師の御堂です。左手にある小さなお堂が納経堂で、お寺の説明によりますと山内で最も古い建物とのこと。開山堂の右手を上っていきますと、五大明王を奉る五大堂があります。

宝珠山立石寺

山形市

「宝珠山立石寺」を   >

おお、五大堂、いい眺めです。通り抜ける風が心地よいですなぁ。私は山寺は22年振りくらいなのですが、この高台からの絶景、何も変わっていないですね。いい景色です。今日は雨模様で雲が多い分、山から沸き立つ雲がまた美しい。

宝珠山立石寺

山形市

「宝珠山立石寺」を   >

この五大堂もかなりの絶壁に建つ建物ですので、それを意識するとやはり足がソワソワととするのですが、この景色、素晴らしい。そして私以外の参拝客が周りにいないという状況、しばし贅沢な時間を過ごしました。このあと奥の院やそのまわりのお堂を参拝し、山を下ります。

えんどう

山形市

「えんどう」を   >

えんどうに戻って来て、個別包装の玉こんにゃくを買い、食堂で名物の芋煮をいただきました。汗だくで降りてきましたので、冷たいお水がとても美味しい。待つほどに現れたるこの芋煮は、あっつあつで、いい香りのいいお味なんですねー。里芋をホクホク言いながら食べてネギの風味と牛肉の脂のうまみ、そしてこんにゃくと、たっぷりと汁を吸いこんだ熱々のお麩ですな、どれも美味しい。ハフハフと芋煮汁を食べておりますど、えんどうの横を列車から降りた参拝客が山寺へ向かって歩いていきますな。いやー、いい参拝でした、そしていい朝食でした。ごちそうさまでした。さて次は、肘折温泉へ向かいます。肘折温泉までの道は若干細い道もあるのですが、思っていたほどの困難さはなく山寺から1時間30分ほどで到着しました。

肘折温泉郷

大蔵村(最上郡)

「肘折温泉郷」を   >

山道を進んでいくと肘折温泉に到着します。細いメインストリートの両脇に背の高い旅館が立ち並ぶ小さな温泉街ですな。到着はちょうど12時でしたが、昼時の静かな温泉街を車をソロソロとすすめていきます。いい雰囲気ですねー、とても静かですよ。肘折温泉は地蔵菩薩が発見し世に知らしめたそうです。肘折カルデラと呼ばれるカルデラ地形の東端にある肘折温泉、1万年ほど前のある日ある時に、どっかーんと、陥没したスケールのデカい火山活動の跡地に、マグマによって熱せられた温泉が湧出するという温泉地です。

共同浴場 上ノ湯

大蔵村(最上郡)

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さて、私の目的地は画像の肘折温泉共同湯「上の湯」です。近くのバス停脇にある無料の駐車場に車を停めて上の湯へやってきました。料金は400円を入口の箱に自分で入れます。肘折温泉の宿泊客は無料で入ることができようですね。先客は3名、湯の加減は熱くなくて、半身浴、全身浴などを繰り返しながら、新庄から来られたというおじいさん達とついつい長話をしまして、自然、長湯になりまして30分くらいですかね、そのくらい浸かっていられる湯加減でした。いい湯、いい時間でした。

肘折温泉郷

大蔵村(最上郡)

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長湯の後は水分補給ですね。上の湯の隣にある「カネヤマ商店」という酒屋さんにて、肘折カルデラサイダーをいただきます。冷たくて美味ですなぅ。説明書きによれば、肘折温泉郷には冷たい炭酸泉が湧出していて、その自然湧出する天然炭酸泉を40%加えてサイダーに仕上げたとのこと。かの斎藤茂吉さんもこの天然炭酸水に砂糖を入れて飲んでその爽やかさに歌を詠まれたとのこと。すっきりとしたサイダー、美味しかったです。さて、本日のお宿は秋田県の横手に予約しておりますので横手に向かいます。チェックインの前に、横手・増田の重要伝統的建造物群保存地区へ寄りたいと思います。

増田観光物産センター「蔵の駅」 

横手市

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肘折温泉を13時に出発し、横手増田には15時05分に到着です。無料の駐車場に車を停めて、すぐ横の「増田の町並み案内所・ほたる」にて観光の説明を受けてマップをいただき、街を歩きます。まずは「蔵の駅」へ。こちらは元の所有者の石田さんから横手市に寄贈されて、市が管理している公共の施設で、無料で開放されていて自由に見学できます。建物の中へ入りますと、奥行きがありますねー、そして高い。高さがあります。通りの外側からではわからない興味深い内部です。外の建物は「鞘(さや)」と呼ばれていて、鞘の内部に蔵があり内蔵(うちぐら)と呼ばれています。内蔵の横には街道に面した店舗と主屋から延びる「とおり」と呼ばれる長い土間があって、鞘で覆うことによって、このトオリドマが通年で使用できるうえ、主屋と蔵が接続されて、かつ、土間が雪などによって痛むことがない。つまりすべては雪との共生を通して発展してきた家の形なのですな。

増田観光物産センター「蔵の駅」 

横手市

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蔵の駅の蔵の内部は公開されていて、靴を脱いで見学することできます。蔵と言ってもまずはツヤツヤに磨かれた板の間があり、その奥には座敷の間があります。いわゆる土蔵と違う点は、内部に居住空間・生活空間があるということで、その生活空間は家族以外の人間の立ち入りが制限されるような特別な空間だったそうです。

横手市増田重要伝統的建造物群保存地区

横手市

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蔵の駅の2軒隣りにある「山吉肥料店」へやってきました。入り口で200円を支払うと、家の方が丁寧に解説しながら案内してくださいました。画像は内蔵をトオリドマの奥から見た景色です。空間に張られた板は、内蔵の2階の扉を外から閉める時にあの板を渡って扉を閉めるそうです。こちらの内蔵は特別で神聖な行事の時のみに家族が使用する空間であり、内蔵の内部は一般公開されていません。見学時にいただいた絵葉書の案内書きには「横手市・平田源助家から入婿した初代順吉が昭和初年この地に転居し、塩元売捌所や精麦特約店、生糸仲買商などを営む。現当主は三代目。内蔵は昭和初期に初代順吉が建てたという。蔵は磨き黒漆喰の輝きを放って、立派な構えをみせている」とあります。

横手市増田重要伝統的建造物群保存地区

横手市

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山吉肥料店の内蔵は、この増田に残っている蔵の中では一番新しく造られた蔵とのことで、その造りや意匠など、とても丁寧にそして贅沢に造られている蔵でして、外観だけでも充分に見ごたえがありました。

横手市増田重要伝統的建造物群保存地区

横手市

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バラが綺麗に咲いている裏庭も案内していただきありがとうございました。とても綺麗に管理され生活されていると感じました。時刻は16時ですな、さて横手やきそばを食べてから宿へチェックインしますか。

シェーシェー

横手市

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横手増田の蔵の駅から北へ1軒分のところにある「シェーシェー」で横手やきそばをいただきます。大盛り650円、半熟の卵を溶いて麺にからめます。このやきそばに、さらに液体のソースを少し多めにかけていただくとのことで、美味しかったですねー、ソースの風味をここまで味わうという経験を、最近していなかったなと気が付きました。ひき肉も特徴があるのかな。御馳走様でした。

横手市増田重要伝統的建造物群保存地区

横手市

「横手市増田重要伝統的建造物群保存地区」を   >

一番手前の建物が「蔵の駅」、そして1軒挟んで向こうの建物が「山吉肥料店」です。建物(さや)の中にあんなに立派な内蔵があるとは、外観だけではわかりませんね。さて、横手の宿へ向かいます。

横手セントラルホテル

「横手セントラルホテル」を   >

本日は横手セントラルホテルに宿泊です。このお宿には結構式場が併設されていて、接客の感じがとても良かったですし、カレーとアイスの無料サービスがあって、これは横手やきそばだけでは少し足りない私にはとても嬉しいサービスでした。今日のまとめ、明日のおさらいなどをしてから就寝です。

3日目2024年5月21日(火)

大潟富士

大潟村(南秋田郡)

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さて本日は八郎潟を目指し八郎潟を起点として男鹿半島をぐるりと一周して秋田県にかほ市の象潟にて一泊する予定です。4時30分起床、5時30分横手出発、八郎潟へのドライブはずっと雨の中のドライブとなります。果たして天気予報通りに天気は回復へ向かうのか、止まない雨の中を2時間半弱ドライブして大潟村の「日本一低い山」に到着したころに、ようやく雨がやみました。大潟村は広いですねー。スケールのデカい直線道路を、通勤時間帯だからか、皆さんビュンビュン飛ばされていますので、駐車場に車を停めてホッとしました。さて、「日本一低い山」についてですが、自然の山と築山(人口の山)とに分かれて考えると、大潟富士は築山に分類され、標高0mで国土地理院の地形図に掲載されている日本一低い「立体」らしいですな。標高から言うと文句なしの日本一なのですが、国土地理院の地形図に刑されている「山」としては「日本一低い山」は宮城県仙台市宮城野区の「日和山」が標高3mで日本一低い山、有名な大阪の天保山は標高4.53mで日本で二番目に低い山なんだそうです。なお、自然の山で日本一低い山は徳島県徳島市の「弁天山」で標高は6.1mなんだとか。ここから寒風山を目指します。

寒風山

大島町

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寒風山にやってきました。天候は明らかに回復へ向かっていますな。寒風山から西方の男鹿半島方向を眺めた画像です。寒風山は標高が355mの火山で、今から3万年以上前に始まった火山活動によって形成された山とのこと。画像右手のくぼみが第一火口で、左手のくぼみが第二火口ですね。以前はドカンドロドロと噴火していたこの場所も、徐々に冷えて現在の緑の大地に至ったと。時間軸のスケールがデカいですな。

寒風山

大島町

「寒風山」を   >

この画像は南南東の方角、秋田市の方向の眺めです。左手中央に八郎潟の残存湖が見えます。風が強くてビュォービョォーと音が聞こえるのですが、回転展望台が遮蔽物になって私にはほとんど風が当たっておりません。

寒風山

大島町

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そしてこの画像は真東を向いた眺め、画像中央の長方形のような場所が八郎潟の残存湖であり、その左、直線で区切られている部分が八郎潟が埋め立てられてできた大潟村の南端です。八郎潟はもともとは琵琶湖に次ぐ日本第二の広さを誇る湖でしたが、食糧増産を目的として干拓され農地へと姿を変えたとのこと。現地の案内板を基にもっとスケールのデカい時間軸で観てみると、今から6000年ぐらい前の縄文時代には今の男鹿半島自体が完全なる離島であったのが、本州側から砂州が広がって海岸線と島がつながって島は男鹿半島となり、男鹿半島と元々の海岸線とに挟まれた部分に取り残されて湖になったのが八郎潟という感じですね。さて、おなかも空いてきました。本日は朝ごはんを男鹿半島の先端の入道埼で食べる計画ですので、入道埼へ向かいましょう。

入道埼灯台

男鹿市

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時刻は9時10分、入道埼灯台に到着です。全国で16基ある登れる灯台の1つですので、登って見ましょう。入道埼灯台は明治31年に点灯された灯台で、現在の灯台は昭和26年に改築されたものとのこと。しましまの灯台です。

入道埼灯台

男鹿市

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300円を支払いまして灯台の頂上へいたりますと、おお、いい景色だ。風が強くて塔が揺れるのがソワソワしますけどね。入道埼灯台と入道埼を文字通りの独り占めでございます。入道埼灯台制覇じゃ、フハハ。

入道崎

男鹿市

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お腹が空いたな。さきほど入道埼の駐車場に車を停めた時に、9時から開いているはずのお店が閉まっていたのが少し気がかりですな。現在の時刻は9時23分、多分もう少ししたらお店も開くのでしょう、灯台を降りたところに灯台資料館があり、そしてこの入道埼灯台の資料館は、とても面白い展示でしたね。読んでいて飽きないというか、海図を見たときに灯台の光り方からどこの灯台からわかる記号が海図に記入されているという解説が面白かったです。灯質(光り方)を決めるのは「光の色」「光の発し方」「光っている時間とその間隔」で、光の色には白(W)・赤(R)・緑(G)・黄色(Y)の4色があって、光の発し方には強く光を発する「せん光(Fl=Flashing)」と一定の光を出し続ける「不動光(F=Fixed)」の2種類があって、これらにレンズやフィルターの回転速度を組み合わせることで、灯台は沢山の灯質を作り出すことが出来ると。入道埼は「Fl W 15s」と海図に表記されているので、「15秒ごとに強い白光を出す灯台」が入道埼灯台だと海から見てわかるとのこと。普段は馴染みがないことなので、こういう情報は面白いですな。さて、朝ごはんを食べましょう。予定していたお店が閉まっていて、この後開店するのか、それとも今日はお休みなのか分らなかったので、開いているお店に入ります。

ニュー畠兼

男鹿市

「ニュー畠兼」を   >

どどーんと素晴らしい。海鮮丼であります。美味しい。ゆったりとした時間の割り振りで行動しているので、気分もゆったりとしてきます。エビ・ホタテ・ウニと旨かったですねー。味噌汁の味噌も美味しかったですな。御馳走様でした。駐車場に戻りますと、当初に見当をつけていたお店が開店しておりました。お目当てにしていたお刺身定食とざっぱ汁は次回に入道埼を訪れた時のお楽しみといておきましょう。入道埼を離れ、男鹿半島の南側をドライブします。

八望台

男鹿市

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八望台にやってきました。ここはどんな展望台か全くわからないで来たのですが、とても面白いところです。というのも、目の前に火山活動の痕跡が、どどんと保存されているのです。画像は奥に日本海、そして戸賀湾(とがわん)があり、手前に二ノ目潟(にのめがた)があるのですが、この景色がスケールのデカい地球の火山活動の痕跡が、人の手によって壊されることなく残っている景色なんですね。この写真の撮影者の後ろに「一ノ目潟」があって、この一ノ目潟・ニノ目潟はマールと呼ばれる世界的にも珍しい特殊火山湖とのこと。この場所で、ある日ある時ある瞬間に、地下水に高温のマグマが触れて水蒸気爆発が起きて、どっかぁーんと大爆発が起きて爆裂火口と呼ばれる火口が出来て、そこに水がたまったのが、この目潟なんだなとそんな想像をして楽しみます。

八望台展望台

男鹿市

「八望台展望台」を   >

一ノ目潟もニノ目潟も八望台から見えるのですが、とても深くて綺麗な青い色をしていますね。一ノ目潟は男鹿市の水源にもなっている淡水湖で深さは約44m、6万年から8万年前に形成されたと考えられているそうです。八望台にて規模の大きな四次元の旅を楽しみました。男鹿半島の南側をドライブして、途中の海岸でゴジラ岩など探して歩いたのですが発見できず、秋田市を通過して国道7号線を南下、快適なドライブでした。

道の駅 象潟 ねむの丘

にかほ市

「道の駅 象潟 ねむの丘」を   >

時刻は14時20分、象潟(きさかた)の道の駅・ねむの丘に到着です。まずはお土産を買い、観光案内所にて散策ルートを訪ね、6階の展望台にて象潟の風景を楽しみます。かつてこの象潟は、無数の小島が浮かぶ「潟湖」でした。

にかほ市観光拠点センターにかほっと

にかほ市

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象潟という地形の成り立ちについて簡単に説明をすると、今から2500年ほど前の紀元前466年に鳥海山が大規模な山体崩壊を起こして、その岩なだれと呼ばれる大量の土砂が山頂から日本海まで崩れ落ちてきたと。そして海岸線を多くの岩や土砂が埋めたところに日本海の波が打ち寄せて、軽くて小さな土砂を侵食して(あるいは大きな地震などで地盤沈下が起きて)大きな岩だけが残ると、まるでたくさんの島々が海に浮かぶような景観が出来上がるというわけです。いやはや、凄いスケールのデカい話ですな。画像にあるように、ある日ある時ある瞬間に、鳥海山がどっかぁーんと山体崩壊を起こしてここまで流れ下ってくるわけです。その瞬間に居合わせた人はたまったものじゃありませんね。絶対に安全な場所が確保されるならば、その瞬間を見てみたい気もします。そして出来上がった象潟の地形は古来、景勝地として知られ,古代中世には能因法師や西行法師が歌に詠み、近代になると松尾芭蕉もこの象潟を目的地として奥の細道の旅をしました。ところがですね、この象潟という地形は、その地形の当然の帰着というか成り行きといいますか、徐々に陸地化していく運命にあるわけでして、松尾芭蕉が象潟を訪れたのは1689年ですが、その後100年で陸地化がかなり進行したらしく、1788年にこの地を訪れた古川さんという方はその紀行文にて期待していたのと違うわいという落胆の文を記しています

道の駅 象潟 ねむの丘

にかほ市

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そして土砂の堆積という比較的ゆっくりした陸地化とは別に、1804年7月10日の象潟地震によって、地盤が数メートル隆起してこの地は完全に陸地になってしまったとのこと。今では田んぼに水を張る季節になると、水田に浮かぶ象潟の島々が出現し、在りし日の象潟の景色がまるでそこに出現したかのような光景になるそうです。その様子が展望台に展示されている写真で観ることができます。さてと、それでは本日のお宿へ向かいましょう。

象潟夕日の宿 さんねむ温泉

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道の駅・ねむの丘から車で5分とかからない場所にある「さんねむ温泉」です。今回の旅で唯一の温泉の風呂がある二食付きの宿ですので、15時15分にはチェックインをすませます。部屋が広くてとても綺麗ですし、窓の外には日本海が広がっています。チェックイン時に本日の日の入りの時刻を確認しましたら18時41分ということで、夕飯の時刻は17時30分からという少し早めの時刻を希望しました。本日の天候からするときれいな夕陽が拝めそうですね。このお宿は3階に鳥海山が見えるお風呂があり、1階には日本海を臨めるお風呂がありまして、3階のお風呂はチェックイン時の20時まで入ることができまして、1階のお風呂は21時ごろまで外湯で利用する客も比較的多い時間帯もあるということで、まずは3階へ、15時25分には3階のお風呂にとっぷりと浸かってドライブの疲れを癒します。それほど熱くない、長湯が出来るお湯ですね。泉質は単純硫黄冷鉱泉・源泉温度14.6℃ということで、加温はされているようですが、いい湯加減です。3階からの戻り際に1階の風呂もそれほど混んでいなかったので利用し、16時に部屋に戻ります。

象潟夕日の宿 さんねむ温泉

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16時15分から16時45分まで、宿から海岸線までの道をフロントにて教えていただき散歩をします。この時に海岸線までの道を確認していたことは、日の入りの際に海岸へ出る時に迷わず行くことが出来て良かったですね。画像は散策から戻って3階の風呂へ行って、部屋に戻ってきた17時15分の部屋からの眺めです。夕食を食べている間に沈んでしまいそうな気もしますが、これだけでも充分にきれいですな。

象潟夕日の宿 さんねむ温泉

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さて、お夕飯です。お宿でいただくお夕飯はゆったりと食べられて良いですな。さすが、お刺身が美味しいのと陶板焼きの牛肉が柔らかくて美味しいですな。熱々の銀鮭が登場しまして、それが美味しかったです。御馳走様でした。

象潟夕日の宿 さんねむ温泉

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部屋に戻ると18時17分、おお、落陽もたけなわという感じで、素晴らしい眺めですな。これは海岸へ行って眺めねばなるまい。浴衣から着替えて歩いて海岸へ向かいます。

象潟海岸

中野区

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雲に隠れて周りを茜色に染める夕陽もまた綺麗です。

象潟海岸

中野区

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おお、真ん丸ですな。地球の自転のスピードを体感、今日もまた沈む夕日をじっくりと観察できました。

象潟海岸

中野区

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ざざーんと、波が押し寄せる海岸です、ふと振り返ると、おやおや、先ほどまで雲に隠れていた鳥海山の山頂がくっきりと見えるようになってきました。

象潟海岸

中野区

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鳥海山とお月さんです。まさに、月は東に日は西にという与謝野蕪村の句ですな。満月は2日後の23日ですので十三夜ということになりますか。海と太陽、月と山、そのスケールのデカさの前に自分の小さな存在感が実に心地よいという時間でした。宿へ戻って温泉で身体を温めます。今日は1日を通して美味しい物を食べ、スケールのデカい景色と想像を楽しみ、温泉にも浸かれて満足満足の1日でした。

4日目2024年5月22日(水)

羽州浜街道

本日は4時50分起床、5時20分に散歩に出発です。快晴ですな。昨日、観光案内所にて教えていただいた旧街道を歩いてみます。羽州浜(うしゅうはま)街道です。

羽州浜街道

神社がありましたのでお詣りしていきます。

象潟橋・羽州浜街道

象潟橋にやってきました。今は欄干橋というそうです。案内板によれば「かつて、ここから眺める九十九島と鳥海山は『象潟八景』の一つと言われていました。最初に橋が架けられたのは慶長8年(1603)のことで、その後の元禄2年(1689)に芭蕉と曾良が「おくのほそ道」の旅でここを訪れています。曾良の旅日記には塩越(旧象潟町)に着いた6月16日(陽暦8月1日)に『先、象潟橋迄行テ、雨暮気色ヲミル』とあり、塩越を去る18日には『早朝、橋迄行、鳥海山ノ晴嵐ヲ見ル』とあります。 にかほ市」ということです。 ほほぅ、芭蕉さんも曾良さんもここから鳥海山を見なさったのですな、今、私が観ている鳥海山とほぼ同じ光景をお二人も見なさったのかと思うと感慨深いですねー。到着した日は象潟橋からの景色を観に来たが雨が降っていたようです。曾良さんの日記によればこの日(旧暦の6月16日)は、象潟に到着する前は「雨強ク甚濡」ということで、佐々木さんという方の所で休んで濡れた衣類を乾かし、「ウドン喰」。うどんを喰われましたか。今の暦で8月1日ということですので、雨に濡れた後ですが、お二人が召し上がったウドンは温かかったのか冷たかったのか。そして象潟橋まで来たものの雨の景色を眺めたと。翌17日は「朝、小雨。昼ヨリ止テ日照。朝飯後、皇宮山蚶満寺へ行。道々眺望ス」とのことで、私がこれから訪れる蚶満寺にも行かれたようですね。

象潟橋・羽州浜街道

曾良日記は続きます。「夕飯過テ、潟へ船ニテ出ル」。ほほぅ、船で出ましたか、茶・酒・菓子を持参したと書いてあります。そして翌18日、「快晴。早朝、橋迄行、鳥海山ノ晴嵐ヲ見ル。飯終テ立。アイ風吹テ山海快。暮ニ及テ、酒田ニ着」とのこと。旧暦6月18日(今の8月3日)、象潟を出発する日は快晴で早朝に橋から霞んだ鳥海山を観たということで、ああ、今日の私と同じですね、あの山頂の雪はなかったことでしょうが、川の様子や建物の様子は違うでしょうが、山の景色は芭蕉さんと曾良さんが観た景色と、そうは変わらないでしょう。しばし感激を伴いつつ鳥海山を眺めます。

天然記念物「象潟」九十九島

中野区

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羽州浜街道を宿へ方向へ引き返し、国道7号線を渡るとすぐに蚶満寺の参道です。蚶満寺の横には九十九島と呼ばれる象潟の小山(鳥海山から流れてきた大きな岩の塊り)をすぐそこに見ることができます。

蚶満寺

にかほ市

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蚶満寺の山門です。立派な山門ですね。建築年代は不詳であるが江戸時代中期と推定されているそうです。

蚶満寺

にかほ市

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ちょうど6時の鐘の音にタイミングが合いまして、境内をぐるっとします。拝観料300円を支払いお庭も拝見です。

天然記念物「象潟」九十九島

中野区

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象潟の周りには遊歩道が整備されていて、蚶満寺の横から歩いて巡ることができます。そろそろお腹が空いてきました。お宿のさんねむ温泉と蚶満寺はとても近いです。ただし国道7号線がありますので、これを横断する時は気をつけてください。

象潟夕日の宿 さんねむ温泉

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宿に戻って朝食です。卵・納豆・のりなどは自分で取りに行きます。さすが米どころ、御飯も美味しかったですし、味噌汁の味噌もやはり美味しかったですな。とても良いお宿でした。さて、朝風呂に入った後はチェックアウトして、本日は山形の鶴岡市に立ち寄ってから米沢市の宿へ向かいます。

三崎公園

にかほ市

「三崎公園」を   >

国道7号線を南下して、秋田県と山形県の県境に三崎公園があります。この公園の展望台から象潟方面を臨みますと、おお、舌のような、なだらかに傾斜した陸地が見えますね。あれが鳥海山の岩なだれの跡形ということになります。

龍澤山 善寳寺

鶴岡市

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山形県鶴岡市の善寶寺にやってきました。江戸時代後期から明治にかけて再建された立派な建物が並ぶ曹洞宗の寺院です。画像は1856年に再建された総門で、立体的な彫刻が素晴らしい門です。ちょうど参拝客が少ない時間帯で静かに参拝できそうです。

善宝寺五重塔

鶴岡市

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そしてこちらは1893年(明治26年)に建立された五重塔です。「魚鱗一切」の大供養塔として建てられました。高さは38mあり、内部には釈迦如来・あしゅく如来・阿弥陀如来・ほうしょう如来・大日如来の五智如来が祀られています。

善宝寺五重塔

鶴岡市

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立派ですねー。建築されてから141年、141年後の威容・風格が重厚です。

龍澤山 善寳寺

鶴岡市

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そしてこちらは1862年に再建された山門です。鶴岡市にはこんなに立派な寺院建築があるのかと驚きました。総門・五重塔・山門・五百羅漢堂・龍王殿・龍華庵が国に登録された重要文化財とのこと。

龍澤山 善寳寺

鶴岡市

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山門をくぐり正面の石段を昇ると本殿である「感應殿」があります。参拝客が少なく、とても静かですね。

龍澤山 善寳寺

鶴岡市

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こちらが感應殿です。御本尊の薬師如来に合掌一礼でお参りです。

龍澤山 善寳寺

鶴岡市

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感應殿の左わきを奥へ進むと、1833年に再建された龍王殿が現れます。龍神を祀るとともに開山堂をも併せているとの説明書きがありました。屋根は海の波のうねりを型どり、竜宮城を模して造られているとか。いいお参りが出来ました。善寶寺を辞します。

南岳寺

鶴岡市

「南岳寺」を   >

南岳寺へやってきました。まずは本堂にて合掌一礼のお参りをしましてから階下のインターホンを押しまして案内を請います。お寺の方がここに安置させている即身仏について、丁寧に解説してくださいました。日本に存在する信仰の一つの形として、たいへん興味深く拝見しました。即身仏の御衣は12年ごとに着替えをするということで、そういうことも含めて、維持管理をし続ける信仰心はすごいなと思った次第です。

鶴岡市立 藤沢周平記念館

鶴岡市

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鶴岡公園中央駐車場に車を停めて鶴岡城址へやってきますと、市立藤沢周平記念館が現れます。いやー、本当に本当に残念なことに、本日は水曜日で定休日なんですねー。これは計画の段階からなんとかならないかと考えたのですがどうにもならず、今回の旅程ではあきらめざるを得ませんでした。藤沢周平、昭和2年(1927年)に生まれ平成9年(1997年)に亡くなった鶴岡市出身の歴史作家です。私は20代では歴史小説を好んで読んで、中でも池波正太郎・司馬遼太郎、そしてこの藤沢周平の歴史小説が好きでした。池波正太郎さんは熱い文章を書かれる方で、少し講談調のハラハラと涙を流すような文章に引き込まれると。司馬遼太郎さんは丁寧で冷静な文章構成で実にわかりやすい文章を書かれる方で、歴史資料を深く調査検証されているのでどこからが創作なのか史実なのかを判別するのは難しいと。そしてこの藤沢周平さんですが、一文字で表すならば「冷」です。暗く鬱屈として冷徹であり、己以外の何物にも期待しない・委ねないという孤独の力強さに希望を託し明日に懸ける、そんな登場人物がよく登場するような気がします。20代のころの私の生き方に二重写しになって、「溟い海(くらいうみ)」とか「用心棒日月抄」など、あとは己の才覚でなんとかしろという世俗に庇護されない生き方やどこか暗さを伴うユーモアにリアリズムを感じておりましたな。あー、また読みたくなってきました。

荘内神社

鶴岡市

「荘内神社」を   >

藤沢周平記念館のすぐそばにある荘内神社に二礼二拍手一礼でお詣りです。もともとは鶴ヶ岡城の本丸があった場所です。

致道博物館

鶴岡市

「致道博物館」を   >

鶴岡公園の西に隣接する致道博物館にやってきました。こちらは移築された旧鶴岡警察署庁舎です。設計は大工棟梁の高橋兼吉が行ったと説明にありますが、この高橋兼吉さんは先ほど私が訪れた善寶寺の五重塔の建築にも携わっておいでのようですね。この次の画像にある旧西田川郡役所もこの高橋さんと石井竹次郎さんの手による建築です。

旧西田川郡役所

鶴岡市

「旧西田川郡役所」を   >

そしてこの博物館で見応えがあったのは、「大名 酒井家の名宝」展が開催されていたことです。「庄内藩主酒井家は徳川四天王の筆頭・酒井忠次を祖(初代)とし、3代忠勝が信州松代から入部して以来、幕末まで240年にわたり庄内を領しました」とあるように、江戸時代を通してほぼ領地を変えなかった酒井家が所有していたお宝が展示されています。なかでも目をひいたのは、「信房作の太刀」と「真光の太刀」の2つの国宝です。信房は平安時代末期、真光は鎌倉時代の刀ですが、細身の太刀が光り輝いているという姿に驚きます。平安時代末期の金属である鉄が少しのサビも見せずに光り輝いているのは、どれだけ大切にされてきたかということでもありますし、信房は徳川家康から贈られたもの、真光は織田信長から贈られたものというのもすごいですね。

天澤寺

鶴岡市

「天澤寺」を   >

さて、鶴岡市の中心から南へドライブして天澤寺に到着です。天澤寺には、あの、加藤清正のお墓があるということでお参りにやってきました。加藤清正は1611年に亡くなって、熊本の本妙寺・浄池廟に土葬で埋葬されたのですが、その後、1632年になって加藤家が改易され、出羽庄内藩へ移動してきた際に清正の息子の忠広が火葬しなおした清正の遺骨をこの天澤寺に埋葬したという伝承があるそうです。昭和24年の発掘調査で骨壺が出土したということで、今もこの地にて祀られている、そういうことで私は理解しました。合掌一礼のお参りをいたしました。

丸岡城跡

鶴岡市

「丸岡城跡」を   >

天澤寺を出てすぐの県道349号線から月山を観る。この写真にはガードレールとか電柱・電灯などの現代の物品が写っているのですけれども、そういうものを頭のなかで消していくと、この景色は江戸時代の人も、ひょっとしたら同じ景色を見ていたのではなかろうかと、車を停めて景色をみながら、ふと、そんなことを考えました。

ホテル平成

「ホテル平成」を   >

時刻は17時20分、米沢のホテル平成にチェックイン、建物は古いのですが最上川のせせらぎが良く聞こえる場所にあるお得な宿です。今日までのまとめ、そして明日の帰りのルート確認をして早々に就寝です。

5日目2024年5月23日(木)

上杉神社

米沢市

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本日は7時に起床、8時20分に宿をチェックアウトして8時40分に上杉神社のお詣りです。

松が岬公園

米沢市

「松が岬公園」を   >

米沢藩9代藩主の上杉鷹山さんの有名な言葉ですな。「な」で韻を踏んで実にリズミカルで単純明快なスローガンです。とにかく動きなさいよ、動かなきゃ何も出来ないよと、出来ないのは動いてないからだよという、実に単純明快であります。

米沢城址

米沢市

「米沢城址」を   >

上杉神社の参道の途中から少し上った場所に「上杉謙信祠堂(御堂)跡」という場所があります。上杉謙信が無くなったのは1578年享年49歳。その後、謙信の跡を継いだ上杉景勝が会津、米沢と移封されるに伴って謙信の遺骸も移され、明治9年までこの場所に安置されていたそうであります。想像するに、米沢城の一番神聖な場所だったのでしょう。

米沢市上杉博物館

米沢市

「米沢市上杉博物館」を   >

さて時刻は9時ちょうど、上杉博物館へ入館しましょう。上杉家ゆかりの品々が展示されていて上杉家の歴史を知ることができます。画像の建物の中には博物館と音楽ホールがあるので、博物館としてはそれほど広さを感じませんでしたね。

米沢市上杉博物館

米沢市

「米沢市上杉博物館」を   >

スペースを贅沢に使って、観て楽しむ、観て知るつくりになっていますね。この美術館には国宝の上杉本洛中洛外図屏風があって、これがとても興味深いのですが、国宝の原本が展示されている期間と複製が展示されている期間があって、私が訪れた時は残念ながら複製の展示期間でした。1574年に織田信長から上杉謙信へ贈られた品と伝わり当時の京都の景色が一望できる屏風図です。私が観たのは複製でしたが、金閣寺の姿が今の金閣寺の姿と異なっていて、これは面白いと思いました。金箔が張られている部分が現代と違うのですな。1574年ごろの屏風図の金閣寺では、壁は漆喰の白で、扉にのみ金箔が張られている、そんな絵だったと思います。オリジナルを観たかったですねー。また京都に行きたくなりました。小学生たちが課外授業に来ましたのでそれを潮目に博物館を辞します。

春日山林泉寺

米沢市

「春日山林泉寺」を   >

米沢城址から車で10分ほどの春日山林泉寺へやってきました。受付で拝観料を支払いますと、お堂の中を丁寧に案内いていただきまして、上杉家の歴史と領地の変遷、そして林泉寺の移り変わりもよくわかりました。

米沢牛黄木 牛鍋おおき

米沢市

「米沢牛黄木 牛鍋おおき」を   >

時刻は11時、米沢駅前の「おおき」へやってきました。今回の旅行の計画段階で、米沢牛を食べたいと思いましていろいろ調べましたが、ステーキやしゃぶしゃぶですと、やはり米沢牛ですから7千から8千円以上はしますので、私の予算ではこのお店の牛鍋が一番相性が良いという結論になりまして、念のために予約をして訪れました。牛鍋定食は赤身・3,500円、肩ロース・4,000円、ロース・5,000円というラインナップで、私は肩ロースを選択しまして、やわらかーい美味しいお肉・牛鍋でございましたな。感激して家に帰ってからスーパーの少し良い目のお肉で牛鍋をしましたが、やはり全然違うなぁというのが素直な感想です。おすすめです。なお、予約はしなくても平日の11時開店時には先客は居ない日でしたが、一人客はカウンターへ導かれるのに対して予約していた私は予約席のテーブルで牛鍋をいただきまして、これはちょっと嬉しかったですな。

白布温泉

米沢市

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さて、米沢を出発してあとは神奈川へ帰るだけなのですが、せっかくここまで来たのだから白布温泉(しらぶおんせん)へ立ち寄りたいと思いまして山道を走ってやってきました。米沢からは実に近いですな。以前、じゃらんの旅行記で山形白布温泉の旅情をそそる素晴らしい旅行記を拝見しまして、近々に行ってみたいと思っていた温泉です。本日はまず西屋の立ち寄り湯を訪れます。時刻は12時15分です。

湯滝の宿 西屋

米沢市

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西屋は藁ぶき屋根の歴史ある旅館で、湯舟は江戸時代中期に御影石で造られています。300年にわたり、いったいどのくらいの人びとがこの湯舟に浸かってこられたのでしょうか。前日にじゃらんで予約しまして、タオル付1,000円でこざいますな。確か、一度に5人まで(6人だったかもしれません)の入浴制限があり、ツーリングのグループとかち合うと5人くらい埋まってしまって入浴できないなんてことも可能性としてはありますので、ばっちり予約してきました。受付も「予約していた者です」と名乗るだけで「お待ちしておりました」ということになりますので、予約していて良かったと思います。

湯滝の宿 西屋

米沢市

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おお。脱衣所にて、滝湯の入り方・湯舟での入り方・身体の洗い方のレクチャーでございます。湯滝ということで湯舟への温泉の流れ込みは3本の樋から温泉がドボドボと、それはもう豊富に、流れてくるのですが、これに身体を打たせるとかなりの圧力を感じましたな。ドババババッという感じでまさに滝修行、そして温泉という夢のような組み合わせです。御影石は少し滑りやすいのでそこは注意が必要です。何しろだくだくとお湯が流入してくるわけでして湯舟からもだくだくと湯があふれるわけですから、図の洗い方に従えば洗った湯は湯舟に逆戻りしないという仕組みになっております。湯加減は少し熱めだが半身浴を組み合わせて長湯出来る感じです。先客1名の方は泊りの方らしく、湯の花が思ったよりも多い良い湯ですな等とお話ししてすぐに出ていかれましたが、後から来た方は日帰りの方らしく、すぐに出ていくかなと思いましたが全然出ていく気配がなく、おそらく彼も独り占めするチャンスを狙って粘っていたのかもしれませんな、私も粘ったので思わぬ長湯になりました。お風呂上りにフロントでお水を買いまして飲んだお水の美味しかったことといったらありませんでしたな。

白布温泉 東屋

米沢市

「白布温泉 東屋」を   >

さて、時刻は13時10分、西屋のとなりの東屋にやってきました。

白布温泉 東屋

米沢市

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これが滝湯でございます。ドボボボと流れ落ちるお湯に肩や腰を打たせます。東屋には露天風呂もあります。こちらはかなり熱めでしたね。

白布温泉 東屋

米沢市

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そしてこちらの湯舟もなんと400年の歴史がある浴槽とのことで、お宿のお風呂の紹介に「このお風呂に浸かるということは、この湯が受けとめてきた歴史を幻視することでもあります」とありまして、これはいいですねー、4次元的な入浴方法であります。ちょんまげのおじさんもこのお風呂に、私の横あたりで入浴されていたのかと思うと実に感慨深いですな。その「幻視」たちに挨拶をしてお風呂を出ます。いやー、白布温泉、良かったですよー。今度は泊りで来たいなー。

天元台・西吾妻スカイバレー

米沢市

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白布温泉を出て山の奥の方へ、西吾妻スカイバレーと呼ばれる道をドライブしますと白布峠に至り、そこを過ぎると東鉢山七曲りと呼ばれるつづら折りの道を下りまして途中で展望台がありますので、そこで車を停めます。いやー、スカッとしますねー。素晴らしい眺めだ。そしてこの展望台にてもう一つ素晴らしかったのは、全山コレ虫の音という感じで、ヒーンヒーンという虫の音に山全体が包まれているような、この世ともあの世とも区別のつかぬ空気を味わえたことです。虫の音が鳴り響くということは、それだけ人の密度が薄いということでもありまして、20年の6月に高山までドライブした時に、長野県木曽の開田高原でも同じような空間を車で走りまして、この世とも思えぬ極楽のような空間、なかなか巡り合えないのですが、これに巡り合うのも旅の醍醐味の一つかと思いました。この虫の音ですが、ヒグラシのような鳴き声なんですが、季節も時間帯もヒグラシではないはずなので少し調べましたところ、どうやら「エゾハルゼミ」という早鳴きのセミのようですね。

天元台・西吾妻スカイバレー

米沢市

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西吾妻スカイバレーを桧原湖へ下っていきますと、磐梯山眺望箇所という場所がありまして車を停めます。まさに裏磐梯、会津若松の旅行記に表からみた整った形の磐梯山の画像を載せましたが、裏から見ると山が吹っ飛んだ跡がありありとわかる形状をしていますね。

天元台・西吾妻スカイバレー

米沢市

「天元台・西吾妻スカイバレー」を   >

1888年(明治21年)7月15日に磐梯山は大噴火して山体崩壊を引き起こし山の形が変わりました。ある日ある時ある瞬間に、どどぉーんと大爆発して山が崩壊した、その痕跡が今でも遠くからでも見て取れますね。スケールが大きいなぁ。今回の旅行は山形と秋田をドライブし、土地の記憶を訪ねて美味しい物を食べ温泉に浸かって、スケールの大きな景色や想像を楽しみながらゆったりと旅行できました。山形も秋田も良い雰囲気の温泉場が沢山ありますので、まだまだ訪ねてみたい場所が沢山あります。

【山形秋田】かみのやま・山寺・肘折・横手・男鹿半島・象潟・鶴岡・米沢を巡る【2024年5月】

1日目の旅ルート

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