長慶天皇御陵墓参考地
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長慶天皇御陵墓参考地のクチコミ一覧
1 - 4件 (全4件中)
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- 一人
青森県弘前市に位置しています。電車とバスを乗り継いでアクセスが可能ですよ。第九十八代長慶天皇が紙漉舘に入って修験となり、身をかくしたという伝説の場所です。- 行った時期:2018年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年8月23日
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- 家族
青森県弘前市に位置する長慶天皇御陵墓参考地です。長慶天皇の御陵と称する墳墓は全国各地に点在しています。長い階段というか山道を登ると長慶天皇御陵墓参考地があります。- 行った時期:2017年9月
- 投稿日:2018年8月18日
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- 一人
こんなところと言っては失礼ですが、ここに南北時代の天皇のお墓があることに、驚きました。同時に日本の天皇の偉大さを感じた- 行った時期:2017年9月
- 投稿日:2017年9月4日
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明治14年、当該地は宮内省によって陵墓参考地に指定されたが、昭和19年2月11日、詔勅により京都右京区に嵯峨東陵が治定された。このためこの陵墓参考地はその時点で宮内省(国)の管理から外れる。現在は相馬地区の一神社「上皇宮」として存在している。このため説明にある「国の管理」という表現は不当である。またそもそも「長慶天皇陵墓参考地」という表記は正しくない。旧参考地とされねばならない。なお当該地は南朝の忠臣北畠氏の拠点浪岡に天皇が潜幸して後の崩御の場所とされる。しかしこれを主張する地元の古文書は日本史の明快な歴史事実と逸脱し、さらに古文書としての様式や文言にも不審の点が多々あり、偽文書と判断される。よって「かつて長慶天皇陵墓をめぐる国家的騒動があったことを今に伝える場所」という意味での史跡と考えるべきであろう。
- 行った時期:2010年6月10日
- 投稿日:2010年6月13日
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