高松喜六の墓
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現代の新宿の礎といっても過言ではない方 - 高松喜六の墓のクチコミ
東京ツウ くまらさん 女性/30代
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初代喜六死後に奉納された梵鐘
by くまらさん(2018年5月撮影)
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江戸時代、現在の新宿1丁目から3丁目にかけて、内藤新宿という宿場が栄えていました。この高松喜六が仲間4人とともに開いた宿場で、結構な額の投資をしたそうです。現在の新宿の隆盛を見るにかなり先見の明のあるビジネスマンといったところ。境内に案内図はないので、お墓にお参りしたい場合はお寺の方に声を掛けて立ち入り許可と場所を聞いたほうがいいです。
- 行った時期:2018年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年7月29日
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高松喜六の墓の新着クチコミ
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内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主であった方のお墓です
「高松喜六」氏は、江戸時代前期の町人であり、江戸浅草阿部川町の名主であった方ですが、新しい宿場開設を幕府に願い出て、「内藤新宿」をひらき、江戸時代の五大道の一つである「甲州街道」をとりしまる名主となった方です。(甲州街道は東京中心部で言えば現在のJR中央線とほぼ同じ位置です)
この方のお墓が、若葉二丁目の「愛染院」にありました。
全く存じ上げないお名前でしたが、偶然立ち寄った寺院でお墓を拝見したことから、興味を持って自分で調べるきっかけになったので、訪問して良かったと思います。
今回学んだことは、きっと中央線に乗る度に思い出すと思います。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年3月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年11月17日
-
愛染院にある内藤新宿の開設者の墓
高松喜六は1699年に開設された内藤新宿の開設者の一人で、今の新宿の成り立ちに大きく影響を与えた人物です。
1713年に亡くなった喜六さんのお墓が愛染院にあります。
墓地には鍵のある門がありますので入ることはできませんでしたが、案内板を読むことができました。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年1月21日
- 投稿日:2018年3月10日
-
内藤新宿の生みの親です。
内藤新宿の生みの親である人物で、浅草の名主でした。
内藤家下屋敷の一部に宿場を開設する請願を提出したそうですが、お墓自体は内藤新宿から少し離れた四ツ谷の愛染院にあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年1月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月20日
Kuda12さん
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立派な方
愛染院の門前に、高松喜六の墓の説明板が立っています。これは、新宿区の史跡となっているようですが、それもそのはず、高松喜六は浅草阿部川町の名主でした。立派な方です。
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年10月
- 投稿日:2018年1月5日
まるたさん
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愛染院の境内に
JR四ツ谷駅から徒歩10分圏内にある真言宗の豊山派の愛染院。ご本尊の大日如来も立派ですが、その境内の一角にこちらの高松喜六の墓があります。当時甲州街道の初めの宿場町である高井戸までの距離が日本橋から4里(16キロ)ほどあったようです。高松喜六は同志4人とともに内藤新宿(現在の御苑付近)に宿場を開設する請願を提出しました。翌年許可が下り問屋や本陣を経営したそうです。その後も代々と内藤新宿の名主を務めたそうです。墓石も1メートル弱の立派なものでした。
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年10月8日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月16日