坪内逍遙旧居跡
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案内板を残すのみです - 坪内逍遙旧居跡のクチコミ
東京ツウ トロムソさん 男性/50代
- カップル・夫婦
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案内板を残すのみです
by トロムソさん(2015年11月撮影)
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明治時代に活躍した日本の小説家・坪内逍遥は、往時には文京区で暮らしていたそうです。「文京ふるさと歴史館」の近くに「坪内逍遥旧居跡」案内板を見つけました。案内板はマンション建設工事の壁面に設置されており、住居の名残をとどめるものはありません。
- 行った時期:2015年11月
- 投稿日:2019年5月26日
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坪内逍遙旧居跡の新着クチコミ
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炭団坂の上にあります。
古き良き日本の住宅地といった雰囲気の炭団坂の上にある旧居跡の碑です。
あたりの雰囲気が良く、散策に最適な場所です。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年1月
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年1月17日
Kuda12さん
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説明板のみ
炭団坂を登り切った右側に坪内逍遙旧居跡の説明板がありました。その場所はマンションになっていて今では面影はありませんが、当時に思いをはせるのもいいなと感じました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年12月
- 投稿日:2018年12月5日
はるるんさん
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歳の頃25から28ほど、秀才の青年を思い浮かべて
文京ふるさと歴史館からわずかに100mほど北へ歩いたところに下り階段があって、
その左側のマンションの塀際に案内板がたっています。
お宅は、案内板によれば「東京第一の急な炭団坂の角屋敷、崖渕上に」あったそうで、
今は階段となっている炭団坂の下から崖の角を眺めてみました。
当時は20代後半であった坪内逍遙が、明治17年からの3年間を過ごした場所です。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年2月18日
- 投稿日:2018年6月9日
他1枚の写真をみる
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お屋敷町だったと聞いたことがあります
余丁町通り沿いに「坪内逍遥旧居跡」の案内板があります。
案内板には立派な屋敷の写真が掲載されています。今は面影がありませんが、かつてこの辺りはお屋敷町だったと聞いたことがあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年10月
- 投稿日:2017年12月30日
りーさん
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狭い通路沿いに説明板が立ててあります
小説家・評論家・教育家である坪内逍遥は、明治17年 (1884) この地に住み、「小説神随」を発表して勧善懲悪主義を排し写実主義を提唱、文学は芸術であると主張した。
とのこと。
逍遙が移転後、明治20年に「常盤会」という寄宿舎になった 由だが、今はなくマンションになっていてフェンスで囲まれています。
説明板は、このフェンス周りの狭い通路沿いに立ててあり、その前は、炭団坂とはいうものの階段があります。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年12月21日