徳川慶喜終焉の地
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大正2年に - 徳川慶喜終焉の地のクチコミ
グルメツウ のりさん 女性/40代
- 一人
徳川家最後の将軍として知られている徳川慶喜です。明治30年に東京に戻り、同年にこの地に移り住み最後を迎えました。
- 行った時期:2018年10月
- 投稿日:2018年12月11日
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徳川慶喜終焉の地の新着クチコミ
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1901年から1913年までこの地に
東京メトロ丸ノ内線・茗荷谷駅から南東に800mほど離れたところ、
ここは地下鉄の丸ノ内線が地上に露出している部分ですが、
この線路脇に国際仏教学大学院大学があり、その敷地の東端に案内板が立っていました。
明治の世になって30年ばかり後に、最後の将軍は東京・巣鴨に戻り、
1901年(明治34年)にここ文京区小日向に移り住みました。
1913年(大正2年)にこの地にて亡くなったとのこと、今は案内板が立つのみでございます。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年3月25日
- 投稿日:2018年8月7日
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徳川慶喜旧居跡
駿府に蟄居のあと最初は巣鴨、次に住んだのがここなのだそうです。12年も住んでいたので終焉の地というより徳川慶喜旧居跡と呼ぶほうが相応しいかもしれません。石碑や説明板がありました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2015年11月
- 投稿日:2016年9月12日
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今は大学院大学の敷地になっています
今は国際仏教学大学院大学の敷地になっており、南東側の正門のところに 「徳川慶喜公屋敷跡」 の標柱が、敷地右手の坂を150m位上がった北門のところに 「徳川慶喜終焉の地」 の説明板が立ててあります。
また、北門を入った右手に 「慶喜公屋敷大銀杏」 があり、当時からあったもの とのことです。
説明板を見ると
徳川慶喜は、幕末の動乱のさなか、慶応2年(1866)第十五代将軍となり、翌年大政奉還した。
その後、水戸で謹慎、駿府に隠棲し、明治34 (1901) 年誕生の地である旧水戸屋敷に近いこの地に移り、大正2 (1913) 年急性肺炎のため没した。 享年76歳。 寛永寺墓地に葬られた。
とのことです。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年6月13日
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南斜面にある碑
神田川方面から、高台にある春日通りへ抜ける細い坂道の途中、比較的最近できた国際佛教大学の傍ら、金富小に面したところに碑が建立されています。南方向に面した陽当りのよい坂の斜面は、明治期はまだ見晴らしもよかったであろうことが推測され、ここにあった屋敷で、徳川慶喜が晩年を過ごしたかと思うと、彼の波乱の人生が目に浮かぶようです。
詳細情報をみる
- 行った時期:2015年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年3月7日
桃栗さんねんさん