落合宿本陣
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落合宿本陣址 - 落合宿本陣のクチコミ
歴史ツウ Shotaさん 男性/70代
- 一人
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by Shotaさん(2024年3月16日撮影)
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日本橋から44番目の落合宿、「名前の由来は恵那山に水源を持つ2つの川がここで落ち合うことから来ている。火縄の製造で生計を立てていたいたと言われる。」宿内家数75軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠14軒で宿内人口は370人であった。『広重 英泉 木曽街道六拾九次』
- 行った時期:2024年3月16日
- 投稿日:2024年3月26日
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落合宿本陣の新着クチコミ
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中には入ることができませんでした
馬篭から落合宿までハイキングに行って、落合宿の本陣の前まで来たのですが、残念ながら内部の公開はされていなくて中を見ることはできませんでした。
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- 行った時期:2017年6月12日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2017年11月11日
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落合宿本陣跡
静かな山合の集落の様な主要道の街道にこの落合宿本陣跡があり歴史を感じさせる重厚な門構えの屋敷で、畳の部屋がいくつかありそれぞれ非常時には逃れるため地下へ、天井裏への抜け穴、等色々な仕掛けのあるという、部屋の中ではお琴の演奏会が優雅に?開かれていた、色々なイベントがあったようだが到着時(11時半頃)には、早々と終わっていて残念だった。、ちなみにこの先は木曽路妻籠、馬篭宿へと街道は続く。
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- 行った時期:2017年11月4日
- 投稿日:2017年11月7日
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江戸通期においては大名の投宿、維新後には明治天皇も行幸された本陣
江戸通期においては大名の投宿、維新後には明治天皇も行幸された本陣。加賀100万石の前田藩が寄進した大門など参勤交代における大藩の大名の宿の面影があります。幕末の公武合体運動における将軍家への輿入れで有名な和宮さまが宿泊されたり旧中山道でも高級なVIP級の投宿屋敷であったのがわかります。想像ですがここの宿場以降江戸方面には馬籠から細い街道、屋敷の敷地の無い宿場が多かったので格に対応できる屋敷が無くて多くのVIPがここで一息ついたのだと思います。
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- 行った時期:2016年12月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2017年1月11日
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中津川市街はずれに落合宿場
中央高速道路の落合川を越える朱色の高架橋が見える位置に落合宿があります。ここの宿場の次が有名な馬籠宿となりますが落合はまだぎりぎり田圃などある平地です。ここに1818年以来の木造本陣があって解説には皇女和宮さまが徳川家へ嫁ぐ際に利用されたり、明治天皇が行幸の際にも使われたそうですので地域では格の高い建築物だとわかります。
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- 行った時期:2016年6月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年8月16日
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中津川宿から走って40分くらいです
中津川宿同様に、風情ある建物が点在しています。6時前と朝早すぎることもあって、観光客は全く見当たりませんでした。
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- 行った時期:2016年6月2日
- 投稿日:2016年6月5日