大和街道(三重県伊賀市)
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残るは道標のみ - 大和街道(三重県伊賀市)の口コミ
神社ツウ ぷるぱーとさん 男性/50代
- 一人
大和街道沿いには江戸時代から残るような建築物は見当たらなかった。道標がなければ道順もわからなくなりそうです。
- 行った時期:2018年6月
- 投稿日:2018年7月7日
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大和街道(三重県伊賀市)の新着クチコミ
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関宿から奈良へ抜ける街道
伊賀鉄道の上野市駅の南側を東西に走る大和街道は、東海道の関宿から奈良に抜ける旧街道です。菅原神社の前から真っ直ぐに伸びていました。
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- 行った時期:2021年7月24日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年8月2日
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陽が落ちると雰囲気が出ます
伊賀街道・初瀬街道・伊勢本街道とたどって、津〜伊賀〜松阪を訪問しました。下調べはしていなかったので、どこがこの街道かはよくわかりませんでした。国道163号線農人町交差点から、鍵屋辻を通ったので、ここは大和街道の街道筋で間違いないと思います。やはり特に印象に残ったのは鍵屋辻付近です。暗い時間の訪問だったので、何かが出そうな雰囲気がありました。
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- 行った時期:2019年12月10日
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年6月9日
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旧大和街道沿いの桜並木
伊賀の旧大和街道は、伊賀盆地を東西に横断する柘植川に沿って、伊賀上野と亀山とを連絡していました。旧街道は、現在では農道や地域の生活道路となっていますが、かつての幹線官道だった様子を残している部分があります。
JR関西本線・佐那具駅付近の旧街道は、柘植川に沿いながら、1ヶ所だけでも数百メートルにも及ぶ桜並木が数ヶ所あります。写真は、西之澤地区の桜並木です。詳細情報をみる
- 行った時期:2020年4月5日
- 投稿日:2020年5月14日
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壬申の道
伊賀国を横断していた旧大和街道。特に伊賀上野の東側を通るルートは、江戸時代は加太越奈良道と呼ばれ、東海道・関宿(亀山市)の西の追分で東海道から分岐し、加太峠を越えて伊賀上野城付近に至っていました。
加太越奈良道は「壬申の道(天武の道)」としても知られています。日本書紀には、大海人皇子(後の天武天皇)が壬申の乱に勝利する転機となった街道であったと記されているからです。
大海人皇子が乱を起こすにあたり、后とわずかな従者を連れて大和・吉野離宮を脱出した後、伊賀国に入って初めて数百名の味方を得て勢いが付き、「積殖・山口」付近で休憩をとっていると高市皇子の軍勢も合流し、勝利を確信するに至ったとされます。天武天皇にとって、とても思い出深い街道となったはずなので、壬申の道(天武の道)と呼ばれるのです。
「積殖・山口」は、現在の伊賀市柘植地区で、国道25号線(名阪国道)柘植ICの北側を通る旧街道付近だといわれます。その場所には解説パネルがあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年8月3日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年8月10日
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歴史を感じる
大和街道を歩くことができました。関の西の追分で東海道から分岐して、三重県を抜けて奈良へと続いていて歴史を感じながら歩けます。
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- 行った時期:2018年3月
- 人数:2人
- 投稿日:2018年6月3日
アーキさん