様々園
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
勉強になりました - 様々園のクチコミ
東京ツウ アーキさん 男性/40代
- 一人
様々園に行きました。芭蕉は「さまざまの事思ひ出す 桜かな」の句を詠んで、以後、様々園とよばれるようになったそうです。勉強になりました。
- 行った時期:2018年6月
- 投稿日:2018年6月3日
- このクチコミは参考になりましたか?1はい
アーキさんの他のクチコミ
-
松尾神社
山梨県甲斐市/その他神社・神宮・寺院
蟇股や彫刻などをみると、桃山時代らしい精緻な工芸がすごいと思います。是非見に来ていただきた...
-
青木ケ原樹海
山梨県富士河口湖町(南都留郡)/動物園・植物園
車から離れない範囲で静かに周囲を散策するには素晴らしいスポットです。離れすぎると迷子になり...
-
浅間神社
山梨県笛吹市/その他神社・神宮・寺院
荘厳さというよりはむしろ静寂を感じることができました。素晴らしく静かな神社で落ち着きを与え...
-
シャトレーゼ 白州工場
山梨県北杜市/産業観光施設
工場ラインも素早く動いていたのでどんどん作られていくアイスを見ながら美味しさの秘密がわかっ...
様々園の新着クチコミ
-
塀の外から
個人の私邸だそうで中を伺うのも憚られるのですが、ここで芭蕉は「さまざまの事思ひ出す桜かな」の句を詠んだところから名前がついたそうで、当時の造りなのか塀はかなり傷んでいました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年6月
- 投稿日:2018年7月7日
-
武家屋敷が並ぶ通りにあります
非公開となっていますが、芭蕉翁の足跡をたどる上で大事な役割を果たしている場所です。せめて、どのような場所にあるかは知っておきたいと思い、近くの芭蕉生家で尋ねました。「中には入れないけど、外の通りから眺める分には問題ないよ。」と心やすく教えてもらえましたので、行ってみました。建物は新しいようですが、土塀が往時を物語る雰囲気でした。
芭蕉翁と様々園にまつわる説明をしておきます。俳聖・松尾芭蕉は伊賀上野に生まれましたが、若き頃は藤堂新七郎家(伊賀藤堂藩の侍大将)の嗣子・藤堂良忠に仕えていました。数百メートル離れた生家から、ここにあった新七郎家下屋敷に通っていたのです。
芭蕉(当時は松尾宗房と呼称)と良忠は、ともに京都にいた北村季吟に師事して俳諧の道に入りました。芭蕉は士分ではなかったため、良忠が夭折した後は致仕し、江戸に向かい俳聖となっていきました。「さまざまのこと思い出す桜かな」 元禄元年(1688)、すでに俳聖となっていた芭蕉が、奥の細道の旅に出る一年前、故郷の伊賀の国に帰省した時に詠んだ句です。時に芭蕉45歳。若い頃仕えていた故良忠の子・良長が開いた花見の席に招かれた時に詠んでいます。
良忠に仕えていた頃を「さまざまのこと」として思い出したのでしょう。この句によって、ここは「様々園」と呼ばれるようになりました。また、この句を刻んだ句碑が庭にあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月17日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年11月17日