紫香楽宮跡
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甲賀寺跡という見方が紹介されています - 紫香楽宮跡のクチコミ
三重ツウ こぼらさん 男性/50代
- カップル・夫婦
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紫香楽宮跡ではなく、甲賀寺跡だという新しい見方が示されています。
by こぼらさん(2017年10月14日撮影)
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推定CGを見ると、国分寺様式の伽藍ですね。
by こぼらさん(2017年10月14日撮影)
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礎石図まで明示されているのは珍しい。お寺ですね。
by こぼらさん(2017年10月14日撮影)
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塔の礎石:美濃国分寺と同程度の規模。高さ60m前後だったか。
by こぼらさん(2017年10月14日撮影)
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金堂の礎石:写っているのは金堂礎石の半分です。
by こぼらさん(2017年10月14日撮影)
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僧坊の礎石:ここまで綺麗に残っているのは珍しい。
by こぼらさん(2017年10月14日撮影)
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紫香楽宮跡の入口に、比較的に新しい解説パネルがありました。推定CG画像まで付いています。かいつまんで言えば、ここは紫香楽宮跡ではなく甲賀寺跡だと言うのです。推定CG画像を見ると、確かに山城国分寺のように堂々とした国分寺様式の伽藍です。
さらに解説パネルは、紫香楽宮が廃止された後は、甲賀宮国分寺となっていった可能性を示唆しています。もし本当なら、廃都後の恭仁宮が山城国分寺に造り替えられた事例と似ています。でも、甲賀寺は最初から寺院として建立され、紫香楽宮は別の場所だったとされる点が違います。大仏建立予定地も、ここではなかったようです。解説を読んでショックを受けました。
疑問や興味は尽きないのですが、甲賀宮国分寺跡だと割り切って遺跡を見て回りました。礎石がほぼ完全に残っている事に驚きます。復元図には礎石のレイアウト図まで付いています。他の国分寺跡だと、後の世に、田畑になってしまったり、全然関係の無いお寺が建っていたりして、元通りに礎石が残っていない事が多いのです。
国分寺跡として見るなら、素晴らしい遺跡だと思います。
- 行った時期:2017年10月14日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月18日
- このクチコミは参考になりましたか?5はい
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紫香楽宮址
奈良時代の天平14-17年(742-745年)、聖武天皇が営んだ紫香楽宮(信楽宮/甲賀宮)の関連遺跡群。滋賀県南部、大戸川上流部の小盆地である信楽(紫香楽)に位置する。
詳細情報をみる
- 行った時期:2022年12月25日
- 投稿日:2022年12月29日
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紫香楽宮跡の2019年08月の口コミ
742年、聖武天皇は京都府・木津川で恭仁宮(くにのみや)を造営中だった。同時に恭仁宮から東北への道を開くために離宮を作る。行幸を繰り返し、3年後に首都となり、
743年10月に聖武天皇がここでで盧舎那仏を造営することを発願。12月には恭仁宮の造営を中止して、紫香楽宮の造営が進められるが、天災などにより、完成することなく、東大寺盧舎那仏像建設へと移行され、平城京→恭仁京→難波宮→紫香楽宮→平城京と遷都を繰り返す。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年8月24日
- 投稿日:2019年10月7日
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聖武天皇の夢の跡
新名神高速道路の信楽ICを挟んで、南に礎石の残る甲賀寺跡、北に宮殿跡がありますが、宮殿跡は埋め戻されて水田になっていました。近くに資料室があって、紫香楽宮跡のビデオを見ました。
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- 行った時期:2018年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年11月20日
他2枚の写真をみる
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信楽高原鉄道 紫香楽宮跡駅から
信楽高原鉄道・紫香楽宮跡駅から歩いていきました。
10分ほどのところに「宮跡」がありますが、現在ではここは紫香楽宮の端である「国分寺(甲賀寺)跡」とされ、紫香楽宮の中心部(資料館があります)はさらに歩いて3キロ、30分ほどかかります。
国分寺跡の保存状態は良好で、礎石や間取りなどもよくわかります。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月5日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年11月8日
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滋賀県に「都」があった!!都の跡が見られます
信楽観光の途中で、たまたま案内板が目に入り訪れたのですが、滋賀県に都があったとは驚きました。礎石群が残っていて、礎石図 復原図が書かれたものがあり興味深かったです。周辺は緑豊かで、森林浴にもなりました。
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- 行った時期:2016年9月23日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年11月19日