院庄館跡
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作楽神社の一帯 - 院庄館跡のクチコミ
岡山ツウ しちのすけさん 男性/50代
- カップル・夫婦
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現地の説明板
by しちのすけさん(2017年11月撮影)
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鎌倉時代から室町時代にかけて美作守護職の館があった場所で、現在は作楽神社の境内だ。1332年、後醍醐天皇が隠岐に配流される際、児島高徳が天皇をなぐさめるために桜の幹に「十字の詩」を記して忠誠を表したという伝説の地だ。
- 行った時期:2017年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年2月7日
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軻遇突智さんの院庄館跡のクチコミ
★院庄館跡(児島高徳伝説地)★ 岡山県津山市神戸433
国史跡
・作楽神社境内一帯が院庄館跡として史跡になっている。
・築城年代は不明だが、鎌倉時代初期より美作守護館として存在したと考えられている。
・『太平記』に登場する後醍醐天皇と児島高徳の伝承の地としても有名。
鎌倉幕府打倒のために後醍醐天皇は二度失敗しているのだが、一度、光厳天皇に無理やり譲位させられ隠岐に流されたことがあったのだが、このときに道中、解放しようと土豪児島高徳が隙を窺っていたのだが果たせず、結局、美作守護の館に一泊することになった後醍醐天皇の元に、警備の目を盗み、入り込んだ高徳の忠義の伝説が残されているところなのだ。詳細情報をみる
- 行った時期:2009年2月
- 投稿日:2009年2月9日