回天訓練基地跡
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
人間魚雷「回天」の訓練地 - 回天訓練基地跡のクチコミ
東京ツウ あおしさん 男性/50代
- 一人
-
訓練場へのトンネル
by あおしさん(2019年4月29日撮影)
いいね 2 -
説明板
by あおしさん(2019年4月29日撮影)
いいね 3 -
今は廃墟のような訓練場
by あおしさん(2019年4月29日撮影)
いいね 0
「回天」資料館からやや離れた海沿いにあります。
ここで「回天」を操縦するための訓練が行われたそうです。
まず回天資料館で予備知識を勉強してからここに来るといいでしょう。
市川海老蔵さん主演の「出口のない海」のロケもここで行われていました。
- 行った時期:2019年4月29日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年5月17日
- このクチコミは参考になりましたか?2はい
あおしさんの他のクチコミ
回天訓練基地跡の新着クチコミ
-
釣りの穴場
観光客も多いですが、釣り人もいます。僕が行った時はイカが釣れてました。現在残ってる建物は魚雷の発射跡地です。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年9月16日
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年3月21日
-
魚雷発射試験場に端を発します。
大津島馬島港の反対側にある回天訓練場跡は、昭和14(1939)年に93式酸素魚雷の発射試験場として造られたものが転用されたものです。元々酸素魚雷とは気泡航跡を残さない魚雷として日本海軍が開発したもので、連合国を恐れさせた武器のひとつとされていました。
その魚雷を操縦し、敵艦に突っ込んでいくという『特攻兵器』こそが回天です。特殊潜航艇要員だった黒木博司機関大尉と仁科関男中尉が発案し、上層部に掛け合うも『必ず死ぬ』兵器は長く認められませんでした。しかし戦況の悪化とともに次第に軍令部も『特攻』を認猿を得なくなり、回天が作られて搭乗員の訓練がこの大津島でも行われるようになりました。
いくら優秀な武器だからと言って、それを搭乗員が操縦できるようにしたものゆえ、訓練中の事故や、目的艦に辿り着かずに撃沈される艇も多くあり、多くの若者が殉死・戦死によって尊い命を失いました。
間違っても生きて帰れない特攻兵器には、平和ボケしており私にとって『賛同できかねる』考えが多々あります。しかし『お国のため』という時代背景において、若くして散って逝った若き兵士たちが、その青春をかけて訓練をした場所の名前を誤記すること自体に問題があるようにも思えてなりません。
奇麗な景色を眺めながら70余年前にこの地で人間魚雷回天の操縦訓練が行われていたという事実は、もっと重く考えられなければならないことだと思います。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年5月10日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年5月11日
-
人間魚雷…
人間魚雷回天の訓練基地の跡地です。上から海底をのぞき込むと、少しばかりぞっとしますが、今の平和を再認識できる場所ですね。
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:2〜3時間
- 投稿日:2017年8月5日
-
歴史
昔この地に回天の訓練基地があったそうです。この地に行って実際に訪れてみると、平和であることに感謝しました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2015年5月
- 投稿日:2017年3月11日
-
人間魚雷「回天」の基地の跡地
全国に4か所残っている発射場の1つです。発射される場所は底が深く、どれほど怖かっただろうかと思います。戦争の悲惨さを風化させないためにも、ずっとずっと守っていくべき施設です。
詳細情報をみる
- 行った時期:2016年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月5日