黎明之塔
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丘の上に - 黎明之塔のクチコミ
神奈川ツウ ちゃたろうさん 女性/40代
- カップル・夫婦
沖縄南部の摩文仁の丘の奥の方、階段の上にありました。沖縄戦での軍司令官と参謀長がまつられているそうです。ここで自決をしたそうで、かなしい場所なことを感じました。
- 行った時期:2017年9月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月10日
- このクチコミは参考になりましたか?3はい
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黎明之塔
第32軍司令官牛島中将自決の地の丘の上に建立されている慰霊塔です。塔の脇から階段を下って行くと最後に司令部があった洞窟の入口まで行けます。
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- 行った時期:2022年3月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2023年12月25日
のりゆきさん
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摩文仁の丘の頂上に建立されている慰霊塔です。
沖縄戦に於ける戦没者慰霊碑が数多く建立されている沖縄県営平和祈念公園の摩文仁の丘。当時八五高地と呼ばれたこの丘の頂上に一際目を引く大きな塔が黎明之塔になります。
沖縄守備第三十二軍司令官牛島満大将と参謀長長勇中将は、沖縄戦の終焉が近い昭和20(1945)年6月23日(22日説あり)未明に塔に程近い司令部壕で自決され、それにより日本軍の組織抵抗は終焉を迎えました。
一連の過程に於ける解釈は今なお様々あり、司令官の降伏を許さず最後まで徹底抗戦することを訓示して自決したことにより、降伏できずに多くの犠牲者を出した史実は事実ではあります。しかしそれだけとは言い切れないところもあり、集合体としての組織が崩壊してしまったことに尽きると思えてなりません。悪い意味に捉えられがちな軍隊ではあれど、隊長命令に従えば良いというところはあったに違いありません。学徒隊の犠牲者にしても当てはまるところがあり、もし解散命令を出すタイミングをずらせば結果が変わると判断ができる隊長や指導者がいればどうなったか?変えられるものではないにしろ実例があるだけにやるせない気持ちになります。
またこの黎明之塔ですが、都道府県別慰霊碑よりも早くなおかつ立派で、なによりも平和の礎を見下ろすように建立されていることから、バッシングの標的になることが多いと聞きます。実際に訪れても立地には違和感は感じるものの、ただうわべだけの判断で全てを語ることは解決策には繋がらないでしょう。
史実を直視しどうすれば結果が変わっていたか?また変えられたかといった?史実?に基づく建設的な意見を組み立てることこそが、未来を変えることに繋がるのではないでしょうか?そう思えてなりません。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年5月31日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年6月3日
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平和祈念公園内の丘陵地
摩文仁の丘にある全国から沖縄を守った部隊の慰霊碑です。この地を米軍に堕とされ沖縄戦が終了した事を考えると守れなかった皇軍の悔しさまで伝わってきます。この地や海軍司令部壕については沖縄を守った兵隊さんに対する感謝の心がストレートに伝わる場所です。
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- 行った時期:2017年7月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2017年8月13日
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摩文仁の丘に建つ碑です
沖縄の地に旧軍の顕彰碑が建っている事に驚きと嬉しさを感じます。旧軍は全て悪のように喧伝する雰囲気を一掃してくれる昭和時代の沖縄の方々に感謝です。反日の運動体の連中はこれを見て本来の沖縄の方々の優しさを感じて反省するべきです。
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- 行った時期:2016年12月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年2月5日
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平和祈念公園内の古い慰霊碑
昭和27年の建立ですので日本への返還前の米施政下において旧軍司令官以下の慰霊碑を建てる事は施政側の米軍とすれば強い抵抗があったと思われますが実現できたのは、被支配者側で弱い立場であったはずの地元沖縄の方々の強い意思があったのだと感じました。終戦まもない頃の戦災を実際に知る沖縄の方々の旧軍に対する感情は明らかにポジティブであったようです。戦争を知らぬ70年後の人々がこの碑の意義とは真逆なネガティブな思想に染められているのは当時の民衆への裏切りだと感じます。
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- 行った時期:2016年10月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年11月26日