こぼらさんの鳥取県〜岡山県の旅行記

残雪の大山〜皆生温泉
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大山を訪れたのは四半世紀ぶりでした。昔は米子自動車道が全通しておらず、大山に行くには国道9号線を使うしかなく、北側からの眺めしか知りませんでした。今回初めて大山を西や南から見ることができ、見る方向によって大きく姿が変わる事を知りました。 大山寺周辺を見て回った後は、皆生温泉の東光園に移動しました。宿泊は格安なビジネスホテルにしていたので、夕飯と入浴を楽しめるように、ディナービュッフェと温泉入浴がセットされた東光園の日帰りプランを予約していました。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代
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- 1日目2019年4月13日(土)
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岡山県側にある蒜山高原サービスエリア(下り)は、その名称に似合わず、鳥取県側にある大山の眺めが良い場所になっています。写真のように、大山を背景に記念撮影するためのゲートがあります。 ちなみに、蒜山と蒜山高原の眺めが良いのは上り側SAです。
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米子自動車道(下り)の蒜山高原サービスエリアで、初めて大山を南東方向から見ました。大山の手前に赤い屋根の建物が見えていますが、こちらは上り側の蒜山高原サービスエリアです。上り側と下り側とは、さほど離れていませんが見える景色が案外違います。下り側は大山がよく見え、上り側は蒜山と蒜山高原の眺望が良いです。
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米子自動車道・溝口インターチェンジで下りて、大山まきばみるくの里へ向かっている途中、大山を西側から眺めることができました。蒜山高原サービスエリアから見ていた大山とは全く違った姿で、まるで富士山のようです。運良く快晴で、このあたりは桜も満開直前でしたので、優美な大山を見ることができました。
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ここのソフトクリームは有名なので、最優先で寄りました。ミルクや乳製品も豊富に販売されています。洋食のレストランもあります。 快晴だったので、大山を間近に鮮明に見る事ができました。西側からの姿です。伯耆富士と呼ばれるだけあって、富士の裾野にいるような感じです。大山まきばみるくの里の標高は600m余りだそうで、少しひんやりとした空気に触れられました。
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これが大山まきばみるくの里名物のソフトクリーム。私たちは、これが楽しみで、ここにやってきました。ベンチに腰掛けて、日本海を見ながら頂きました。もっちりしていて、とても美味しかった。周囲は牛の臭いがしていましたが、牧場なのですから仕方ないです。 ソフトクリームの美味しさは、白バラ牛乳で有名な大山乳業農業協同組合が供給する牛乳をたっぷり使っているからだそうです。白バラ牛乳が大山乳業というのは知っていましたが、「おおやま」ではなくて、ここ大山に本拠地を置く事業団体だったのですね。あらためて知りました。
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大山の西側にある「まきばみるくの里」から、大山の北西にある大山寺に行くには、標高900m超の尾根を越えます。「まきばみるくの里」よりも、高い所では300m程度標高が上がる峠道なので気温が下がり、道脇には雪が残っていました。尾根を越えると下り道となり、標高にして200mほど降りると大山寺や大山登山口があるエリアとなります。 このあたりでは、大きな駐車場は大山ナショナルパークセンターにしかありません。写真の右手がパークセンターで、左手の広場が駐車場です。無料で駐車できます。
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大山ナショナルパークセンターに駐車して、通り向かいにある観光案内所に行きました。大山のまわりをドライブした事はありますが、大山寺を訪れるのは初めてで、詳細なマップが欲しかったのです。
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大山に来て気付いたのは、外国からの観光客が多い事です。英語・フランス語・中国語・ポルトガル語の会話が聞こえました。観光案内所でも、帰りのバスや鉄道の乗り継ぎ時刻について英語で質問している観光客がいました。スタッフの方が淡々と英語で受け答えしているのを傍で聴いていて、自分だったらこうはできないなと感心しました。 お目当てだった大山寺界隈の詳細な散策マップは、意外なことに置いてありませんでした。大ざっぱな地図はありましたが。
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大山寺界隈は標高が高いせいか、けっこう肌寒く、まずは足湯で暖まろうと思っていました。残念なことに冬期閉鎖中でした。4月下旬にオープンするようです。2週間ほど来るのが早すぎました。
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火の神岳温泉足湯の斜め前に、「豪円湯院」という日帰り温泉がありました。鳥取県では、最も標高が高い場所にある温泉施設なのだそうです。 足湯を利用できなかったので、ここで湯に浸かろうか迷いました。もう正午を過ぎているし、これから大山寺界隈を数時間かけて歩き回るため見送りました。 口コミによれば、浴室は神秘的な雰囲気の仕上げで、泉質もとても良いとのことですから、是非とも再訪して楽しみたいです。
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大山ナショナルパークのすぐ近くには、大山自然歴史館や大山町観光案内所があり、参道の入口には足湯も日帰り温泉もあります。参道を歩き始めて、日帰り温泉を過ぎるとすぐに左手に見えてくるのが大山参道市場です。ゴルフ場のクラブハウスのような建物で、参道の他の店とは雰囲気が違い目立っています。つい足を向けてしまいます。
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大山参道市場の中の様子。土産物売り場がメインになっていました。売り場に隣接して、焼きたてパンやハンバーガーが食べられるカフェがありました。カフェ利用は別として、お土産を購入すると荷物が増えますので、大山寺参拝や大山登山を終えてから寄るのがいいでしょう。
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温泉や大山参道市場を通り過ぎ、大山寺山門へ向かう参道をまっすぐ歩きます。ちなみに、この場所の標高は750mほどです。周囲の建物の様子を見ると、真冬は結構な積雪量がありそうです。
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参道を振り返ってみました。右手前が大山参道市場で、その奥に日帰り温泉施設の建物が見えます。通りをはさんで左手に松並木が見えています。現在の参道に比べて、古来からの参道が狭かったことがわかります。大山の松並木は、地面が舗装され車の往来が多くなったので根が圧迫され、枯死が増えてきているそうです。 ちなみに、松並木の左に足湯がありました。
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参道を進むと、大山寺山門の手前右に大山寺宝物館霊宝閣が見えてきます。玄関先に置かれた梵鐘が印象的です。重要文化財の仏像などが展示されています。 入館料は大山寺参拝志納金と合わせて300円となっています。ここで参拝志納金を納めて、先に霊宝閣を観覧してから大山寺に参拝するのが本来の順序のようです。私たちは事情がわからなかったので、大山寺拝観料とは別料金が必要な博物館だと考え、後で訪れることにしました。写真の通り入口が真っ暗で、休館日かもしれないとも思っていました。
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大山寺宝物館を過ぎると大山寺の山門が迫ってきます。手前右手に、玉垣に囲まれた碑があります。「信濃坊源盛碑」と表示されています。南北朝争乱の時代に、後醍醐天皇に味方して戦った英雄・信濃坊源盛を顕彰する碑でした。 信濃坊源盛は、同じく南朝の勇将であった名和長年の弟。名和長年は、配流先の隠岐を脱出した後醍醐天皇を助け奉じ、険しい船上山に陣取って鎌倉幕府軍と戦った事で知られる武将です。弟の源盛は大山寺の別当(管理者)でしたが、寺の僧兵数十名を率いて船上山にいた名和長年に合流し、全国各地を転戦しました。 明治以降、後醍醐天皇を支えて殉じた武将たちを再評価する機運が昂まり、大山寺出身の忠臣として源盛の碑が建立されたのです。建立にあたっては、大山寺座主を歴代勤めた宮家の下賜金があったそうです。
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源盛碑の前で参道は分岐します。まっすぐ進めば大山寺の山門に至る石段に、左に進むと大神山神社奥宮の鳥居に向かいます。どちらに行けばよいのか迷ってしまいますが、これは明治初期の神仏分離令の名残とのこと。江戸時代末期までは、大神山神社奥宮が大山寺の本殿で、今の本堂は大日堂だったとのこと。もともとは同じ大山寺だったのです。だから参道は大神山神社奥宮に続いているのです。 どちらを先に訪れても問題がなさそうなので、ひとまずは大山寺に向かいました。 大山寺の入山受付は、珍しいことに山門の中に設けられています。入山料は、参拝志納金として300円です。大山寺宝物館霊宝閣の入館料が含まれています。
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山門をくぐり境内参道に入りました。別格本山・角磐山大山寺と刻まれた碑がありました。天台宗の別格本山です。石段を上がって左側に見えているのは本坊です。 石段を上がる途中、右手に大山北壁の頂上付近が垣間見えました。
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本坊の様子です。お寺なのに神社のような狛犬があると思いきや、狐の像でした。本坊でありながらも、十一面観音像を祀る参拝堂でもあります。 大山寺は山岳信仰による修験道場として始まり、神仏習合によって寺院となった経緯があるので、こうした事もありえるのでしょう。
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大山寺の本堂。 昭和3年に焼失しましたが、昭和26年に再建されたものです。本尊は地蔵菩薩像です。 大山寺は山岳信仰に帰依する修験行者たちの修行場として始まったので、大山を御神体(大山権現)としていましたが、神仏習合によって地蔵菩薩を本尊とする寺院になったのです。 朱塗りの扉によって、外国の寺院のようにも神社の社殿のようにも見えます。神仏習合の経緯を感じさせてくれます。 天台宗の別格本山であるのに、境内の建物は本堂・本坊・護摩堂・山門しか見当たりません。この本堂も、かつて大日堂があった場所に立っています。もともとの本堂は、現在の大神山神社奥宮の社殿でしたが、明治初期の神仏分離令によって寺の規模が大幅に縮小されてしまい、本堂はここに遷された経緯があったのです。 最盛期の大山寺は、100を超える支院と3000人以上の僧兵を擁していたといいます。比叡山・吉野山・高野山にも劣らないほどだったそうです。寺域も現在の数倍広かったのでしょう。
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大山寺参拝を終えて、山門前に戻ってきました。山門の前で、石畳の参道は左に曲がります。その先に灯籠と鳥居があり、大神山神社奥宮に通じています。 石畳の参道を進むと、あちこちに見所が設けられています。写真に写っている範囲内だけでも3つほどの見所があります。
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大神山神社奥宮の一之鳥居をくぐると、すぐ右手に地蔵像が見えてきます。この像は、木曽義仲を追討した宇治川の戦いで、梶原景季との先陣争いに勝った事で知られる武将・佐々木高綱の等身大地蔵像です。武運が強かった高綱にあやかり、勝負事の前に勝利祈願に訪れる人が多いそうです。 なぜ大神山神社奥宮に通じる参道脇に佐々木高綱に因む像があるかというと、ちょっと長い説明が必要になります。高綱は、宇治の先陣争いに勝利した手柄により山陰道7ヶ国の守護に任ぜられました。しかし赴任の旅で大病を患ってしまい、大山寺の本尊(今の大神山神社奥宮にあった)の地蔵菩薩に平癒を祈ったところ、病が全快しました。そのお礼として、高綱は自身の身の丈と同じ高さの地蔵像を寄進したというものです。
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大神山神社奥宮の一之鳥居を通り過ぎると、参道に小さな石橋が見えてきます。解説には「この橋の裏には金剛経が刻んであり、この橋を渡ると一切の罪障が消滅する」とのこと。 参道を横切る川があるようには見えないので、この橋の下は貯水槽になっているのかなと思います。雨や雪解けの時に、石畳参道の側溝を伝ってきた水は、一旦ここに集められるのでしょう。橋の下は見えず、外光も射し込まないので、無明と呼ばれるのだと考えます。
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和合の岩
「無明の橋」の隣にあります。杉の老木と岩が、不思議なくらいに自然に調和している事から、良縁を求める人・夫婦仲や舅姑との仲に悩む人は、ここに祈ると願いが叶うといわれています。絶妙な絡みつき方ですね。
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大神山神社の参道は、約700mにもわたり自然石が敷き詰められています。自然石だけを用いた参道としては国内最長とのことです。見応えはありますが、自然石を使っているため起伏や凸凹が大きく、歩きづらいです。
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大神山神社に向かう石畳の参道両脇には整然とした石垣が連なっています。これは石塀ではありません。大神山神社が大山寺の本堂だった時代、支院や僧坊が並び立っていた石垣の跡なのです。でも、そんなに遠い昔の事ではありません。明治初期に神仏分離令が出されるまでは、この辺り一帯が大山寺境内だったのです。 今は神社である事を示す二之鳥居がありますが、この鳥居は昭和37年に建立されています。東京オリンピックの2年前でした。神社として定着したのは最近の事なのです。 この辺りは標高が800mを超しています。それほど高い場所に、石垣を積み上げ、参道に敷き詰めるだけの石を運び上げるのは大変な事だったでしょう。それほどに、全盛期の大山寺には力があったのでしょう。
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参道は神社の手前で左に緩やかに曲がります。すると視界が開けて、幅の広い石段と山門らしき建物が見えてきます。大神山神社奥宮の三之鳥居に相当する神門です。重要文化財です。 神仏習合によって発展してきた大山寺の本殿であった経歴を持つ、大神山神社奥宮らしい景観です。 門の表裏が逆さまになっているので「後向き門」とも「逆門」とも呼ばれます。表裏が逆さまになっているのは、一度移築されているからです。
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扉が奥に取り付けられていますので、門の表裏が逆さまであることが確認できます。どうして、逆さまに移築したのかを考えてみました。 かつて神社の隣に大山寺本坊・西楽院があり、歴代座主として宮様を迎えていましたが、その御成門だったのがこの門です。神仏分離令によって、この御成門は神社に譲られ、神門として移築されたのです。想像ですが、神社の三之鳥居であると同時に、大山寺の裏門としたのではないでしょうか。裏門ならば、表裏が逆さまになりますよね。
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大神山神社奥宮の社殿。全国最大級の壮大な権現造りで、国の重要文化財に指定されています。明治初期までは、この社殿が大山寺の本殿でした。当時は、御本尊の地蔵菩薩像はここに安置されていたのです。もともと神仏習合によって、大山(御神体)=大山権現=地蔵権現=地蔵菩薩=大智明菩薩という解釈がされていましたが、あらためて神社には大智明権現が祀られ、大山寺の本尊は地蔵菩薩となったのです。 経過はともあれ、今の神社の境内はとても神々しい雰囲気が漂っています。大山北壁がすぐ近くに見えるからでしょう。
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社殿の裏庭を見ています。まだ雪が残っていました。写真右側が長廊、中央が拝殿、左手が神殿です。ずいぶん奥行きのある拝殿です。
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大神山神社奥宮社殿の裏庭に、群生とは言えないものの、ダイセンキャラボクが保護されている場所がありました。日本固有のキャラボクで、天然記念物に指定されています。低木で雪に強いそうです。 大山の8合目(標高1,600m)付近から頂上にかけての北西傾斜面には、ダイセンキャラボクの群落が広がっているそうです。今回、大山登山はしなかったので群落は見られないので、ここでの観察となりました。高山性の樹木なので、地面に這うような生え方をするのでしょう。
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大神山神社奥宮の西側に鎮座する下山神社。津和野藩主、亀井公の寄進によって建立されました。
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大神山神社奥宮からの帰り道、参道の左手に金門へ向かう横道を見つけました。少し上がった後に、割と急な坂道を下る100mほどの道でした。少々足元が悪いので「僧兵コース」と呼ばれています。 到着すると河原に出ました。佐陀川の畔なのですが、右手に巨大な岩盤をV字に切ったかように見える峡谷が見えます。これが金門です。荒涼としながらも荘厳で神秘的な雰囲気が漂い、単に峡谷と表現するのが憚られます。 金門の下流側から峡谷を見ると大山北壁を垣間見ることができることから、御神体である大山に通じる門(禁門)としてみなされた事が名前の由来です。山岳修行者や僧兵たちが修行に励んだ場所になっていたようです。
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金門の上流側にあります。賽の河原というと、死者が渡る三途の川を連想し、何となく怖いイメージを持っていました。行ってみると、河原に石積みがあり、伝説の三途の川そのものだなと思いました。 でも地元の人たちは、ここの賽の河原の石積みについて、あっけらかんとドイツ語風に「ケルン」と呼んでいます。賽の河原も、峻厳な大山北壁が眼前に広がる絶好のビューポイントとして解説しています。そういえばヨーロッパのアルプスのビューポイントにも、似た石積みがある写真を見たことがあります。 このあたりが荒涼としながらも神秘的な雰囲気がする場所なので、「賽の河原」と呼ばれるようになったのです。
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賽の河原の上流側に少し移動すると、大山の北壁が眼前に迫って見えました。西側から見ると富士山のように見えたのに、北壁はアルプスのような荘厳なたたずまいとなります。まだまだ雪が多く残っていて、金門付近も肌寒かった。桜も開花はまだまだ先という感じでした。 荘厳な大山北壁を背景に、荒涼とした河原を見ていると、現世に居るとは思えない気がしてきました。賽の河原という名称に納得。
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賽の河原の上流には、いくつかの砂防ダムがあります。河原を上流方向に100mほど歩き、二つ目の砂防ダムの上に立つだけで大山北壁はさらに迫力を増して迫ってくるような感じがしました。こうした姿は、西側のスロープを歩く登山では見られないことでしょう。北壁を冬場に登るのは無理そうです。
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南光河原は、佐陀川の河原ですが、金門より下流に広がる河原を指すようです。 金門や賽の河原がある場所から歩いて下流の方へ行くこともできそうですが、峡谷(金門)の間を通り抜けなくてはなりません。峡谷には大きな岩が転がっていますし、川の水も流れていますので、歩いて通り抜ける気にはなりませんでした。いったん石畳の参道まで戻り、大山寺本堂の横の下り道を使って河原に下ると、金門下流側の南光河原が見えてきます。賽の河原の逆方向から金門を見ることになります。
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大山寺に因む重要文化財が少なからず展示されています。大山寺と大神山神社の参拝を終えた帰り道に寄りました。この宝物館の入館料は、大山寺の入山料に含まれています。 建物の背景に大山が見えていました。大山を北西方向から見る事になり、右手に富士山の裾野のようなスロープが、左手はアルプスのように峻厳な北壁が見えています。
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入口を入ると真っ暗で受付にも誰もおらず、閉館日かと思いましたが、左手の展示室だけ照明が点いていたので入ってみました。白鳳時代の仏像など、国の重要文化財と表示されている展示物がいくつかありました。レプリカかと思いきや、後で調べると本物でした。
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展示されていた寺宝の中で特に印象的だったのが、役行者・小角の像でした。古刹・名刹を訪れると小角像を見かける事がありますが、堂や厨子の奥に祀られていて間近には見られない場合が多いのです。ここでは、ガラス越しではありますが、至近距離から見る事ができます。 大山は山岳信仰の修験場であったのが起源ですから、役行者・小角が開山したと伝わります。真偽のほどはわかりませんが、奈良・和歌山・三重だけでなく、大山にまで深く関わっていた役行者・小角は神秘に満ちた人物です。
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こもれび館大山の森
大山町(西伯郡)
複合施設です。今は「KOMOREBITO(こもれびと)」と呼ばれているようです。1階に大山町観光案内所があり、2階に「SUNSET CAFE」があります。私たちは、大山寺界隈を散策する前に1階の観光案内所に寄り、戻ってきた時に2階のカフェを利用しました。
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大山寺界隈は、まだまだ肌寒かったので、温かい飲み物が欲しかった。カフェオレを、カフェ「SUNSET CAFE」で頂きました。少々ぬるかったのが残念でした。
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無料で入館できます。大山に生息している動植物を紹介している部屋は、明るく鮮やかな空間に仕上げられていました。動物の剥製が多数展示されていますが、余り暗い気分にはならずに済みます。
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大山が形成されたプロセスを、地学的に解説してくれるプロジェクションムービーが結構見応えがありました。四季によって表情が変わる大山を立体的に見る事もできます。スクリーンの前に、大山を立体的に表現した模型があり、これにもプロジェクターが色や映像を投影してくれるので、四季折々の桜や新緑、紅葉に染め上げられる大山を臨場感たっぷりに見ることができました。
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大山寺や大神山神社奥宮は佐陀川の北岸にあります。全盛期の大山寺は佐陀川の南岸にも多くの支院を有していました。これを見るために、橋を渡って南岸側に移動しました。大山環状道路に「阿弥陀堂・圓流院」という表示があり、狭い坂道を上がると駐車場がありました。そこから洞明院と圓流院、そして阿弥陀堂へ歩いて行けるようになっています。 洞明院は、佐陀川の南岸に残る数少ない大山寺支院の一つです。ただし、個人宅なのか現役のお寺なのかわからない感じで、山門をくぐるのをためらいました。でも、立派な石垣と石段を備えています。 この後に行った阿弥陀堂の参道脇には、かつて立ち並んでいた支院を彷彿とさせる石垣や跡地があります。洞明院の塀や石垣そして山門前の石段の様子を見ておくと、阿弥陀堂参道脇にある支院跡の、往時の姿が想像しやすいです。
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大山寺阿弥陀堂に向かう参道の両脇に、立派な石垣のある寺の跡地がありました。さっき見た洞明院の門前の様子に似ています。かつては立派な大山寺支院の塀や門が立ち並んでいたのだろうと思います。同じような景色を湖東三山でも見たことがあります。湖東三山の場合は、織田信長の焼き討ちによるものでした。 大山寺では、明治初期の廃仏毀釈令によって、多くの支院が取り壊されたようです。
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参道を上っていくと、杉木立の間から阿弥陀堂が姿を現します。宝珠を頂いた、こけら葺き屋根の景観が素晴らしいです。 佐陀川の両岸に展開していた大山寺の多数の支院のうち、南岸側の中心的存在であった西明院で最も高い場所にあったのが阿弥陀堂です。阿弥陀堂に至る参道の両脇に、多数の支院を従えていました。
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大山寺を天台宗に改宗させた、平安時代の高僧・円仁(慈覚大師)が創建した常行堂です。宝形造(上から見ると正方形)の端正な堂です。組み物の造りを見ると、鎌倉〜室町時代の様式を感じます。 当初の建物は16世紀前半に山津波で倒壊し、1552年に再建されています。室町時代末期なので、大山寺に現存する寺院の中では最古の建築物になります。国の重要文化財に指定されています。 本尊は、1131年に大仏師良円によって造営されたと言われる丈六(2.79メートル)の木造阿弥陀如来で、これも重要文化財。
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阿弥陀堂の傍にあります。基好(きこう)上人は、約850年前に天台宗・大山寺の高僧として活躍した人です。 大山の山麓は、牛馬の放牧や蕎麦の栽培が盛んな地域ですが、基好上人が奨励した事が始まりなのだそうです。最盛期には僧兵を3000名も擁していたと言われる大山寺のこと、僧侶と兵馬を養うためには様々な経営的才覚も必要だったようです。 基好上人の高名な弟子に、臨済宗の祖といわれる栄西がいると解説パネルに書かれていました。基好上人は、栄西に天台密教を授けたほどに優れた学僧だったようです。天台宗の優れた学僧であるだけでなく、優秀な経営者・政治家でもあったのでしょう。
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大山道の並木松は天然記念物に指定されています。かつて大山道には一町ごとに道標として松が植えられました。古いものは慶長年間に植えられたそうです。 大山寺への参詣道は「大山道」と呼ばれ、五道あったようです。私たちは、来る時に溝口ルートを、帰りに坊領ルートを使いました。植え替えがなされているようで、樹齢100年未満のものが多かった。
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東光園は、皆生温泉の老舗ホテルの一つです。人気があるようで、この日は宿泊したくても空きがありませんでした。宿泊はできませんでしたが、東光園の定評あるディナービュッフェと温泉入浴がセットになった日帰りプランを利用することにしました。プランの名前は「自然の恵みディナービュッフェ」。宿泊客と同じ料理を食せるのが魅力です。
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山陰の名湯の一つ、皆生温泉。老舗ホテル・東光園の、ディナービュッフェ&温泉入浴がセットになった日帰りプランを利用しました。ディナービュッフェ会場からは美保湾の眺めが素晴らしかった。 東光園には2つの源泉があります。屋内大浴場は皆生温泉特有のしょっぱい湯で、露天風呂は東光園が独自に掘り当てた弱アルカリ温泉となっています。皆生温泉のしょっぱい湯は、デトックス効果があると言われます。湯に浸かっていると、手のひらにシワが出てきました。湯の塩分が、皮膚の水分を吸い取っているのでしょう。入浴後に水分を取れば、確かにデトックスになりそうです。 東光園独自の弱アルカリ温泉は、くせがなく浸かりやすい湯でした。露天風呂は、建物に囲まれていて景色が楽しめなかったのは、少し残念でした。
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私たちの山陰旅行の主目的は玉造温泉で、早めに玉造に着くために米子で前泊する計画にしていました。前泊する米子の宿がビジネスホテル然としている事がわかり、観光気分を盛り上げるために東光園の「自然の恵みディナービュッフェ」をじゃらんで見つけて予約しておきました。ディナービュッフェと温泉入浴がセットになった日帰りプランです。このもくろみは大正解でした。 ビュッフェは「自然の恵み」というだけあって、地元で採れた野菜やしじみが用いられた料理が多く、しかも素材の持ち味を活かした味付けになっていて、とても美味しかった。汁物も豊富で、豚汁・しじみ汁・味噌汁どれもおいしい。さらに、ビュッフェでシチューが味わえたのも珍しかった。 デザートも充実していました。グレープフルーツ、コーヒーゼリー、プリン、プチケーキ、白玉ぜんざいなど、どれもおいしくて満足できました。食後に皆生温泉の湯に浸かって、長距離運転の疲れを癒せました。 あとは米子のビジネスホテルに戻り、寝るだけでした。宿泊も東光園にしておけば良かったと思います。
- 2日目2019年4月14日(日)
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米子駅の近くにあります。エントランスからフロントに行くには、エスカレータを使って地階に下ります。エントランスからフロントを見下ろすと、とても豪華な雰囲気です。左手にレストランがあります。 実態はエコノミーなビジネスホテルです。夕食・朝食が無料サービスで付き、大浴場を備えていながら宿泊費は格安でした。 宿泊内容に高望みをしなければ、コストパフォーマンスが最高レベルの宿でした。
残雪の大山〜皆生温泉
1日目の旅ルート
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