観月庵
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観月庵の口コミ一覧
1 - 2件 (全2件中)
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- 一人
幕末の戊辰戦争で官軍に敗れた天童織田藩の家老吉田大八がその責を一身に負って自刃した場所だそうです。その血は天井まで染めたと案内板に書かれています。- 行った時期:2017年3月20日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年4月7日
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- 家族
「観月庵:織田信長の子信雄を祖とする天童織田藩は、天保二年(1831)から維新までこの地にあった。幕末の頃、戊辰戦争という大変革の中で、天童織田藩は官軍(新政権)による奥羽鎮撫使先導役を命ぜられ、幼少の藩主に代わって家老の吉田大八が役目を行った。しかし、奥羽の情勢が一変し官軍に対抗する奥羽列藩同盟に参加することになったために、大八は藩の責任を一身に負い、慶応四年(1868)観月庵において自刃した。その折、大八の血が天井まで染めたと伝えられ多数の資料とともに保存されている。」(昭和63年10月 天童市教育委員会設置、現地解説より)
写真:2014年8月撮影)<よっちん東北散策2014夏その75>天童・妙法寺「観月庵」- 行った時期:2014年8月
- 家族の内訳:お子様、配偶者
- 子どもの年齢:13歳以上
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2015年3月21日
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