間宮林蔵渡樺出港の地
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歴史の1ページ - 間宮林蔵渡樺出港の地のクチコミ
グルメツウ ウーマロさん 男性/30代
- 一人
1808年、幕府の命令を受けて樺太に渡って調査を行い、樺太が島であることを明らかにしました。
このとき船出した海岸には出発記念の碑が建っています。
- 行った時期:2015年6月
- 投稿日:2017年4月3日
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間宮林蔵渡樺出港の地の新着クチコミ
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宗谷岬の近くにあります
稚内市街から宗谷岬に向かう途中にあります。宗谷岬の手前3キロほどの地点です。樺太探険出航に先立って、間宮林蔵自らが建てたという事です。吹きつける風の強さが印象に残っています。
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- 行った時期:2019年6月
- 投稿日:2019年7月14日
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感慨深い
幕府の命を受けた間宮林蔵が樺太の探査へここから旅立ったことの記念碑です。当時は北海道でさえ鬱蒼としたジャングルのような場所だったにもかかわらず、さらに樺太までとは大変な決意だったと思われます。間宮海峡と名付けられた海を感慨深く眺めました。
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- 行った時期:2018年6月19日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年9月6日
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ひっそりとした浜辺
宗谷岬の手前のカーブのところに、石碑がいくつか建っています。
国道からそれて駐車スペースに車を停め、近くに行ってみると、間宮林蔵関係のものでした。
江戸時代にこの場所から樺太探検に出発したのだそうで。
ここは港などではなく、ただの浜辺なので、数人乗りの小舟程度しか停泊できなかったでしょうから、命がけの探検だったことと思われます。
今は石碑がひっそりとたたずんでいるだけでした。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年7月23日
-
わかりづらい
稚内から宗谷岬へ行く途中にありますが 間宮林蔵の事を北方記念館で勉強していったのでなんとか場所もわかりましたが よっぽど気を付けて行かないと通り過ぎてしまうかもしれません。碑はひっそりとたたずんでおられましたが誰もいませんでした。その分ゆっくり見れました。
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- 行った時期:2016年8月
- 投稿日:2017年6月9日
-
りんりんさんの間宮林蔵 渡樺出港の地のクチコミ
ここから小さな船で間宮林蔵が樺太めざして旅立った。今のようにGPSもない時代、大変な苦労があったのだろうと思うと胸熱。バイクなら碑の前で写真撮影可能なスペースがあります。司馬遼太郎『街道をゆく』シリーズの‘オホーツク街道’を読んでから行くと感動が増すと思います。
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- 行った時期:2013年9月23日
- 投稿日:2013年10月20日