伊能忠敬旧宅
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忠敬の住居兼店舗 - 伊能忠敬旧宅のクチコミ
アキさん 女性/30代
- 友達同士
忠敬が17〜50歳の頃に住み、醸造業を営んでいた所で、国の史跡にも指定されています。入場無料で詳しい説明書きもありませんが、『店舗』『座敷』等の目立つ札が置いてあり、昔の様子を想像できました。
歴史的な町並みの小野川沿いで、伊能忠敬記念館とも近いので、散策がてら旧宅にも寄ってみるのがおすすめです。
- 行った時期:2015年10月11日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2015年10月13日
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伊能忠敬旧宅の新着クチコミ
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水郷佐原の町に溶け込む建物。
重要伝統的建造物群保存地区になっていて川沿いで雰囲気がいいです。国の史跡にもなっています。伊能忠敬は武士だと思っていましたが、町人だったんですね。ここは酒造りのお店だったとか。こういう建物が残っていると、ここに住んでいたんだと改めて忠敬の存在を実感できます。
詳細情報をみる
- 行った時期:2023年8月25日
- 投稿日:2023年12月24日
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伊能忠敬旧宅
延喜2年(1745年)九十九里に生まれた忠敬は17歳で伊能家の婿に入り当主となる。代々名主の家柄で水運業・米・不動産業と共に酒造では佐原で一、二を争うほど。天明3年(1783年)の浅間山噴火、3年後の利根川氾濫による「天明の飢饉」の際、名主として1300軒に米や銭を配り、1人の餓死者も打ちこわしもなく乗り越えたという。隠居時の伊能家の資産は三万両(70億円以上)。これがヴォランティアでの東日本の測量を可能にした。60歳で幕臣となり、測量は終えたが全体図の完成を見ることなく74歳で没する。
詳細情報をみる
- 行った時期:2021年7月10日
- 投稿日:2021年7月16日
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ただです
江戸時代、養子に入った伊能忠敬が商売をして家を大きくしていた頃の旧宅を無料で公開してる。
ビジネスには大変長けている人でかなり成功をしていたとのことだが、現在展示できる部分としては残念ながらほんの僅かである様子。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年8月11日
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街並み沿い
川沿いの昔の街並み沿いにあります。昔を感じさせられるスポットです。向かい側に資料館があり合わせてみると伊能忠敬 について理解を深めることができます。
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- 行った時期:2019年3月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 家族の内訳:お子様
- 子どもの年齢:7〜12歳
- 人数:2人
- 投稿日:2019年5月1日
ありありさん
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江戸当時そのまま
ロケのセットではなく、江戸時代がここだけ取り残されておりタイムスリップ感を味わえます。
その当時の生活を想像してみてはいかがでしょうか?!詳細情報をみる
- 行った時期:2019年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年2月3日