高島秋帆の墓
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たかしましゅうはん - 高島秋帆の墓のクチコミ
グルメツウ おーたむさん 女性/30代
- 一人
江戸時代後期から末期の砲術家で、高島流砲術の創始者(流祖)。「火技之中興洋兵之開祖」と号すことを認められたそうです。手を合わせてきました。
- 行った時期:2018年8月
- 投稿日:2018年8月18日
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高島流砲術の創始者
1798年に生まれ1866年に没した高島秋帆は長崎に生まれ育ち、
日本の砲術の遅れに気が付いて1834年・36歳の時に高島流砲術を完成させたと伝わります。
江戸時代後半の先覚者として、日本の支配層に大きな影響を与えた人物といっていいでしょう。
大圓寺の本堂脇の門を出て、細い道を渡ると大圓寺の墓地になりますので、
そこにある立派な石造りの墓所案内のとおりに、奥の方に高島秋帆の墓はあります。
お墓の前で手を合わせました。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年2月25日
- 投稿日:2018年7月4日
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大円寺の墓所に眠る幕末の先覚者
高橋秋帆は江戸末期の砲術家で、黒船が来航した際に海防の重要性を説き江戸幕府の砲術師範として訓練・指導に尽力した人だそうです。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年2月15日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月9日
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偲びました
長崎町年寄の高島茂起(四郎兵衛)の三男として生まれました。先祖は近江国高島郡出身の武士で、近江源氏佐々木氏の末裔です。故人を偲びました。
詳細情報をみる
- 行った時期:2017年10月
- 投稿日:2017年12月30日
りーさん
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国指定史跡の立派なお墓です
幕末の砲術家・高島秋帆の墓所は、文京区向丘1丁目にある曹洞宗寺院・大円寺の墓地にあります。
この墓地は、本堂などがある境内と路地を挟んだところなので一寸分かり難い と思います。
墓地の門前に「史跡高島秋帆墓」と彫られた石柱が、門をくぐり右前方には石に彫られた「墓所案内」があるので探し易いです。
「墓所案内」を見て奥に行ってみると、石柱で囲まれた立派な墓所があり、見慣れない形の墓碑が建ててあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月15日
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高島平の地名の由来
近くに振り袖火事のお七の墓もあります。
高島秋帆は高島平で砲術の訓練をした人物で高島平の地名の由来になった人です。詳細情報をみる
- 行った時期:2016年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年1月21日