石橋山古戦場
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石橋山古戦場の口コミ一覧
1 - 3件 (全3件中)
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135号を小田原から石橋インターを過ぎ、右に蒲鉾屋が見え そこから100m程先に右に崖を上る道があり そこに進入し 直ぐ左に旅館があり、ここを右折し線路を渡る。さてナビで古戦場を目的地に設定していたところ佐奈田霊社への階段下に出、左にはねじり畑という戦跡がありましたが、こちらに来ては駐車場が無く、先の三叉路に擦れ違えるスペースをつくり停車させてもらい、霊社への階段を上りました。上で管理者に聞いたところ線路を渡り左折しないで、右の道を進むと直ぐ霊社の駐車場があり、そこからだと階段も短く楽だとのこと。また古戦場とは霊社を中心にした近辺を言うとのこと。さてここは頼朝が少数で大庭景親の大軍に大敗した地で、少しの間山に隠れた後 船で安房に逃れ再起を期したが、本当に助かったのは運以外に無い。佐奈田霊社とは討ち死にした頼朝家来の佐奈田与一を祀ったもの。今のこの地には戦があったことを感じさせるものは何も無い。- 行った時期:2015年6月11日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2015年6月13日
この口コミは参考になりましたか?5はい -
ユミさん 女性/30代
この口コミは参考になりましたか?3はい -
古戦場には、佐奈田霊社、与一塚、文三堂もある。
治承四年(1180)八月二十三日に源頼朝が以仁王令旨を受けて挙兵し、平家方の大庭景親、伊東祐親らとここで戦った。三千対三百と、頼朝方は圧倒的に不利な状況での戦いで大敗をしたのであるが、このときに先陣を命じられて討死した佐奈田与一義忠とその郎等文三家安を祀っているのが、与一塚と文三堂である。建久元年(1190)、伊豆山権現への参詣の帰りに頼朝はここに立ち寄り、落涙したという。実際、何度か、ここに訪れたようである。
佐奈田与一義忠やその父三浦氏の岡崎悪四郎義実は頼朝のこのとき、最も信頼していた武将であったのだ。冷酷といわれるが、ここに頼朝の本当の姿を示す何かがあるのは事実だ。- 行った時期:2009年4月
- 投稿日:2009年4月30日
この口コミは参考になりましたか?6はい