景徳院
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武田勝頼が自刃、武田家滅亡の地です。 - 景徳院のクチコミ
東京ツウ あおしさん 男性/50代
- 一人
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景徳院の入口
by あおしさん(2020年11月15日撮影)
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勝頼らの遺灰の安置してあった甲州館。
by あおしさん(2020年11月15日撮影)
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勝頼や夫人、息子の墓。
by あおしさん(2020年11月15日撮影)
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景徳院の説明板
by あおしさん(2020年11月15日撮影)
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武田勝頼の墓の説明板
by あおしさん(2020年11月15日撮影)
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境内は紅葉で染まっていました
by あおしさん(2020年11月15日撮影)
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JR甲斐大和駅から歩いて40分ほど。
バスもありますが、本数が1日5本と少ないです。
武田信玄時代は織田信長、徳川家康をはじめ周辺の大名たちを震え上がらせた武田家ですが、その子勝頼の時代に織田信長に滅ぼされました。
19歳の妻や幼少の息子をはじめ、最後まで勝頼に従った50余人の家臣とともにここで自刃しました。
このような山里おいつめられて自刃とはさぞかし無念だったことでしょう。
何とも言えないわびしさを感じました。
もっとも、勝頼を滅ぼして、有頂天だった織田信長もそのわずか3か月後に非業の死を遂げたのもなんとも言えません。
勝頼たちの遺骨などが納められていた甲州館、その背後に江戸時代、勝頼の死後200年後に建てられた勝頼、妻、息子、付き添って戦死した家臣たちの墓がありました。
紅葉も美しかったです。
- 行った時期:2020年11月15日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2020年11月15日
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武田家終焉の地
織田の軍勢から追われた武田勝頼一行が、最後に頼った家臣の寝返りにより城に入れず、このあたりをさまよい、最後、自刃をした場所が今の景徳院です。勝頼、その奥方、息子、そしてお付きの者たちもここで最期を迎えました。その後徳川家康によって、武田家を弔うためにこの場所に景徳院が整備され、今に至るとのことです。
境内には、勝頼たちのお墓や自害の場所(生害石)などがありました。
こちらでおまいりして、武田一族終焉の地だと思って周囲を見ると、山々に囲まれ青い空ののぞく、ただただ静かな一帯で、勝頼もさいごにこの景色と空を見上げたのかもしれないと思い、冥福を祈りました。境内へは階段を上ります。それほど広くはないですが、先述の通り勝頼たちのお墓や塚などもあるのでゆっくりめぐってしのびたい場所です。それでも30分あれば充分だと思います。駐車場は階段の下にあります。詳細情報をみる
- 行った時期:2021年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年12月23日
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何を思ったのか
織田・徳川が甲斐国に迫るなか、武田家最後の当主・勝頼は新府城を出て甲斐国の東にある岩殿城で立て直しを図りますが
味方の裏切りで城には入場できず、この地で妻・子供・家来共に自害して果てました。
この寺は、徳川家康により武田家を丁重に弔うために建てたようです。詳細情報をみる
- 行った時期:2021年10月24日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年10月26日
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武田勝頼菩提寺
天童山景徳院,曹洞宗,開基徳川家康他.無料駐車場有り.武田勝頼や殉死者の菩提を弔うため建立された寺です.境内には武田勝頼,北条夫人,信勝のお墓,自刃した生害石,北条夫人の遺骸を葬った場所とされる没頭地蔵尊などがあり,寺院の下には首洗池がありました.全体的に厳かな雰囲気の寺院でした.
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- 行った時期:2018年10月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年7月2日
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田野寺とも呼ばれる
山梨県は甲州市にある寺院です。山号は天童山。ご本尊様は釈迦如来になります。地名から田野寺とも呼ばれております。
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- 行った時期:2018年5月
- 投稿日:2018年10月27日
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静かなお寺
開花が早かったようで四月中旬で、桜は散り始めていました。静かできれいなお寺でした。駐車場までの道は細くて急坂でした。
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- 行った時期:2018年4月
- 投稿日:2018年4月18日