竹之下古戦場
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歴史を感じます - 竹之下古戦場のクチコミ
愛知ツウ とーしさん 男性/40代
- 一人
竹之下古戦場に行きました。足利軍と、後醍醐天皇の宣旨を受けた新田義貞に参集した軍勢との戦いの場です。歴史を感じます。
- 行った時期:2018年3月
- 投稿日:2018年5月16日
- このクチコミは参考になりましたか?1はい
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民家横の古戦場碑
JR御殿場線の足柄駅から北へ鮎沢川沿いに少し登ると民家の横に石碑が建っています。竹之下の戦いは南北朝時代から足利幕府の時代へと移る転機となった歴史的な戦いです。
詳細情報をみる
- 行った時期:2018年8月13日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年12月4日
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御殿場線・足柄駅の近く
1336年1月に足利尊氏の軍勢と新田義貞の軍勢が衝突した場所と伝わります。
この戦いで新田軍を破った尊氏は京に上がるものの2月には新田軍に敗れ九州に下り、
3月には新田軍を再び撃破、5月には新田義貞・楠木正成を湊川で破って6月に再入京と、
めまぐるしく情勢が変化した1336年上半期の緒戦としてかなり大きな戦いであったのかなと思うのですが、
足柄駐在所の隣りにある現場には古戦場の大きな石碑が建っているのみで、
案内板などはみつけられませんでした。
当時の合戦というのはどのように戦いが始まり、どのように流れが変わって、どのように決着したのか、
私の知識では想像することが出来ないのですが、どのようなものだったのか。
崩れた方が負けとしても、何がきっかけで崩れ始めるのか、水鳥の飛び立つ音に驚いて崩れた富士川の戦いのように、
この竹之下でも歴史の転換点を方向づけたものは、意外にもあっさりとした理由であったのかもしれないなどと想像してみました。詳細情報をみる
- 行った時期:2018年4月13日
- 投稿日:2018年4月17日