旧東海道(熱田・宮宿)
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静かにたたずむカっての船着き場 - 旧東海道(熱田・宮宿)のクチコミ
愛知ツウ 鶴亀松竹梅扇さん 男性/60代
- 一人
江戸時代にできた名古屋側宮(熱田)の渡しの船着き場で三重県桑名市の七理の名をとりまた距離が七里あったことから七里の渡しと呼ばれているという」、当時を復元された常夜灯がその面影を残す今は公園となっている、
- 行った時期:2016年4月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年4月21日
- このクチコミは参考になりましたか?1はい
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「宮の宿」は東海道五十三次の41番目の宿場。古くから熱田神宮の門前町、港町として栄えた。中山道垂井宿に至る美濃路や佐屋街道との分岐点にあたる。 【本陣2カ所、脇本陣1カ所、旅籠248軒。名物・蒲焼、菓子、鯉料理、きしめん】
詳細情報をみる
- 行った時期:2022年3月19日
- 投稿日:2022年3月31日
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- 行った時期:2022年3月19日
- 投稿日:2022年3月31日
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空襲で焼けてしまい宿場町の風景はほとんどない
空襲で焼けてしまった宿場町の面影はほとんどありませんでした。
しかし、七里の渡しの辺りは灯籠も立ち、昔の風景が再現されていて雰囲気ありました。詳細情報をみる
- 行った時期:2019年1月
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2019年1月16日
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東海道の宿場町
この場所におきましては東海道の宿場町のような街並みだと思っております。
ちょっとした散策をこの場所で楽しむことができました。詳細情報をみる
- 行った時期:2017年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月27日
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熱田神宮に参拝後は東海道を散策し『七里の渡し』へ!!
熱田神宮に隣接する宮宿(宮の宿・熱田宿)は、『七里の渡し』とも呼ばれ、東海道五十三次の41番目の宿場です。東海道における唯一の海上路で次の42番目の桑名宿まで、航路が約7里(航行時間約4時間)あったことから『七里の渡し』と呼ばれました。東海道で最大の宿場で、本陣2軒(赤本陣・白本陣)・脇本陣1軒・旅籠屋は248軒がひしめき合う宿場町です。尾張藩は、寛永11年(1634)徳川家光が上洛することから、この年に名古屋城内に『上洛殿』、熱田の浜に『東浜御殿』を落成する。徳川家光は往路に名古屋城『上洛殿』に宿泊、帰路に『東浜御殿』に宿泊している。その後、尾張藩は街道を往来する公家・大名らを接待・饗応するために、承応3年(1654)『西浜御殿』も造営している。なお、本陣2軒(赤本陣・白本陣)のうち正本陣である『赤本陣』は、現在の「あつた蓬莱軒本店」周囲で、敷地337坪・平屋作り121坪・部屋数37・表は東海道に面していたと伝えられる。
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- 行った時期:2018年3月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 人数:2人
- 投稿日:2018年3月16日
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