富長城跡
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興味がわきました - 富長城跡のクチコミ
東京ツウ れいすさん 女性/40代
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富長城跡を見ることができました。四周を幅10−15mの堀と高さ3mの土塁で囲まれた典型的な方形館の形態を呈しています。興味がわきました。
- 行った時期:2018年5月
- 人数:2人
- 投稿日:2018年7月14日
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富長城跡の新着クチコミ
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「富長城跡」と書かれた標柱が建っていてます
鳥取県西伯郡大山町富長西あたり、国道9号線を海側に1本入った狭い道路に面して、富長神社があります。道路脇には「富長城跡」と書かれた標柱が建てられていて、ここが富長城跡だと確認できました。周囲をうろうろしたのですが、駐車場が見当たらなかったので、参道前の少し広くなった所に車を停めて見学させていただきました。神社への参道は一旦少し下り、深い川に架けられた橋を渡るとそこから登り石段を上がることになります。見た目通り、ここがかつての堀跡だとすぐにわかります。石段を上がり境内に足を踏み入れると、周囲は高さ2メートルぐらい土塁が神社を囲んでいて、何となく城跡の雰囲気が残っていました。
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- 行った時期:2018年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2018年8月24日
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小高い丘に築かれた富長城址を見学してきました
鳥取県観光で海岸を見下ろす標高26mの小高い台地に築かれた富長城址を見学してきました。富長城は、五角形状の主郭、帯郭、西の2郭、堀が良好に残る単郭式の山城だったそうです。元弘(1331〜1333年)期には名和氏家臣の荒松兵庫、戦国時代には淀江町を拠点とする福頼左衛門尉が居城し、1524年に尼子氏の伯耆攻めで落城したと伝えられています。現在は主郭には富長神社が鎮座しています。訪問する時は富長神社を目指すと見つけやすいと思います。
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- 行った時期:2018年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2018年8月22日
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現在、富長神社の社地になっている
富長城は日本海に面した鳥取県西伯郡大山町富長の微高地に築かれた単郭の平城で、敷地規模は東西80m×南北50mほどだったそうです。実際訪れてみると、現在、富長神社の社地になっていて、城跡なので天守閣などは当然残っておらず堀跡や土塁が見られるのみでした。
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- 行った時期:2018年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2018年8月21日
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海岸を見下ろす城
日本海を見下ろす断崖上に築かれた富長城の跡。現在は富長神社がまつられており、地元の氏神として信仰を集めている。富長集落のはずれにあり、下り参道で一度降りて堀を渡った後、再度上って本殿にたどり着く。城跡としては「五角形状の主郭、帯郭、西の2郭、堀が良好に残る単郭式の山城」だという。大山町の町指定文化財。戦国時代には福頼周辺(米子市淀江町)を拠点とする福頼左衛門尉が居城していたが、尼子の伯耆攻めで毛利方に落とされたという。
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- 行った時期:2017年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月10日