浦上天主堂
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美しさと恐ろしさ - 浦上天主堂のクチコミ
ぽまんさん 男性/30代
- 一人
坂を登った丘の上にあり、たどり着くまでに少し疲れます。教会は原爆爆心地の近くで破壊されたため、戦後に再建されたものですが、とても大きく美しい建物です。ですが、教会正面手前には、原爆で焼けただれた聖人像があり、原爆の恐ろしさが伝わってきます。
- 行った時期:2015年8月
- 混雑具合:普通
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2015年9月16日
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『浦上天主堂』悲劇に耐え続けたカトリック教会
浦上は戦国時代の末期、1584年頃からキリシタンの村であった。その後、徳川幕府のキリシタン弾圧を受けて1868年明治政府によって金沢以西の20藩22か所に浦上信徒約3,400人が配流された。度重なる苦難を乗り越えた浦上信徒により築かれた教会で1873年(明治6年)にキリシタン弾圧は停止され帰村したが信徒たちがなにより欲しかったのは「神の家」魂のよりどころである天主堂であった。
1895年(明治28年)にフレノ神父の設計により教会の建設が開始され、30年後の1925年(大正14年)、石とレンガ造りのロマネスク様式としては東洋一と称された大聖堂が完成。詳細情報をみる
- 行った時期:2024年9月25日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2024年10月16日
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平和公園から意外に近いよ
ここも立ち寄るくらいの時間でした。12時の鐘の音が響いて、雰囲気がよかったです。
お布施はありますが、一応、無料で中に入れます。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年12月26日
- 投稿日:2023年1月24日
-
改築された浦上天主堂
原爆の被害を受け、改めて改築された浦上天主堂です。
とくに駐車場があるわけではないので、残念でしたが。
キリシタンもいた、長崎の文化も原爆は容赦なく壊したという事実に驚きを感じました。詳細情報をみる
- 行った時期:2022年7月22日
- 投稿日:2022年7月29日
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浦上天主堂
原子爆弾で破壊された後、再建された建物です。とても立派で信徒の方々の熱意とご努力に敬意を表します。原爆資料館で浦上天主堂の被害状況に関する展示を拝見した後に訪問したので感慨もひとしおです。
詳細情報をみる
- 行った時期:2020年11月7日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年1月16日
のりゆきさん
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静寂の中で心が洗われました。
平和公園から散策がてら徒歩で向かいました。事情により入館が叶いませんでしたが、ドア越し拝見した天主堂のキリスト像はステンドグラスが映り、ますます神聖なお姿でした。
詳細情報をみる
- 行った時期:2020年3月8日
- 投稿日:2020年6月8日